●キャンプ日和なこの日に
「うーん！　空気が美味しいー」
　場所は、森林公園『安らぎの森』。鮮やかな緑に囲まれた川辺で、日向　悠夜はぐんと伸びをしながら弾む声でそう漏らした。そんな悠夜の姿を優しい満月の瞳で見守る降矢　弓弦も、
「いやあ、良い天気だね。キャンプ日和だ」
　なんて、その目元を和らげる。２人の手には、釣り竿を始めとする渓流釣りの為の道具諸々が準備されていた。明るいうちは、存分に釣りを楽しむ心積もりなのだ。釣り針に淀みのない手つきで餌を仕掛けながら、悠夜は悪戯っぽい眼差しで弓弦を捉える。
「釣れたら夕食が豪華になるから頑張ろうね！」
「ふふ、それなら頑張らないといけないね。責任重大だ」
　悠夜の、無邪気な子供のそれのように鮮やかな笑顔を前にして、弓弦はくすりと音を漏らし――じきに、悠夜より少しだけ遅れて、水面へと糸を垂らす準備を恙無く整えた。
「渓流釣りなんて、幼い頃田舎でやって以来かな」
　２人分の（主に夕食への）想いが、川を緩やかに泳ぐ。悠夜は生き生きとその双眸を輝かせ、弓弦はただゆったりと心を落ち着かせて水面を見つめ――、
「――今だ！」
　ぱしゃん、と弓弦の釣り竿の先で川魚が跳ねる……と、格好良かったのだが、弓弦の垂らした糸は、魚ではなく、水底の岩か何かをしっかりばっちりと捕えていた。根がかりだ。
「……釣りは難しいね。ははは」
　誤魔化すように笑う弓弦の様子の愛おしさに、くすくすと笑みを漏らす悠夜。射し込む日差しも、自然が形作る日陰も、すぐ傍で響く水の音も、自分達を包む全てが心地良かった。
「――もう夏だねぇ、水辺に居ると気持ちいいよ」
　ふとしたその呟きさえも、川の音に柔らかく飲み込まれていく。

●憩いのひと時
「さて、夕食にしようか」
　日が暮れる前に釣りを切り上げれば、待っているのはこちらもキャンプのお楽しみの一つ、食事の時間だ。ちなみに、釣果は上々だった。少なくとも、２人が釣りたての川魚の味を充分に満喫できる程度には、クーラーボックスの中身は充実している。……その殆どは、悠夜が釣り上げた物だけれど。
「キャンプのご飯って、普段と違ってまた美味しいんだよね」
　手際良く調理の準備に取り掛かりながら悠夜が歌うように声を零すのを、弓弦は、悠夜本人と同じくらい楽しそうに見遣って、ふふと笑った。
「特別な感じがするものね。今日の夕飯は何かな？」
「さあ、なんでしょう……なんて。色々作ってご馳走にしようね」
「ご馳走か。益々楽しみだ」
　弓弦が調理を得意とはしていない為に主導権は悠夜が握っているが、弓弦も既に、炭を起こす準備に入っている。邪魔になってしまわないようにと気を配りながら弓弦が手伝いに回る中、悠夜は次々と、キャンプ料理の数々を仕上げていった。
「完成！　弓弦さん、出来たよ」
「わあ……」
　目の前に並ぶ料理の数々に、弓弦の金の双眸が煌めく。事前に用意してあった野菜は、素焼きや、あたたかな湯気立ち昇るスープに大変身。トーストの上には、とろっといい具合に蕩けさせたチーズが惜しげもなく乗せられて、２人で釣った川魚は、丁寧に下ごしらえがなされて良い香りの漂う香草焼きに仕上げられていた。
「これは……すごいね。お腹が鳴ってしまいそうだ」
「ふふ、それくらいの方が作った甲斐があるよ。ほら、一緒に食べよう」
　そうして２人は、いつの間にか夜の色に染まった星空の下、あたたかな食事を並んで味わう。香草焼きをはふりと頬張って、弓弦が口元を綻ばせた。
「うーん、美味しい！　この環境も調味料だね」
「あれ？　弓弦さん、私の料理の腕については？」
「それは勿論だよ。ありがとう、悠夜さん。……あ、野菜のスープも貰っていいかな」
「うん、どうぞ。……それにしてもこれ、二人で食べ切れるかな？」
　弓弦にスープを装った器を手渡しながら、悠夜はちょっぴり困ったように眉を下げる。野外にて２人で食べる夕食は格別の味だし、弓弦の幸せそうな顔も悠夜には宝物のように映ったけれど、少しばかり、張り切って作りすぎてしまったかもしれないと思って。けれど弓弦は、悠夜の言葉に、のんびりと、けれど明るく笑うのだ。
「大丈夫、いくらでも食べられそうだ」
　その言葉に嘘はないようで、弓弦はいつの間にか、２匹目の魚に手を伸ばしていた。はふはふとそれにかぶりつく弓弦の姿に、密か、柔らかく目を細めて、
「よーし、私はチーズトーストいっちゃおう！」
　なんて元気良く宣言して、悠夜もまた、キャンプならではの味を楽しんだ。そして。
「――星、綺麗だね」
　食後のこと。夜空を見上げる悠夜の瞳に、星明かりがちらちらと映る。瑠璃の眼差しが宝石の如き輝きを宿すのに、弓弦は寸の間見惚れ――すぐに、我に返って「そうだね」と応じた。目の前では、焚火がパチパチと爆ぜている。星空からそちらへと視線を移して、
「そうだ、ココアを入れようか」
　と、悠夜は微笑んだ。手早く準備されたココアの入ったマグカップを両の手のひらに包めば、温もりが芯から染みる。弓弦が、それを口に運ぼうとした、その時。
「弓弦さん、それを飲むのはまだ早いよ」
　すっ、と、悠夜の手が、弓弦の手元に伸びてそれを制した。きょとん、と目を丸くする弓弦。
「え？　だけど、早く飲まないと冷めてしまうんじゃ……」
「まあ、ちょっとだけ待ってよ。そのままでも美味しいけれど……」
　何処か芝居めいた口調で言いながら、悠夜が取り出したるはマシュマロの袋。瞳を楽しげに煌めかせながら、悠夜はにやりと、ちょっと悪そうな笑みを浮かべた。
「ふっふっふ……ここに焼いたマシュマロも浮かべるぞぉ……！」
「ああっ！　そんな……！　マシュマロも浮かべるなんて、悪魔的な……！」
　弓弦の方もノリノリである。けれど、小芝居はそこで打ち切られることになった。互いが、同時にぷっと噴き出してしまったからだ。２人分のくすくす笑いが、夜闇を優しく震わせる。と、
「くしゅんっ」
　悠夜が、くしゃみをして、「……ふふ、夜はまだまだ冷えちゃうね」と幾らか面映ゆげに笑みを零した。肌寒そうに自身の身体を抱く悠夜の肩に、そっと温もりが触れる。
「悠夜さん、これを」
「毛布？　ありがとう、弓弦さん」
「風邪を引いたら大変だものね……っくしゅ」
　言いながら、自分もくしゃみを一つ零す弓弦。ふふり、悠夜は愛おしげに微笑した。
「……一緒に入った方が良さそうだね」
「はは……じゃあ、お言葉に甘えて」
　照れ笑いをする弓弦にも、等しく積もる毛布の温もり。１枚の毛布に包まれていると、互いの温度が、冷えた身体に殊更に沁み渡る。悠夜は、そっと弓弦の肩に寄り掛かった。
「んー、なんだかまだ寝たくないなぁ」
「悠夜さん、それなら良いものがあるよ。ちょっと、足を延ばしてみようか」
　ぽつりと零された呟きを、弓弦が拾い上げる。ぱちぱちと瞳を瞬かせる悠夜。
「足を延ばすって、どこへ？」
「――夜の蒸気機関車へ」
　悠夜の問いに、弓弦は秘密っぽく口元に弧を描いた。

●夜空の旅人
「昼に少し見かけて気になっていたんだよ」
「そっか……蒸気機関車があるのは知っていたけれど、夜も運行してたんだね」
　悠夜と弓弦、２人だけを乗せて、蒸気機関車がレールの上を滑るように走り出す。席に着き、車内を見回しながらの悠夜の言葉を耳に、弓弦は機関車の窓をそっと開けた。窓の外を見遣った悠夜が、「わあ！」と感嘆の声を漏らす。
「すごい綺麗……まるで、星の海だね」
　半ばは身を乗り出すようにする悠夜の肩へと先ほどと同じように毛布を掛けて、弓弦も窓の外へと視線を遣った。幻想的なライトアップは、確かに、星の海を旅しているような錯覚を呼ぶに充分すぎるほどのものだ。
「――ああ、まさに夜空の旅だね」
　応じて、ほう、と息を吐く。そんな弓弦の肩に、悠夜がそっと毛布を掛けた。２人分の温もりが、また、１枚の毛布の中に。弓弦が、少しばかり驚いた顔で悠夜の方を見遣れば、そこには、星の海よりも眩い、うっとりするような笑顔があった。
「……ありがとう弓弦さん……いい夢が見られそうだよ」
「僕こそ……何時までも心地よい夢が見られそうだよ」
　２人は、共に夜空の旅路を辿る。２人で同じ毛布に包まり、互いの温度を確かに携えて。

依頼結果：大成功

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