ルシエロ＝ザガンがそのクリスマスツリーを選んだ理由はただ一つ。
　ひろのが最も反応を示したものだったから。
　雪を纏ったような白いツリーは小さな金色の飾りで彩られている。
　落ち着いた、大人向けで綺麗めなツリーをひろのがじっと見ていた。
　それだけで充分だった。
　ルシエロは商品の番号札を取ってひろのを振り返った。
「会計を済ませてくる」
「入口で待ってる」
「分かった」
　ひろのが入口と言ったことに深い意味は無い。
　ただ単純に人が多くて距離の近さが気になるから、広けたところがいいというだけ。
　丁度、入口のあたりで人が少なく、レジが見える場所があったのでそこへ身を寄せる。
　見たところ、ちょっとした化粧品コーナーのようだ。
　プレゼント用というよりも寒い冬対策に――というコンセプト。
　たくさんのハンドクリームやボディクリームに、リップクリーム。
　なんとなく気になって、ひろのは唇に手を当てる。
　けれど、革の手袋に阻まれてその存在を思い出す。
　右手だけ外してもう一度。
　指先から伝わるのは乾いた感触。
　ひろのはちら、とリップクリームのコーナーへ視線を向けた。
「使った方が、いいのかな……」
　誰かに問い掛けるわけでもなく、口から出た言葉。
　トランスをするのだからあった方がいいかもしれない。
「どうした」
　ひろのの肩が小さく跳ねた。
　視線を動かせば、すぐ隣にルシエロがいる。
　声をかけられるまで全く気付かなかった。
「な、んでもない」
　ひろのが首を横に振るも、ルシエロには何か思うところがあったらしい。
「薬が効き易いんだったな」
「え、うん」
「少し待て」
　ルシエロはリップクリームの一つを手に取り、さっとレジへと向かった。
　残されたひろのは訳が分からない。
　ルシエロが使うのだろうかと、小さく首を傾げる。
　そうこうしている間にもルシエロが会計を済ませて戻ってきたので、そのまま２人で店を出た。
　このまま真っ直ぐにショッピングモールを出るのだろうと思っていたひろのだが――
「そういえば」
　呟けば、ひろのがゆったりとした仕草でルシエロを見上げる。
「ツリーは見るか？」
　ひろのが目を伏せ、考える素振りを見せたのは一瞬。こくり、頷く。
「あっちだ」
　事前に位置を確認していたらしいルシエロに促されるように歩きだす。
　そのルシエロの両手が空いていることに、ひろのは今更ながら気付いた。
　さっきはそれどころじゃなかったのだ。
「ツリーは？」
「荷物になるからな。配送を頼んだ」
　ガラスツリーを見てから家に向かえば、ツリーが届く時間になっているだろうと言い添えて。
　ルシエロは顎をしゃくり、ひろのに前を見るよう促す。
「あ……」
　待ち構えていたのは巨大なガラスのツリー。
　照明を受けてきらきらと輝いている。
　枝の先には願い事が書かれた用紙が飾られているが、それが枝にかかった雪のようにも見える。
「きれい……」
　ひろのの茶色いトルマリンの瞳はツリーを映し、同じようにきらきらと輝いている。
　こんなにも綺麗で繊細なのに、大きなものをどうやってここに運んだんだろうか。
　持ってきて組み立てた？　それともあのまま運び込んだ？　どうやって？
　考えようにもツリーがあまりにも綺麗で、考え込むことも出来ない。
　ひろのの様子はルシエロの予想通りではあったが、思っていた以上に見入っている。
　その反応に、ついルシエロの口角が上がる。
「願いが書けるらしいぞ」
　どうする、という問い掛けにひろのはゆるり、首を傾げて――横に振った。
「浮かばない、から」
　その表情と声音には影など微塵も無く。
「なら帰るか」
「うん」
　身を翻したルシエロに倣い、ひろのも歩きだす。
　一歩、二歩、三歩歩いて、一度だけガラスツリーを振り返る。
　ツリーは変わらず、きらきらと輝いていた。


　ルシエロがひろのの些細な変化に気付いたのはこれまでの積み重ね。
　ひろのは一見すると感情が読み取りづらいが、実は分かりやすいのだということは付き合いを深めれば分かる。
　実家にいた頃からの家政婦が腕によりをかけて作った料理やケーキ。
　部屋の飾りつけは豪華としか言いようが無いのに、上品で落ち着いている。
　ひろのからすれば、普段でさえ高価なもので溢れているのに今日はより一層高価そうに見えて、少々落ち着かない。
　向かい合って座っているが為に、食事の最中から食事の後もソファで縮こまっているひろのがよく見える。
　少々力を入れすぎたかとルシエロは思う訳だが――ひろのと過ごすクリスマスだから、と言葉を選ばずに言えば張り切ってしまったのは仕方の無いことだろう。
「ヒロノ」
　ルシエロは立ち上がり、ひろのの隣に腰掛ける。
　ひろのと目を合わせながら、先程ひろのが席を外した隙にテーブルの下に仕込んだプレゼントを取り出す。
　箱は２つ。
　細長い箱と小さな箱。
「ありがとう」
　礼を言いながらもひろのの瞳に浮かぶ動揺。
　その動揺は嬉しいがゆえのもの。
「私、用意してない」
　申し訳無さそうに眉を下げるひろの。
　ルシエロはくつり、笑みを零す。
「小さい方を開けてみろ」
　両方ではなく、小さい方だけ？
　ひろのは疑問を抱きながらも、促されるまま包みを開く。
「これ……」
　現れたのはリップクリーム。
「それを少しずつオレに返せば良い」
「少し、ずつ？」
　意味が分からず首を傾げるひろの。
　それなのにルシエロはどこか満足気に笑みを深めた。
「解らないなら、これでいい」
「……！？」
　伸びてきた手はひろのに抗う間すら与えず、その身体を抱え上げそのままルシエロの膝の間へ。
　ひろのは突然のことに目を見開いたまま硬直する。
　意識しているのだとよく分かる反応だが、ルシエロとしてはまだ足りない。
　先程の言葉通り、少しずつ『返して』貰わなくては困る。
　けれど一先ずはこれで満足しなくては。
　怯えさせる気などさらさらないのだから。
「ル、シェ」
「なんだ？」
「……なんでもない」
　落ち着くのに落ち着かないこの状況は一体、なんなのだろうか。
　ひろのにはよく分からない。
　ただ恐る恐る、身を預けていくだけ。
「こっちも、開けていい？」
　ルシエロは問い掛けに答えず、ひろのの手中の箱を裏返す。
　無言の肯定。
　包装が破れないように気をつけながら、ひろのは慎重に封を開いていく。
「あ……」
　中身は小さな赤い石が一つだけの、シンプルで華奢な金色のネックレス。
　ルシエロのような色合いで綺麗……などと思うけれど、上手く表現する術をひろのは知らない。
　言葉を探っているうちに、ルシエロの手がネックレスへと伸びる。
　包みから取り出したかと思えば、そのままひろのの首にネックレスをつけてやった。
　頭上から覗き込むようにして見ると、ルシエロの見立て通りの姿。
「似合ってる」
「あり、がと……」
　気恥ずかしくてそれ以上の言葉が出ない。
　鏡で見たいと思うものの近くに鏡が無い為、ひろのは逃げるようにリップクリームを眺める。
　低刺激と書かれているのが目に入る。
　ああ、店で聞いてきたのはこの為かと納得しながら蓋を開ける。
　ほんのり色づいたリップクリームは、ルシエロの瞳よりも随分と淡いオレンジ色。
　頭の中でリップクリームとルシエロの瞳が重なる。
　すると見えてきた、『少しずつ返せ』の意味。
　もしかして――
　そろり、ルシエロを見上げると、何処か楽しげなオレンジの瞳がひろのを見ていた。
　それだけで、自分が導き出した答えが正しかったのだとひろのには分かる。
　ひろのは見る見る間に赤くなり、視線を外そうとしたがルシエロは逃がさない。
　ルシエロの大きな手が優しく、けれど強くひろのの頭を抑える。
　石のように固まったひろのの額へ、ルシエロはそっと唇を落とした。
「急がなくていい」
　ルシエロの言葉は掛け値無しの本音。
　欲を言えば今すぐにでも『返して』欲しいところだが――ルシエロは懸命にその欲を抑える。
　そのせいで少しだけ、抱きしめる手に力が入ってしまう。
　硬直しているひろのには痛がる素振りも嫌がる素振りも無いから、そのまま抱きしめ続けた。
　ひろのが鏡を見たいと言い出す、その時まで。

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