●聖夜と賭けの狭間

　白い吐息、烟る紫煙が時折混ざり合い、窓に吸い寄せられるように消える。
アイリス・ケリー と ラルク・ラエビガータ は今、三人並んでも余裕がある程の一つの出窓にそれぞれ座っていた。
一方は立て膝で、酒と煙管。
一方は両膝をきちんと揃え、一切れのショートケーキと紅茶。
余計な物が無い簡素な部屋の中に、唯一他であまり見かけないのは煙草盆くらい。
そう、ここはラルクの部屋。

　出窓からうっすら感じる冷気も、スノーウッドの雪結晶模様をあしらったニットは優しく遮り、アイリスの体の芯に届くことはない。
（テーブルではなく出窓に腰掛けてなんて、少々お行儀悪い気もしますが家主が良しというなら良いのでしょう）
甘い味が広がった口内に何度目かの紅茶を流し込みながら、アイリスは自分と同じように外を見つめるラルクの横顔へと視線をやった。
『こんな椅子も無い部屋に女呼ぶ奴はそういないだろ』と歯を見せ笑った先程の表情を思い出す。

「正直、驚きました。ラルクさんの家に招かれるだなんて思いもしてませんでしたから」
「実際、呼ぶつもりは無かったんだが、ちょいと気が変わってな」

　今日はクリスマス。
俗世に流されるのもまた一興だと意見が一致した二人は、互いへのクリスマスプレゼントを買いに先程までイルミネーションに彩られた町に居た。
アイリスが今食べているショートケーキはつまりラルクからの贈り物。
贅沢に苺を散りばめた二人用のワンホールケーキ、そのひとかけら。
……一人で食う気か？
表情輝かせそのブツを選んだのを見て店頭でそう訊ねようとしたラルクだったが、
私へのプレゼントなんだから当然じゃないですか、とか、一度お腹いっぱい食べてみたかったんです、とか
そんな答えが返ってくる気しかせず、そっと口をつぐみ女王サマのお気に召すままに財布を開いたことを
一瞬遠い目で反芻してから。
視線をアイリスへと戻し、その後続いた自分の言動理由を追って伝える。

「賭けをするなら、お互いが同じだけ弱みを握ってた方が面白いだろ。家を教えたのはそういう理由だ」
「……なるほど。ラルクさんらしい理由ですね」

　外食後のプレゼントの贈り合いも済んだあたりで、では私はこれで、と分かれようとしたアイリスの背中にラルクは誘いの声をかけた。
今まで一度もラルクの家を訪ねたことが無かったアイリスは、特に用事が控えていたわけでもなかったため
好奇心も働いてお言葉に甘えついてきた、という流れだ。
ただ一つ、アイリスが疑問に思ったのが、自らが住む場所をラルクがわざわざ他人に教えるなんてらしくないような……ということだったが
その理由も今の台詞であっさりと納得するところとなった。

　自身の名前の花言葉に因んだわけでは無かったが、結果彼も楽しそうにその賭けにのってきた日のことをふと思い出す。
今、以前より二人の絆を深くしているのは、賭けという特殊な環境。ラルクへとその言葉を繋いだのはアイリスだった。

『貴方が私を壊せるかどうか』

　赤く染まった悪夢の中で、この人は自分を壊す存在なのだと確信してからも、距離をとるどころか自らその存在を受け入れた。
挑むようなそんなアイリスの賭けは、どこまでも己が興味を引いてやまない。
どうすれば賭けに、より一層面白みが増すかラルクは考える。
そして、趣向と言う名の分銅を動かし、天秤が釣り合うのを楽しむような行動を今日のように時々表すようになった。
ラルクのたった一言から、一連の思考が手に取るように伝わってきて、アイリスは苦笑いを漏らすのだった。

●温もりと共に重ねられるのは

「っと、忘れるとこだった」

　お邪魔させて頂いたわけですからご一緒にどうですか、と甘味に対する珍しい分け前台詞を聞くも
丁重にお断りしたラルク。
そのワンホールケーキが半分程減った頃、つと懐から何かを取り出し、それをアイリスの前に差し出した。

「手、出せ」

　言われるがまま、それでも不思議そうに首を傾げながら伸ばされた手のひらの上に、小さな箱が置かれる。
透明な蓋から透けて見えたのは、金の金具に赤い石。
アイリス、それを視界に捉えるとおもむろに口を開く。

「……これはピアス？　私へのプレゼントはこのケーキだったはずですけど」
「これはクリスマスプレゼントなんかじゃねぇよ。そうだな、所有印みたいなもんだ」
「所有印、ですか……」

　彼の瞳と同じ色をしたピアスをアイリスは今一度じっと見つめた。
ラッピングなぞされていない容器の中、黒地の布の上に無造作に置かれた石は、余計な色が無い分
逆に赤さが引き立って見えて。
――　まるで紅い呪縛。
自分を暴く瞳の色。上書きする血の色。あの悪夢をみた時から、すでに囚われ始めていたのかもしれない、と。

「貴方はやっぱり酷い人です。私に縛られる気なんてないくせに、私を縛ろうとする」
「不服か？」
「不服じゃないから嫌なんです」
「だろうな」

　賭けが不公平になってしまうから、みなまでは言わないけれど。
笑うアイリスを見て、ラルクは満足そうに目を細めた。

「アンタはそうやって笑うような女だ。だから俺も気に入ってる」
「知ってます」

　きっぱり告げられても益々愉快そうに緩む表情を見ながら、アイリスは思う。
（私からのプレゼントはラルクさんが今飲んでるお酒でしたけど……）
プレゼントなどではないとは言われても、追加で物をもらっていることに変わりはなく。

「別にもう一つ、用意した方が良かったですね」
「そういうとこ真面目だよなアンタ」

　それがアイリス自身の性質なのか、アイリスを縛る影によるものなのかは分からないが。

「そうさな、もう一つくれるっつうんなら月に連れてってくれ」

　しばしの思案顔を向けたラルク、何でもない台詞かのようにさらりと口にした。
アイリスの目が微か見開く。
――　意味は分かるだろ？
そう確信して言っているように見えた。
一人分の空白があって互いに座っていた位置を、アイリスは隙間を埋めるようにラルクの方へ身を寄せていく。

「……この程度でよければ喜んで」

　いつかの日とは違い、今度はアイリスの口から遠慮の旨は紡がれなかった。
代わりに控えめに、けれどいつもの作ったような笑顔で無く、冷気を纏い荘厳にすら感じさせる程美しく微笑む姿を見て
は……とラルクの口からも笑みが零れる。
そうだ。そういう顔をもっと見せりゃいい。

　広い手の甲にそっと自身の手を添えようとして……
コツン、とした異物感が細い指にあたると、アイリスは一瞬視線を下げる。視界に入ったのは指輪。
『不幸や悲しい状況に陥っている人を問答無用で助けたいと考えるようになるとされている』
そんなおまじない効果を聞いては、俺にあまりに不似合いでいっそ清々しいだろ、なんて、そういえば面白そうに言っていたような。
――　本当ですね。貴方に似合わない感じが、むしろ似合って見えるのかもしれません。
助けられたいわけじゃない。
進んで壊れたいわけでもない。
ただ貴方と居ることで、この先自分がどうなるのか知りたいと思ったから。貴方でないと知ることは出来ないと　そう思ったから。
笑うジャックのリングを覆うように、アイリスは手に手を重ねた。
ラルクは何も言わず、ただ弧を描いた口を形作ったまま彼女のすることに身を委ねる。

　顔を寄せると、煙管の香りが、甘い苺の匂いが強まってくれば、紅と翠の両の目が自然と閉じられ……
曇った窓ガラスが重なった二人の影を隠した。
唇に触れる温もり。
――　もしかしてこれは新たな枷なのでしょうか……。
そう思っても、きっともう遅い。言葉にしてみたところで、無言のまま細められる赤い瞳しか浮かばない。
うっすら開いた翠の片目に映るは、月とそれに照らされた金糸、その間に瞬く星たち。
手を添えて
キスをして
これで、星々の春を貴方となら見てみたいなんて思ったら、貴方の思うツボなのでしょう。
途方もなく、他愛もないことだと、翠の奥へ潜ませればアイリスの瞼は再び閉じられるのだった。
その手にしっかりと赤い呪縛を握り締めて……。

　冬が終われば春は必ず訪れる。けれど、あの月と星に春は在るのかは
宙（そら）に還る雪たちだけが知っているのかもしれない　――。

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