桜倉 歌菜は月成 羽純の仕事が終わるまでに料理を作ろうと、自宅のキッチンを借りて奮闘していた。
　というのも、羽純の仕事場は自宅と併設されているカクテルバー。
　仕事が終わったら、温かい食事を食べながらゆっくりして欲しい――今日はクリスマス、特別な日なのだから。
「チキンもグラタンもいい感じの焼き加減だね、ケーキも仕上げに粉砂糖を……」
　歌菜は鼻歌交じりに料理を作っていく。
　メインのローストチキンに冬野菜たっぷりのグラタン、クリームシチューもじっくり煮込んで野菜やお肉も柔らかく仕上がっている。
　お口直しにはシンプルなディップサラダで、デザートに苺をふんだんに使用した真っ白いケーキ。
　粉砂糖を振りかけるとまるで雪化粧を帯びたようで、ホワイトクリスマスにぴったりの出来上がりとなった。
「これで完成、っと……ふぅ」
「歌菜？」
　不意に声をかけられて歌菜はビクッ！　と、身体が跳ね上がりそうになる。
　驚いて振り返ると、そこには同じく驚いた顔を見せる羽純の姿。
「大丈夫か？」
　どうやら一息を吐いていたところを見ていたらしく、羽純は心配そうに見つめてくる。
「大丈夫だよ！　 えっと、おばさんは？」
「母さんなら仕事前に食事も済ませたから、今日はもう寝るって」
　どうやら気を利かせてくれたらしい羽純の母に少々申し訳なく思いつつ、歌菜は内心ホッとした。
　しかし、これから羽純と二人きりで過ごすのかと思うと緊張がこみ上げてくる。
　そんな歌菜の心情を知ってか知らずか、羽純は頬を掻きながら視線を下げた。
「その、俺の都合に合わせて貰って悪かったな……眠くないか？」
「眠くないよ、今日はお昼寝したし！ 　羽純くんも遅くまでお疲れ様、すぐ用意するから待っててね」
　歌菜がテーブルに持っていく準備をしようとすると、羽純がオーブンの前に立つ。
「俺も手伝うよ、歌菜もずっと料理して疲れているだろう？ 　一緒に用意すればすぐ終わるから」
　これだけの料理を長時間、一人で作っていたのだ。
　端から端へ行ったり来たり、右往左往していたのだろうと容易に想像出来る。
　歌菜は羽純の申し出に甘えることにして、オーブンからローストチキンとグラタンを持って行ってもらう。
　次第に、リビングのテーブルには歌菜の愛情がたっぷり詰まったディナーが並び、温かい食卓が作り上げられていく。
「シャンパンで乾杯しようか、もちろんノンアルコールだぞ？」
　料理を並べた最後に、羽純は冷蔵庫からシャンパン風の炭酸ジュースを取り出してグラスに注いでいく。
　ボトルから注がれていく金色の炭酸の泡が光を受けてキラキラと煌めき、星屑を閉じ込めたようにテーブルの片隅に淡い光を差し込む。
「羽純くん、誕生日おめでとう！」
「歌菜も誕生日おめでとう」
　歌菜と羽純は１２月２３日生まれ。先日迎えた互いの誕生日を祝いながら乾杯。
　グラス同士のぶつかる繊細な音が、二人のクリスマスの始まりを告げる。
　炭酸ジュースに一口つけると、羽純はクリームシチューを口に運んでいき、歌菜はドキドキしながら羽純の様子を伺う。
「美味い、優しい味がする」
　羽純の言葉に歌菜も安堵して嬉しそうに笑顔を見せる。
（よかった、そう言ってもらえるだけで幸せだよ）
　頑張って作ってよかった。歌菜の幸せそうな笑顔につられて羽純もフッと笑みをこぼす。
　心も体も温かく満たされていくディナーに舌鼓を打ちながら、幸福な時間は過ぎていく。

　＊＊＊

（どうしよう、いつ切り出そうかな……）
　食事を終えて、談笑しているうちに歌菜の心臓はバクバクと騒いでいた。
　緊張で高鳴る鼓動は、周りに聞こえているのではないのかと感じさせるほど。
（今日は決心してきたのに……羽純くんに告白する、って）
　バッグの中にある赤い包装紙と緑のリボンで包んだプレゼント、中には手編みの手袋。
　食事が終わったら、プレゼントと一緒に切り出そうと考えていたものの――。
（でも、羽純くんは……受け入れてくれるのかな）
　好きだと言ってしまったせいで、今の幸せが壊れてしまったら？
　歌菜の中でさまざまな感情が湧き出て、複雑化していき、思考が落ち着きを無くしていく。
「どうした、歌菜？」
　そわそわしている歌菜の様子が気になり、羽純が顔色を窺う。
　ギクリと体を強ばらせる歌菜は、緊張のせいか、上手く言葉が出てこない。
「あ、の、なんでもない、よ」
「そうか？ ところで」
『Ｐｌｕｌｕｌｕ――』
　羽純の言葉を遮るように、電話から電子音が鳴り響く。
　母がすでに就寝してしまったこともあり、羽純は一言断りを入れて席を立つと受話器をとる。
「もしもし、月成です……あ、先ほどはありがとうございました、はい……今からパーティに？」
　どうやら相手はバーの客で、パーティの誘いを受けているらしい。
　電話をしている間も、歌菜は悶々と考えを巡らせていく。
（……嫌だよ。やっぱり怖い）
　自分の『今』は両親と、羽純の父の犠牲の上に成り立っている。
　……１０年前、幼い歌菜を救い出そうとして、羽純の父は帰らぬ人となったのだ。
　告白して、踏み出した一歩が均衡を崩してしまうのではないか、重い枷となっている罪悪感が歌菜の心を蝕み、絡みついてく。
　今の関係が崩壊するなんて嫌だ。それなら、いっそ――
（今のままで、いいんじゃないかな）
　高望みなんてしない、せめて羽純くんの傍に居ることを許して欲しい。
　決心は揺らぎ、なりを潜めていく。
「すまない、丁重に断ってきた。それで……歌菜？」
　席に戻ってきた羽純は歌菜が俯いたまま視線を上げない様子に眉を顰める。
「ごめんね、今日はもう帰る」
　震えそうになる声を懸命に抑えながら、歌菜はゆっくりと席を立つ。
「帰る？ こんな夜遅くに一人で出歩くのは危険だ、送っていく」
「……いらない、一人で大丈夫だから」
　普段の歌菜から想像できないほど、冷たく突き放す言動。様子を窺っていた羽純は立ち上がると、歌菜の傍に近づいていく。
（私に……羽純くんに告白する資格なんて、ないんだ）
　今にも泣き出してしまいそうな自分を叱咤しながら、歌菜はバッグとコートを取ると外へ飛び出そうとする。
「歌菜！」
　羽純は歌菜の手首を掴むと、強引に壁に押し付け、両手で囲い追い詰める。
「俺が大丈夫じゃない」
「ど、どうして……！」
　追いかけて欲しくない、今は一人になりたいのに！
　歌菜はいやいやと首を振りながら視線を下げたまま、上げようとしない。
「話があるんだ」
「嫌、聞きたくない！」
「俺の目を見ろ。悪いが……もう待てない」
　耳を塞ぎたいのに、言葉を受け止めたくないのに、羽純がそれを許さない。
　暴れる歌菜に対して、羽純はまっすぐ見つめて口を開いた。
「俺は一人の男として、歌菜が好きだ」
「――え？」
　耳を疑った。羽純くんはいま、なんて言ったの？
　ようやく視線を上げた歌菜に向かって、羽純は不安に揺らぐ青い瞳を見据えて、もう一度告げる。
「一人の女性として、お前を愛している」
　……歌菜は驚きのあまり、腰が抜けてずるずると壁伝いにへたり込んだ。大きな瞳からぽろぽろと大粒の涙が零れていく。
「は、すみ、く」
「伝わっていると思っていたが、言葉に出さないと伝わらないものだな」
　不安にさせて済まない。そう言って羽純は懐から手のひらサイズのプレゼントボックスを取り出す。
「渡そうと思ったら、電話に邪魔されるし」
　危うく渡し損ねるところだったと苦笑しながら、羽純は歌菜の手を取るとぽんと載せる。
　恐る恐るリボンをほどいていくと、中には指輪が入っていた。
「……う、っく、ひっ」
　こみ上げてくる嬉しさに、胸がいっぱいで言葉が出ない。
　嗚咽を漏らしながら歌菜が羽純の背中に手を回すと、羽純も抱きしめ返してくれた。
「ひ、っふぅ……羽純くん、これ」
　泣き腫らした瞼をこすって歌菜はバッグからプレゼントを取り出す。
　羽純は差し出されたプレゼントを受け取ると丁寧に包みを開いていく。
　手編みの手袋を早速つけてみると、羽純の手にぴったりの大きさで、白い手を優しく包み込む。
「ありがとう、歌菜……これからも宜しくな」
　歌菜の両手をギュッと握りしめて羽純が微笑を浮かべる。
　羽純のまっすぐな言葉に、歌菜は潤んだ瞳で笑顔を返す。

依頼結果：大成功

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