秋野　空が姿見を覗き込むのは今日何度目だろう。
　もっとドレスアップした方がいいだろうか。いやでも、外出するわけではない、家で過ごすインドアクリスマスなのだ、カジュアルダウンした方が適切だろうか？
　悩む。
　今日は、２人でクリスマスを祝おうとジュニール　カステルブランチの自宅に招待されている。
　「楽しみにしています」というジュニールの笑顔を思い出すと、心臓が跳ね上がる。
　彼の家に招待されて、嬉しくないはずはないけれど、緊張が上回る。
「そろそろ、行かなきゃ」
　遅刻なんてもってのほか。
　空はテーブルの上に置いてあったギフトボックスを丁寧に鞄にしまう。
　今日は、「相手に似合う、身に着ける物」「当日必ず身に着ける」というルールでのプレゼント交換を提案されているのだ。
　それから、コートをふわりと羽織り、料理の入ったバスケットを持った空はドキドキする胸を押さえつつ、ジュニールの家へ向かった。

「いらっしゃい、ソラ。お待ちしていました」
　玄関の呼び鈴を押すと、はにかんだ笑顔のジュニールが迎出て、空からバスケットを受け取ってくれた。
「え……と、どうぞ、中へ」
もしかして彼も、はじめて空を招待するということで緊張しているのかもしれない。
「……お邪魔します」
　おずおずと家の中に入り、中を見渡す。
　一言で言えば、殺風景な家だった。必要最小限の物しか置いておらず、色味も少ない。
　しかし、リビングに通されて、驚いた。
「すごいソファですね」
　思わず声に出てしまう。
　温かみのあるモスグリーン色の毛付き革が張られた大きなソファ。座面の革のカッティングやふかふかのクッションの入り具合から見て二人掛けのようだが、大人一人が横になっても十分なくらいの大きさだ。
　このソファで子猫のように寝転んだらさぞかし気持ち良いだろう。
「ソラが来てくださるので、せめてソファくらいと思って……変でしょうか」
　ジュニールが不安そうな顔をしたので、空は慌てて首を横に振る。
「少し驚きましたが……でも素敵なソファだと思います」
　空はそう言ってジュニールに微笑みかける。
「空に気に入ってもらえて、嬉しいです」
　ジュニールも安堵の笑顔になる。
「バスケットの中に、お料理が入っているんです」
　空はジュニールが持ってくれているバスケットを指す。
「お料理ですか？」
「ええ。ジューンさんの家には調理器具がないと聞いたので、家で作ってきたんです」
　空が言うと、ジュニールの表情はみるみる輝いていく。
「ソラが、俺のために？」
「そんな、たいしたものじゃないですけど」
　空は慌てて謙遜する。
「でも、お料理はどこに並べましょう」
　見たところ、食卓らしき大きなテーブルはない。
　無機質なガラスの応接テーブルがあるだけだ。
「そんなにたくさん作ってないので、このテーブルで充分ですね」
　空はバスケットの蓋を開けると、ジュニールと一緒にテーブルの上にサンドイッチやポテトガレットを並べていった。
　料理を並べ終えると、そこにキャンドルスタンドを置いてテーブルの準備は完了。
「そうだ、ソラ。クリスマスツリーも一緒に飾りませんか」
「ツリー、あったんですか」
　空が見る限り、室内にそのようなものは無かったが。
「用意をしてはみたものの、１人で飾るのはなんだか寂しくて」
　と、ジュニールは苦笑する。
　ジュニールは使用された形跡のないキッチンの奥から彼の胸くらいの高さのツリーを運んでくる。
　そんなところに置いていたのか、と空は驚く。
　それから、オーナメントが入った箱も。
「これ、可愛いですね」
　ピンクのリボンがついたベルのオーナメントを取り出し、空は微笑む。
　ベルにボール、小さなギフトボックス、点滅するライト。
　クリスマスツリーの飾りつけはなぜか心が躍る。
「最後のこの星は、一緒に飾りましょうか」
　ジュニールはツリーの天辺に飾る星を空に差し出す。空は頷き星を掴むと、ジュニールと一緒に、そっと、ツリーの上に飾る。
　どちらからともなく視線を合わせ、ふふ、と笑う。
　これで、二人のクリスマスの準備は万端。

　食事を終えるとジュニールが室内の照明を落とす。
室内がキャンドルの炎とツリーの明かりだけとなると、一層、今日が聖夜であることを実感する。
　空が揺れる炎の美しさに見惚れていると、ジュニールがボトルとワイングラスを持ってきてくれた。
「食後にいかがでしょうか」
　蜂蜜のように輝く液体が、空の目の前のグラスに注がれていく。
「綺麗……」
　思わず呟いてしまう。
　ジュニールはくすっと笑うと、自分のグラスにもそれを注ぎ、杯を傾ける。
「乾杯」
　微笑まれ、空もグラスを手にとりそっと彼のグラスと触れさせる。
「……美味しい」
　一口飲んで、その複雑かつ濃厚な味わいに驚く。
「ソーテルヌワインなんです。気に入っていただけましたか」
　ジュニールの問いにこっくりと頷く。
　ソーテルヌワインはとても口当たりが良くデザートにぴったりであった……しかし、しっかりとアルコールも入っており、知らずのうちにほわっと気分が高揚する。
「そうだ、これ……」
　ソラは、鞄からプレゼントの箱を取り出し、ジュニールに差し出す。
「クリスマスの、プレゼントです」
　果たしてジュニールはこのプレゼントを気に入ってくれるだろうか。そう思うと緊張して表情が強張ってしまう。
「ありがとう」
　ジュニールは箱を開けると、目を見開いた。
「これは、ソラとお揃いですか？」
　箱の中身は革のブレスレット。嬉しそうなジュニールには申し訳ないが、空のブレスレットと同じ物ではない。けれど、できるだけ似たデザインのものを探して用意したのだ。
「これはお守り、です」
　空は箱の中からブレスレットを取り出す。
「あなたを護ってくださるように」
　言葉にして願いを込めつつ、空はジューンの左手首にブレスレットを付ける。
「ありがとうございます。とても、嬉しいです」
　ジュニールは双眸を細め笑む。
「そ、そんな、たいした物では……」
「ブレスレットも嬉しいですが、空のその言葉が、嬉しいんです」
　ジュニールは、では俺からも、と言って立ち上がると、窓辺から、美しい包装紙に包まれた箱を持ってくる。
「開けてみてください」
　そう言われ、空は丁寧に包装紙を取り、箱を開ける――と。
「こ……これ……」
　目に入ったのは光沢のある薄水色の生地。取り出して広げてみると、裾に銀糸で雪結晶が刺繍された美しいドレス。
　ジュニールを見やると、彼はにっこり笑んでいる。
「向こうの部屋が空いていますので、そちらを使ってください」
　つまり、今すぐ着替えてみて欲しい、ということ。
　こんな綺麗なドレスを着るなんて、気後れしてしまう。けれど、今日のプレゼント交換は「当日必ず身に着ける」と前もって約束しているものだ。着ないわけにはいかない。
（どうしよう、私、ドレスに負けてるんじゃないかしら）
　不安を抱きつつ、ジュニールに案内された部屋で着替えを済ませ、おずおずとリビングに戻る。
「どうでしょう、か……」
　自身の無さが、小さくなっていく声に現れている。
　ジュニールは、空を見つめたまま無言で。
（う……やっぱり似合ってなかったのでしょうか）
　空が焦り始めたころ、やっと彼は口を開いた。満面の笑みで。
「このドレスを見た時、きっとソラに似合うと思ったんです。でも、想像以上で……まるで誂えたようですよ」
「あ、ありがとうございます」
　ジュニールに褒められると、不思議と、さきほどまでの自身の無さが消えていった。
　ジュニールはすいと手を差し出し、空の手をとる。雰囲気と相まってか、まるで自分が彼のお姫様になったような気分にさせられる。
　ジュニールに誘われるまま、ソファにふかっと腰を下ろす。
　今なら、素直に言えるかもしれない。
　美しいドレスとクリスマス仕様の部屋の雰囲気、そしてワインの酔いの力を借りて。
　空は顎をあげジュニールを見つめる。彼女の瞳の中で、キャンドルの炎がちらちら揺れた。
「私、あなたに褒められると嬉しくて……少しだけ自信が湧きます。いつも支えられてばかりですけれど、これからも傍に……」
　空の言葉は、その唇に触れるジュニールの指で遮られた。
　空は不思議そうな顔をする。
　ジュニールがそうしたのには理由がある。
　そこから先の言葉は、男である自分が言うべき言葉だと思ったから。
　ジュニールは空の唇から指を離すと、彼女の癖にならってブレスに触れ、ひとつ息をつく。
　それから優しく、空の手をとる。
「貴女がいるから、俺は強く在れるんです。だから……これからもどうか、俺の傍にいてください」
　空の目が一瞬見開かれる。
　ジュニールが、自分と同じ気持ちでいてくれたこと。
　それに驚き、そして嬉しくて。
　空は、きゅっとジュニールの手を握り返した。
　そして、小さな声で呟いた。
「はい……」

依頼結果：大成功

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