――さらさらと、静かなせせらぎの音が洞窟の中に木霊していた。耳朶を優しく揺さぶるその音色に耳を傾け、成程やすらぎの水中洞窟とはよく言ったものだと、アルベルトは思う。
（遺跡とか、こう言う昔の遺産は大好きなの）
　そう言って瞳を輝かせた月野　輝は、今回発見された神秘の遺跡でのひと時にも大層乗り気なようで――とりわけ水中を歩けると言う洞窟湖が、滅多に無い経験を味わえそうで面白いと彼女は思ったようだ。
「折角だし、私はここに行ってみたいわ」
　長身のアルベルトの顔をちょっと見上げる、輝の上目遣いの仕草が愛らしい。大人びた佇まいで、頼りにされることも多いと言う彼女だが、その実内面は非常に女性らしくて可愛らしいのだと――アルベルトはとっくに気付いている。
（……やはり、輝のお願いには弱い）
　きっとダメとは言わないと、此方に信頼を寄せてくれている彼女が無邪気で、何よりも愛おしかった。しかし先日、結婚の報告をしに両親の墓参りを済ませたばかりで、その矢先にこの遺跡の話となれば――目的は自然と『結婚の儀』になると思ったのだが。どうやら輝はすっかり、神秘の遺跡に心を奪われているらしい。
（おそらく、結婚の儀の事など頭に無いのだろうが）
　けれど、それも彼女らしいかとアルベルトは頷き、折角だから――と輝の耳元で囁く。
「私は別に構わないが……共に結婚の儀もしてみないか？」
「……っ！」
　お願いを聞いてくれたアルベルトに喜ぶ輝だが、続けて発せられた『結婚』と言う言葉に、彼女の心臓がどくんと跳ね上がった。驚いたように目を見開き、みるみる内に真っ赤に染まる顔――それでも嬉しくて微笑みを隠せない彼女の姿に、アルベルトの愛おしさが募っていく。
「ここで結婚式を……？」
　かつてのウィンクルム達が行ったそれは、今の様式とは違うものだと分かっていても、やはり神聖な儀式への憧れは在る。結婚式はまだ、もう少し先だと思っていた輝はドキドキを隠せずにいて――それでも先ずは遺跡を楽しもうと、ふたりは一緒に水中洞窟の中へと潜っていった。

「わぁ……不思議な感覚……」
　――衣服も濡れること無く、呼吸も地上に居る時と変わらない。けれど緩やかに流れる水に抱かれ、澄んだ視界が時折幻想的に揺らめく光景は、水の中でしか味わえないもの。水面より更に頭上に広がる恋慕石柱――愛の力を受けて様々な色に輝く鍾乳石の光が、水底をゆらゆらと照らし、アラベスクのような模様を幻想的に描いている。
「ほら、見てアル――」
　そうして風に揺れ、きらきらと星のように輝く水面はふたりの絆の証――トランス時に纏うオーラのようだと、輝がアルベルトに伝えようとした所で、不意に此方を見下ろす金の瞳と目が合った。
（あ、何だか、いつもより穏やかな顔、してる……？）
　それは、かつて浮かべていた貼り付けたような微笑なんかじゃなくて、本当に心の底から安らいだ笑みのようで――輝の手からはらりと、集めていた夢想花の花弁が零れ落ちていく。
「……ああ、綺麗だな」
　と、アルベルトは其処でようやく、頭上を照らす水面の光に気付いたようだ。口にしたら揶揄われるだろうかと、彼にしては珍しく躊躇する――自分はずっと、隣で夢想花を摘んでいく輝の姿を追いかけ、夢中になっていた。それだけで心が静かに満たされるのだ、と。
（輝と再会するまでに被っていた、笑顔の仮面……。しかし、真実の笑顔の前には何と脆いものか）
　――その仮面も彼女が傍に居てくれれば、もう二度と被る事はあるまい。けれど、意地悪なからかいは今までと変わりなく口を吐いて、彼女からは『腹黒眼鏡』呼ばわりされるだろうが。
「何だかアル、楽しそうね？　……ちょっぴり含むものも感じない訳ではないけれど」
　何やら楽しそうに此方の様子を見守る彼に、輝はわざとらしく頬を膨らませた。しかし、本当に怒っている訳じゃない――こう言うやり取りが変わらず出来ることが、彼女には何よりも嬉しいのだ。
（ねえ、アル。私があなたの支えになれているのなら――）
　嬉しいと囁く声は、ふわりと水の泡に変じ――その想いを閉じ込めたまま、水面に浮かんでぱちんと弾けた。

　夢想花を集めながら水底の洞窟を歩き、ひとつまたひとつと花を選んでブーケを作っていく。まるでそれは、遺跡をめぐる厳かな巡礼のようだった。
（よし……）
　大切なひとを想いながら、かつてのウィンクルム達も手を取り合ってこの地を歩いたのだろう。夢みるように色彩を変える花々を摘み取ったアルベルトは、器用にブーケを作り終えてから改めて輝と向き合った。手にしたブーケを彩る花は、清廉さを湛えた白が多く――その中にほんのりと、あたたかな色合いの花が混じっている。
　――これは、ふたりで選びかたちにした誓いの証。
　輝、とアルベルトは、かけがえのない最愛の神人――幸せの象徴であるうつくしき女性の名を呼んだ。
「生涯、私の側にいてくれるか」
　想いをこめて伝えたのは、これからずっと共に歩んで行きたいと言う切なる気持ち。揺らめく神秘的な水中で差し伸べた手が、その指先が触れ合い――確かなぬくもりを伝えて誓いのブーケが輝に手渡された。
　ああ、と微かな吐息と同時に、鼻腔をくすぐるのは優しい花の香り。静かな水底でたったふたり、天上から差し込む淡い光に照らされて、輝とアルベルトの結婚の儀は今ここに執り行われる。
「勿論よ、アルの事は一生私が守ってあげる」
　ふふっと笑ってブーケを受け取った輝は頷き、やがてそっと、目を瞑って顔を上げた。自分はもう『初恋のお兄ちゃん』と、淡い憧れで彼の背を追いかける子供では無い。共にこれからを生きていく生涯の伴侶として、ずっとアルベルトの側に居よう。
（そう、これは誓い）
　閉じた視界の中、そっと目の端に滲んだのは、喜びの余り零れた涙の欠片だろうか。高鳴る心音がうるさい位に感じ取られて――其処にふわりと落とされたのは、優しくも情熱的なアルベルトの口づけ。唇同士が触れ合う様子は、まるで暗闇の中に灯がともされたようで。あたたかな気持ちになると同時、その甘さに輝の心は浮きたち、幸せで胸が一杯に満たされたような感覚になる。
「離さないわ、私はアルとずっと一緒にいる」
　そして名残惜しくも唇が離れていった後、自分に言い聞かせるように輝は瞬きを繰り返し、誓いの言葉を確りと口にした。
　――けれど。この幸せが、いつか喪われるかもしれないと思うと怖くなる。時折、輝は不安になるのだ。アルベルトは狡猾そうでいて、その実己の想いを貫くことに躊躇いを見せないだろうから。
　故に輝の、自分の為ならアルベルトは平気で命を投げ出すのではないか――ウィンクルムとして命がけで戦う自分たちに、その時がいつ訪れようともおかしくないのだ。
（ううん、そんな事は絶対にさせない……！）
　心に秘めた誓いを新たに、輝はアルベルトと静かに見つめ合う。恋人同士の甘い関係も、背中を預けて戦う戦友のような関係も、軽口を言い合う気が置けない関係も――どれも自分たちに相応しい、相手が居てこそ成り立つものだ。
（ね、だから……アル。生き抜きましょう）
　ありったけの想いを込めて、輝は逞しいアルベルトの背に腕を回し、その身体をぎゅっと抱きしめた。
　――病めるときも、健やかなときも。自分たちはふたりで困難に立ち向かい、共に乗り越えていこう。片割れの為に生命を散らすことなく、比翼の鳥のようにどこまでも、ふたりで空を渡っていこう。
（そう、死が二人を分かつまで）
　――いつか訪れる最期のときを、ふたり笑って迎えられるように。

依頼結果：大成功

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