「葵田が話があるってよ」
　突然、うばらの口から飛び出した言葉に、いばらは大きく瞬きした。
「葵田さんが僕達に話……？」
「そ。だから出掛けるぞ」
　うばらは問答無用といった仕草で、いばらの手首を掴む。
「え？　出掛ける？……どうして？」
「外で待ち合わせてるんだ。依頼じゃねぇから緊張するなよ。ほらコート着ろ」
「う、うん……」
　渡されたコートを着込んで、いばらは表情を曇らせた。
　わざわざ外に呼び出しての話。一体何だというのだろうか？　不安が胸に広がる。
「寒ぃな」
　外で出ると、うばらが白い息を吐いた。
　雲一つない青空が広がっているが、肌を刺す空気は驚く程冷たい。
「早く行こうぜ」
　うばらはいばらの手を握り、急ぎ足に歩き出した。
「何処で待ち合わせてるの？」
「行けば分かる」
　うばらは時折、胸元からメモを取り出しては道順を確認しているようだった。
　彼も初めて行く場所なのだろうか？　いばらの中に、疑問ばかりが膨らんでいく。
「あ、ここだ、ここ」
　暫く歩いて、うばらが足を止めたのは、大きな和風の屋敷の前だった。
　ぐるっと屋敷を囲っている塀は高く、中の様子は窺えない──が、何処までも続いているような錯覚を受ける塀を見ただけでも、とても大きなお屋敷であることは間違いない。
「あまり見ない様式のお家ですね……」
　いばらは瞳をぱちぱちとさせて、そびえ立つ大きな木の門──趣がある歴史を感じさせる──を見つめた。
　そうだ。テレビで見た事がある。ここはきっとそう、お店だ。『料亭』というものが、こんなカンジだった。
　高級な料理……確か『カイセキリョウリ』を出す料理店。
　いばらがそんな事を考えている間に、うばらは迷わず門扉のインターホンを鳴らす。
「来たぜ」
　彼が一言そう言って、暫く。
「やあ、来たね」
　門を開いて顔を覗かせたのは、いばらの良く知っている人だった。
「――え、葵田さん？」
「いらっしゃい」
　にっこりと微笑む彼は、いばらとうばらのパートナー、葵田　正身だ。
　いつも通りの穏やかな笑顔に少しほっとしながらも、いばらは彼の服装に瞬きする。
　紬着物に紬羽織、足元は足袋に雪駄――普段の彼とは違う和な装いに、いばらはぽかんと口を開けて正身を見上げた。
「いらっしゃいって……葵田さん、お店屋さんだったんですか？」
　思わぬ問い掛けに正身は、おやと小首を傾げる。
「兄貴、違うぜ。ここは葵田の家だ。店じゃない」
「そう……なんですか？」
　うばらが即座にそう返すと、いばらは戸惑うように正身と立派な門扉を交互に見た。
（これは失敗でしたかね）
　正身は己の格好を見下ろし――彼にとっては普段着のようなものなのだが、白い息を吐くパートナー達に視線を向ける。
「さあ、中へ入って。寒かったろう」
　そして、二人に中へ入るように促した。

　門扉を潜ると、そこにもまた、いばらが見た事のない風景が広がっていた。
　大小様々な石がオブジェのように並び、足元は、玉砂利の中、飛び石が並んで、玄関までの道を示している。
　白い砂利は、まるで水のような波紋を描いているようにも見えた。
　うばらは興味深い眼差しで、いばらは小さく口を開けてしまったまま、正身に誘導されるまま玄関へと辿り着く。
　横開きの戸を開けて、正身は中に入るように促した。
　靴を脱いで、用意されていたふかふかのスリッパに履き替える。
　屋敷の様子と少しばかりそぐわない可愛らしい動物を模したスリッパ。その履き心地を確認して、いばらの口元に小さく笑みが浮かんだ。
　板張りの長い廊下を案内され、二人は居間に通される。
　畳に障子――和室の醸し出す落ち着いた空気が漂う部屋だった。
　壁には振り子の時計があり、中央には木のテーブルに座椅子が並ぶ。
　暖房が適度に効いており、二人の冷えた身体を温めるには十分だった。少し名残惜しくスリッパを脱いで畳の上へと上がる。
「適当に座って、寛いでね。今、お茶を用意するから」
　部屋を見渡すいばらに正身はそう言ってから、うばらを手招きした。
「うばら、ちょっと手伝ってくれるかい？」
「仕方ねぇな」
　部屋を出ていく二人に、いばらは目を丸くする。置いて行かれてしまった。二人の間に、コソコソしているような空気を感じた。
（今度は二人での相談？……うう、やっぱり不安です）
　いばらは落ち着かない気持ちで、そっと座椅子に腰掛ける。

「すまない、サンタクロースの格好で出迎えるべきだったろうか」
　居間から離れるなり、真面目な顔でそう言った正身に、うばらは腕を組んで彼を見た。
「格好はどうでもいい」
「そうかい？」
「ここ一人で住んでんのか」
　うばらの視線が長い廊下を見遣る。廊下はしんとした空気に満ちていた。
「それより、いばら怯えていないか？」
　心配げに眉を寄せる正身の視線を受け、うばらは小さく首を振る。
「いばらは驚いてただけ」
「……ならよかった」
「慣れれば表情の違いもわかるようになんだろ」
　安堵の吐息を吐き出す正身に、うばらは少しだけ目元を緩めた。
「後はパーティを開始すれば、計画は成功だね」
「だな」
　正身とうばらは視線を合わせて笑みを浮かべる。
　――いばらを驚かせるため、二人はいばらには秘密でクリスマスパーティを計画したのだ。
（言ったら絶対気ぃ遣うだろうから）
　うばらと正身の意見は一致している。
　ここまで計画は順調だった。
「つーか、腹減ったし料理できてんなら食おうぜ」
　うばらが腹を押さえて言えば、正身が頷く。
「勿論、準備は出来てるよ。一緒に運んでくれるかい？」
「ああ」
　二人は連れ立って台所へと向かった。

「いばら、お待たせ」
　正身の声と共に扉が開かれ、いばらは弾かれたように顔を上げてそちらを見た。
　盆に料理を載せた正身が部屋の中に入ってくる。その後ろには、うばらも居た。
「……ご飯ですか？」
　正身がテーブルに料理を並べ始め、いばらは目を丸くする。確か、お茶を用意するとは言っていたけれど――。
「兄貴、これおしぼりだ」
　うばらが、いばらの前に温かいおしぼりを置く。
「あ、ありがとう」
　戸惑いながらそれを受け取って、手を拭いていると、あっという間に正身とうばらは料理をテーブルに並べ終えた。
「わあ……」
　いばらは大きく瞬きする。
（お家の雰囲気とは違うけれど……凄く美味しそう……）
　ポテトサラダを土台に、野菜が沢山デコレーションされたクリスマスリース風のサラダ。
　ツリーにサンタ、雪だるま――クリスマス型のショートパスタで作られたクリームパスタ。
　カラフルで色々なトッピングが可愛らしいカナッペ。
　そして――。
「わあ、大きなお肉。七面鳥ですね……！」
　中央に置かれた大きな鳥の丸焼きに、いばらが瞳を輝かせた。
「七面鳥は流石に焼けなかったので買ってきたんだ」
　正身がそう答えると、いばらは、
「葵田さんの普段のお食事って、豪華でたくさんなんですね」
　凄いです！と、小さく拳を握る。
「……」
　正身の時が一瞬止まった。
（豪華、大食い……ふむ。これは――）
　うばらは二人の顔を交互に見遣り、ぽんといばらの肩を叩く。
「兄貴、ご馳走とはいえ普通の食卓に七面鳥は出てこないからな」
「え？」
「来る途中の街の飾りつけでわかるだろ」
「飾りつけ？」
　溜息混じりのうばらの声に、いばらの中で疑問符が飛び交った。
　うばらの呆れたような視線に、益々意味が分からずいばらは首を傾ける。
　その様子に微笑んで、正身は立ち上がった。
「では少し早いが」
　そう前置きしてから、盆に大きなケーキを載せて戻って来る。
「わあ……綺麗なケーキですね……！」
　テーブルに置かれたケーキを見つめ、いばらは溜息を吐いた。
　大きなホールケーキだった。
　純白の生クリームに、緑と赤のデコレーション。
　白薔薇と青薔薇の砂糖菓子が飾られ、その間に白いチョコレートプレートが可愛らしく載っている。
　プレートに苺色で書かれている文字を見て、いばらは息を飲んだ。

『Merry Christmas!』

「……クリスマス……」
　ぽつりと呟いたいばらに、正身が微笑み、うばらがやれやれと息を吐き出す。
　漸く今日のこの集まりの意味を理解して、いばらの頬が紅潮していった。
「さ、最初から言ってください」
　いばらが真っ赤になる頬を押さえる。
「最初から言ってしまうと、サプライズにならないしね」
　正身はハハハと楽しそうに笑った。
「うばらもっ」
「右に同じ」
「も、もうっ」
「ケーキ見てやっと気づくとか」
　うばらの言葉に、いばらは小さくなりつつ、熱い頬から手を離して、再度ケーキを見遣る。
　クリスマス色の中に、白い薔薇と青い薔薇が華やかで温かく……。
「僕とうばらの飾りのケーキ……」
　わざわざこのケーキを用意してくれた事が、本当に嬉しくて。けれど。
「あと黒ければ、葵田さんのイメージになりますね」
「黒？」
「はい、黒も入れば、三人一緒のケーキです」
　にっこり微笑むいばらに、うばらは思わず半眼になる。
「いや黒いケーキってなんだよ」
　正身はふむと顎に手を当てた。
「黒い、と云う事はチョコレートケーキだろうか」
「そうですね。チョコレートは黒です！」
　いばらが瞳を輝かせると、正身は頷いてみせた。
「次回はそうしよう」
「はい、来年は是非っ」
　コクコクと頷き、いばらはケーキを嬉しそうに眺める。
「こっちの薔薇までは要らねぇよ別に」
　うばらが青い薔薇を視線で差すのに、いばらは首を振った。
「駄目。三人一緒がいいんです」
「二人を招待したのだから当然だ」
　声を揃えて言ういばらと正身から、うばらは視線を逸らしつつ呟く。
「……まあ、いいけど」
　それから、小さく口の端を上げてから、いばらと正身に視線を戻した。
「早く食おうぜ。料理が冷めちまう」
「そうだったね。では、乾杯をしようか。二人共、グラスを出して」
　正身がシャンパンの瓶を手に取る。勿論、二人の為にノンアルコールのシャンパンを用意していた。
　コルク栓を抜いて、三つのグラスに、白い泡の立つ琥珀色が注がれる。
　三人はグラスを手にして、お互いを見た。
「それでは」
　正身がグラスを上げると、うばらもグラスをひょいと上げる。
　いばらも緊張した面持ちでグラスを掲げた。

「メリークリスマス。うばら、いばら」
「メリークリスマス」
「メ……メリークリスマス」

　カチンと澄んだ音を響かせ、グラスを触れ合わせる。
　琥珀色の液体を飲み込めば、口の中で泡が弾けて。
　いばらは幸せな気持ちが込み上げるのを感じて、微笑んだ。
　くすぐったくて、心地良い。
　今日、正身とうばらがこんなサプライズを用意してくれた事が、本当に嬉しい。
「――葵田さん、うばら」
　口を開くと、二人がこちらを見てくる。いばらはそっと笑みを浮かべた。
「今日は……本当にありがとうございます。嬉しい、です」
　幸せそうに瞳を細めるいばらを見て、正身とうばらは視線を合わせる。
　どちらからともなく、笑みが広がった。
　サプライズは大成功だ。
「まだお礼を言うのは少し早いよ、いばら」
　正身はそう言って、七面鳥を切り分ける為のナイフを手に取る。
「料理とケーキを食べてから、感想が聞きたいな」
「もしかして、葵田の料理が超マズイかもしれないしな」
「も、もう、うばらってば……」
　いばらは、そんな事ないよ！とうばらを見遣った。
「ほら、兄貴」
　うばらは小皿にサラダを取り分けて、いばらへ差し出してくる。
「兄貴が食べて判断しろよ」
「あ、ありがとう」
　皿を受け取り、いばらはサラダを見つめた。ポテトサラダはほくほくした見た目で美味しそうだ。
「いただきます」
　きちんと手を合わせてから、一口。
　ぱぁといばらの表情が輝く。
「美味しいです……！」
「あ、本当だ。うめぇ」
　いばらの反応を確認してから、うばらもサラダを口に入れ、うんうんと頷いた。
　優しく何処か懐かしい味がする。
「口に合ったのなら良かった。七面鳥もどうぞ。これは出来合いのものだけど……」
　正身は七面鳥を皿に取り分け、いばらとうばらに手渡す。
「さっぱりしてて美味しいです……！」
「おかわり」
「それはよかった」
　正身は二人の反応に満足そうに笑うと、二人の皿におかわりの肉を追加した。
「パスタも凄く美味しいです、葵田さん。形も凄く可愛いですし……」
　ベーコンときのこ、玉葱にほうれん草が沢山入ったパスタは、クリーミィな味わいが癖になる。
「葵田さん、料理上手なんですね」
「意外だぜ」
「今日は特別に頑張った甲斐があったよ」
　二人の褒め言葉に、正身は照れ臭そうに笑い視線を窓の外に向けた。
「……二人共、外を見てごらん。雪だ」
　正身が外を指差す。
　いばらとうばらは、その指の先を見て。
　降り始めた雪に、微笑みが広がった。

依頼結果：大成功

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