日向　悠夜は箱の埃を払った。
「一年ぶりのご無沙汰、ってやつだね」
　収納から引っ張り出した紙箱には、クリスマスツリーの写真が印刷されている。
　これは数年前、悠夜が古道具屋で購入したものだ。箱こそ古びており黄色く変色しているものの、開くと中身はぴかぴか、まるで本物のように活き活きとした緑色はまぶしいほどである。なんでもこれは某玩具メーカーの倉庫の奥で、ずっと眠っていた在庫品だとか。したがって購入時の話なら、実質は新品なのである。ちょっとタイムトンネルをくぐってきただけのことだ。クラシックなデザインだって、今の目で見ると逆に新鮮だ。
　思わず鼻歌なんて唄いながら、悠夜はさらに収納の奥から、小さな箱をいくつも出してきた。クッキーの入っていた缶箱だ。振るとジャラジャラ、なんとも夢のある音がする。といってもこれらは、貯め込んだ小遣い銭ではない。
　缶のフタに手をかけたところで、玄関の呼び鈴が鳴った。
「はーい」

　駅の改札をくぐったところで、もう降矢　弓弦はソワソワしていた。
　雲の上を歩くような足取りだ。胃はちょっと縮こまっているし、この寒さにもかかわらす額にうっすら汗をかいている。
　緊張するなと言っても無理な話というもの、なぜって弓弦は本日、はじめて悠夜の家に招かれたのだから。
　すでに悠夜とは両想い、気持ちは通じ合っていると弓弦は自負するが、初の自宅訪問となれば話は別だ。服装は一週間かけて選んだものだし、いつも寝癖混じりの頭だって、今日は入念に整えてきた。
　とはいえ相手は悠夜ではないか。ありのままの自分を受け入れてくれた彼女なのだから、今日だって自然体でいいよなという気持ちはないでもない。だが一方、いやしかし今日は一年に一度しかないクリスマス、しかもご自宅へのファーストビジットというイベントで……という気持ちもあって、なんだか両者のせめぎあいを彼は、胸の内に抱えていたりもする。
　聞いていた住所はアパートだった。セキュリティ付の瀟洒なワンルームマンションというのではなくアパート、それも、『○○荘』なんて名前が似合いそうな古式ゆかしき姿だ。ただ、歴史ある建物らしく土台はしっかりしているようで、地震にも強そうに見えた。見た目より中身というやつだろう。このあたり、悠夜の住居に対する考えが透けて見えるようで面白い。旅好きの彼女ゆえ、きっと長期不在も可の物件なのではないか。
　弓弦は深呼吸しながら、『日向』の表札がさがるドアまでたどりつく。
　いよいよこのときがきた。
　オードブルとシャンパンは、とびきりいいものを買ってある。
　もう迷うまい。あとは呼び鈴を押すだけである。

「はーい」
　ドアを開けて悠夜は、弓弦のはにかんだような笑顔を見た。
「いらっしゃい弓弦さん」
「ご招待ありがとう、悠夜さん」
　彼の持参したものを見て、おっ、と悠夜は嬉しげな声を上げる。
「ごちそう買ってきてくれたんだね」
「ああ、うん。たいしたものじゃないけど……」
　実際はなかなか結構『たいしたもの』なのだが、それは言わないのがお約束だ。
　ありがとう、と受け取って、悠夜は先に部屋に入っていく。
「さ、上がって上がって」
「じゃあ、お邪魔します」
　ドアのほうを向いて靴を脱ぎかけた弓弦は、ここで硬直してしまうのである。
　なぜって悠夜が、なにげなくこう告げたから。
「弓弦さん今日、ちょっと雰囲気が違うなあ。おめかし？」
「ああ、いや、そんなことは……ちょっと、あるかも」
　はっと振り向くと悠夜が、弓弦に向かって微笑んでいた。
「……ひと味違っていいかもね。格好いいよ、そういうのも」
　恥ずかしそうにそれだけ告げると、悠夜は小走りで奥へ消えてしまった。
　なんて可愛いいんだ、もう！　弓弦は、心臓がウサギになってどこかへ跳ねていってしまうかと思った。
　顔、赤くなってなければいいけど――。
　おかげで緊張感も、すっと溶けた気がする。

　間取りは2DKで決して広くないはずだが、余計なものが少ないせいか、悠夜の部屋は広々としている。
　かといって寂しい内装ではないのだ。通路にも部屋にも、絶妙のレイアウトで大小様々な写真や絵が飾られていたから。おそらく悠夜が、世界中を旅しながら撮ったり買ったりしたものだと思われた。
　我ながら不躾だなあと思うものの、風景や植物の写真と絵、自撮りと思わしき悠夜のポートレイトに、弓弦は興味を抱かずにはいられないのである。あれこれと見回す。あとでそれぞれの由来やこぼれ話などを教えてもらおう。
　そんななか彼は、フローリングの部屋に一本のクリスマスツリーが立てられているのを見た。本物の木みたいに、鮮やかな緑の葉を茂らせている。
「いいツリーだね」
「でしょ？　掘り出しものなんだよ」
「でも何か……」
　物足りないような、と言いかけて弓弦はすぐに気付いた。ツリーだけで装飾がないのだ。
　悠夜は彼の言いたいことを察知しており、はい、と言ってクッキーの缶箱のひとつを開ける。
「毎年クリスマスは友達と過ごしていたから飾りはたくさんあるんだ」
　悠夜は次々と缶箱を開けていく。いずれにも、ツリーの飾りがぎっしりと入っていたのである。
「なるほど……こんなに種類があると飾付けも楽しくなりそうだ」
　弓弦は、子どもに返ったように目を輝かせた。
　たくさん、という悠夜の言葉は決して誇張ではなかった。それこそ、飾りきれないほどの数があるのだ。
　星形やサンタクロース、赤いブーツ、雪だるまにトナカイといった定番の飾りから、懐かしいキャラクターグッズやどこかの国の民芸品、やけにリアルなミニチュア動物など、ちょっと毛色の変わったものまで幅広いのだ。一個一個、手に取って見るだけでも飽きないだろう。
「さっ飾付けしよっか！」

　弓弦がツリーを完成させたときには、もう悠夜が食事の用意をテーブルに広げてくれていた。
　しかし、すぐに食事ではない。
「さあ、ご飯を食べる前に」
　と悠夜はイタズラっぽく笑って、
「メリークリスマス、弓弦さん！」
　さっと両手で、包装紙にくるまれた箱を彼に差し出したのである。感謝してこれを開けた弓弦は眼を丸くした。
「これは……手帳と万年筆かい？」
　予想外のプレゼントではないか。手帳は革表紙で、万年筆も長く使えそうなステンレス製、いずれも高級品と思われた。来年の手帳購入を考えていた時期なのでこれはありがたい。
「予定を一緒に埋めていけたらなって……えへへ」
　頬をかきながら告げる悠夜に、弓弦もにっこりと笑って同意した。
「是非そうしたいものだね。さて、じゃあこれは僕から」
　弓弦が差し出した包みはずっと小ぶりだ。
「え、弓弦さんも用意してくれたの？」
　開けてみてと促されドキドキしながら開いて、一瞬、息が止まるほどに悠夜は驚いたのだった。
「指輪だ！」
　ため息が出るほどに、美しい光沢を放つピンキーリングだった。青白いムーンストーンが飾られており、本体はシルバー、翼をモチーフにしたアールデコ調の装飾も上品で、悠夜はたちまち気に入った。魅了された、といってもいいほどだ。
「嵌めてもいい？」
「もちろん」
　彼女の嬉しそうな様子に、弓弦はほっと安堵の息をついた。何カ所もショップを巡り、迷いに迷って選んだ品だ。その苦労はむくわれたと思う。
　銀の冷たい感触を楽しみつつ指を通すと、たちまち悠夜は乙女の顔になっていた。右手小指がキラッと、誇らしげに輝いた。しばし恍惚の表情で、悠夜はこれを眺める。
　悠夜の表情が、弓弦に勇気を与えてくれたに違いない。
　このとき彼は照れくさそうに、けれども少し大胆に、そっと彼女にこう告げていた。
「……いつか、違う指に贈らせてほしいな」
「ふふ……嬉しい。ありがとう弓弦さん」
　悠夜がすぐにこう返したのは、『違う指』という言葉を文字通りとらえただけなのだろうか。
　それとも、その言葉に込められた想いを理解した上で、迷わずイエスと言いたかったなのだろうか。

　すでに窓の外はすっかり夜だ。ツリーをテーブルによせると、悠夜は装飾のLEDライトをコンセントに差す。
「電気消してみる？」
「お願いするよ」
　すると暗闇の中、クリスマスツリーがほの明るくまたたきはじめたのである。赤や黄色、緑に青のイルミネーションは、まるで光の妖精が、楽しげなモミの木に誘われ遊びに出てきたかのよう。
　悠夜と弓弦は向かい合って座った。そうすると二人とツリーのほかは、世界には何もなくなったかのように見えるのだった。
　背の高いグラスに、白く泡立つ琥珀色の液体が注がれた。
「これからも、一緒に歩んでいこうね」
　悠夜はグラスを掲げた。やはりその指にはリングが輝いている。
「ああ、歩んでいこう」
　弓弦は応じる。
　乾杯！
　涼やかな音が、ひとつ、部屋に小さく響いた。
　ふたりの夜はまだ、これからだ。

依頼結果：大成功

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