プロローグ
旧タブロス市街にある、『ウェディングハルモニア』には、地下へと繋がる道が秘匿されていた。演習の折、偶然に見付けられたものではあったが、その先には神秘的な鍾乳洞の遺跡が、静かに、穏やかに、何かを待ち詫びていた。
*
A.R.O.A.が頻発する苛烈な戦いの中で、僅かでも休養をと考え、新たに今回発見された鍾乳洞の遺跡で休息を提案した。
「我々の調べた限りですと、この遺跡はかつて、ウィンクルムたちが結婚の儀を執り行っていた場所であることが分かっています」
そういった神聖な場所だからこそ、愛を深め、休息になるのでは、と職員は続ける。
「多くを確認はしていませんが、非常に美しく、神秘的な遺跡です。
また、中央付近に存在している石碑によりますと、この遺跡で愛を伝えると、より深い愛情に包まれるそうです」
「結婚の儀?」
ウィンクルムが問う。
「はい。遺跡内には『夢想花』と呼ばれる花が咲いており、その花で作られたブーケをパートナーへと手渡し、
想いのこもった言葉、愛の言葉を伝え、身体のどこかに口付けをする――と言ったものです。
現代の結婚式などとはだいぶ違っていますが、あくまでも愛を深めるための儀式だと思ってください」
「とは言っても、遺跡で唐突にそんなこと、さすがにできないだろ」
意を決して、それだけを行いにいくと言うのはなかなかに勇気がいる。
しかし、職員はここぞとばかりに、この上ない良い笑顔を作った。
「ご心配には及びません。デートスポットは充実しています……!」
熱がこもり始めたのは、気のせいだろうか。
ウィンクルムの懸念をよそに、職員は話を続ける。
「まずは『せせらぎの洞窟湖』です。
透明度の高い水が一番の見どころです。高い水温のおかげで水遊びもできますし、水辺で寛げる椅子も、大自然の粋な計らいで完備されています。
次に、『夢想花の園』です。
先ほども申し上げた通り、ブーケとしても使われる夢想花が生い茂っています。ぽかぽかと春の日差しのような花園でピクニックなど如何でしょう。
次に、『エンゲージ・ボタルの洞窟』です。長いので蛍洞窟としましょう。
せせらぎの洞窟湖から流れる川を小型船で移動しながら、星空の如きエンゲージ・ボタルと、『恋慕石柱』が連なる洞窟を見渡せます。
どんどん行きましょう。
次は『やすらぎの水中洞窟』です。 せせらぎの洞窟湖の水底に開いた洞窟で、ウィンクルムが潜る場合は道具不要、水濡れなく安心して潜ることができます。
呼吸の心配も不要です。100ヤード先が見渡せる水中を探索なんて、素敵だと思います。
続いて、『恋知り鳥の大穴』です。
全長500m、幅30mほどもある大穴です。壁から生えた、色とりどりのクリスタルが見どころです。
かなり高い場所から飛んでいただきますが、ウィンクルムがジャンプする場合、途中で一気に減速して着地に不安はありません。飛ぶ勇気だけです。
まだまだありますよ。
『恋慕石柱のプラネタリウム』です。恋慕石柱としましょう。長いものは略していくスタイルです。
夢想花で自然形成された椅子から、恋慕石柱とエンゲージボタルの織り成す幻想的な景色を眺めることができます。
ほかの場所よりも比較的暗くなっていますので、夜空を眺める気分が楽しめそうです。
最後に、『時雨の愛唄』です。
青い夢想花が咲き誇り、青の空間が広がる神秘的な空間です。
恋慕石柱も青っぽく、鍾乳洞特有の、滴る水滴までもが青く輝く空間となっています。
以上の、多彩なデートスポットをご用意しておりますから、唐突に、前触れもなく愛を叫び出すことはまずないと思ってください。
そうなった場合は、どうぞ自己責任で……」
語尾を濁した職員だったが、今回のデートスポットには相当の自信を持っているようだ。
「古のウィンクルムが執り行った婚礼の儀になぞらえながらの神秘的な遺跡を探索デート、なんていうのも乙だと思います」
普段とは違った景色を眺めてのデート。
二人の距離が近づきそうな、そんな予感がする。
プラン
アクションプラン
紫月 彩夢 (紫月 咲姫) (神崎 深珠) |
|
③ 水中洞窟 …何よ。二人して あたしの希望よ。文句あるわけ? はい、判ったら手出して。ほら二人共出しなさいってば それぞれの手と繋いだら即飛び込む。問答無用よ 時間には注意しながら、それでもゆっくり景色を堪能したい 勝手に離れていかれても困るから、二人の手は繋いだまま 良いじゃない、たまには。三人でも 綺麗で神秘的な光景、二人だけで見るには広大過ぎるもの 水底から水面を見上げて、ゆらゆらしつつ そういえば深珠さん、あたしたちって、恋人って言っていいの? 賛成しろとも言わないけど、ちゃんと認識して欲しかったのよ …咲姫が、安心できるように…なんてそんな理由じゃなく、さ あたし、幸せな花嫁さんになるつもりよ 約束、するわ |
リザルトノベル
●特別な約束
ウェディングハルモニアの地下通路の先にあった遺跡は、かつてウィンクルム達が愛を深める結婚の儀をした場所だった。
ここは、やすらぎの水中洞窟への入り口でもある、せせらぎの洞窟湖のほとりだ。どこまでもクリアな水面に夢想花の色彩や恋慕石柱の光が映り込み、見事な景観を作り出していた。
「へえ。なかなか素敵な眺めじゃない」
『紫月 彩夢』は、そこにいた。
『紫月 咲姫』と『神崎 深珠』の三人で。
「……」
「……」
地下の湖をのんびり眺めている彩夢と、お互いに気まずそうな表情で立ち尽くす咲姫と深珠がそこにいた。
咲姫は、こんなことは聞いていないとばかりに、困り顔で深珠を問い詰める。
「ちょっと神崎さん、どうして二人っきりでって言わなかったのよ」
深珠の方も、三人でウェディングハルモニアの地下遺跡に来るという状況には、多少なりともプレッシャーを感じていた。
「彩夢、兄妹水入らずでも、俺は構わないんだぞ……?」
別に、咲姫と深珠の仲が悪いというわけではない。以前よりも双方の人柄を理解して、和睦にいたったといえる。
それでもまだ咲姫と深珠の間には、微妙な緊張感があるのもまた事実である。
「……何よ。二人して」
歯切れの悪い言葉で益体も無いやり取りをしている二人の精霊に、彩夢が冷ややかな視線を向ける。
「あたしの希望よ。文句あるわけ?」
二人に有無を言わせないツンとした口調で、彩夢ははっきり自分の思いを述べた。
「いや、彩夢が望むのなら……嫌なわけでは、ないし」
深珠は遠慮がちに頷いてから、咲姫に改めて会釈をした。
「嬉しいけど……うん、嬉しいよ、ありがとう、彩夢」
咲姫はやや思うところがある様子だったが、その感情はひとまず飲み込んで、今日は三人での休暇を過ごそうと決めたようだ。
こじれかけていた会話をたった一言で終結させる。彩夢の言葉はまさに快刀乱麻だ。
「はい、判ったら手出して」
自分の両手を軽く突き出しながら、彩夢がそう言った。彼女の視線は、咲姫の顔と深珠の顔に交互に向けられている。
「ええと……急に手を出せって言われてもな……」
「ほらほら、神崎さん。早く手を出して?」
「……咲姫もよ」
どちらも変に相手に遠慮しているのか、なかなか手を伸ばせずに躊躇している。
「ほら二人共出しなさいってば」
業を煮やした彩夢に強く促されて、二人共手を伸ばす。それぞれの手と、彩夢はしっかりと手を繋いだ。
そして即水中に飛び込む。
当然、彩夢と手を繋いでいる二人も引っ張られる。
まさに問答無用である。
これからいったい何をするのかという疑問を抱く猶予すら与えない、そんな大胆さだった。
「って、ちょっと心の準備くらいさせ……!」
咲姫の悲鳴は水の中へと消えていった。
湖のさらに奥には、やすらぎの水中洞窟がある。そこでは、ウィンクルムであれば水中でも息ができ、衣類も濡れることはないのだという。
勢いのまま飛び込むことになったが、咲姫もこの不思議な水中洞窟が気に入ったようだ。ロングヘアとスカートを水の流れになびかせながらゆらゆらと気ままに漂う。
深珠は空いている方の手を伸ばして、水中に差し込む光に指を遊ばせる。水があまりにも透明なので、光の柱や泡の動きがなければ、まるでガラス細工の中にいるような錯覚に陥る。
なんだかんだで、二人も水中洞窟を満喫している様子だ。
(飛び込んでからの時間経過は……)
彩夢はまめに時間を気にしていた。勢い任せのように見えて、細かなところまでしっかり考えていて責任感もある。なお、勝手に離れていかれては困るので、二人と繋いだ手はぎゅっと握って放さない。
A.R.O.A.職員から説明された遺跡の情報によれば、だいたい一時間ちょっとはこのまま水に潜り続けていられるはずだ。潜水できる時間の長さも、そのウィンクルムの絆の深さと密接な関係があるという話だった。
(うん、まだ大丈夫そう)
まだ時間には余裕がある。
じっくりと神秘的な景色を堪能することができそうだ。生身の体で水の中にこんな風に長時間潜っていられるなんて、他の場所ではそう体験できないことだから。
彩夢は目に映ったもの一つ一つを今日の思い出としてしっかりと心に刻みこむ。
(良いじゃない、たまには。三人でも)
繋ぐ手に力を込めて、彩夢は澄み切った水の中を進んでいく。発光する不思議な鍾乳石、恋慕石柱が放つ光の恩恵は、この水中洞窟にまで及んでいる。クリアな視界で見る水の世界は、幻想的で美しかった。
彩夢の口元に笑みが浮かぶ。
(綺麗で神秘的な光景、二人だけで見るには広大過ぎるもの)
ゆっくりと降下して、音もなく水底に降り立つ。マリンスノーに似た白い砂が、彩夢達の足先でかすかに舞い上がる。水底から水面を見上げれば、ゆらめくさざ波。
そうしてしばらくの間、水に身を委ねてゆらゆらと。
水面を見上げていると、くいくいと咲姫が彩夢の手を引いてきた。
咲姫の身振りから察するに、何か面白いものを見つけたようだ。手を繋ぎながら、咲姫に一時的に先導してもらう。
咲姫は優雅な動きで、上の方へ上の方へと泳いでいく。
(そのまま進むと、水面まで出ちゃうんじゃ……? もしかして息継ぎがしたいの? でも、特に息が苦しそうってわけでもなさそうね)
不思議に思いながらも、咲姫の進む先についていく。
パシャッと涼し気な水音を立てて、全員の顔が水から空気の中に出た。
「ここには空気があるのね。あー、あー。……ふふ、変なの。声が反響して聞こえる」
「すごいな……地底湖のエアポケットか」
どうやらここは空気の溜まり場になっているらしい。わりと広々としていて、空気の量も充分ある。ここなら、のんびりできそうだ。
このまま顔だけ出して三人でぷかぷかしているのも良いし、腰をかけられそうなスペースもある。どちらにせよ、話をするのには困らない空間だ。
「絶景だ。冒険のロマン溢れる秘密基地っていう雰囲気があるな……。よくこんな場所を見つけられましたね、紫月さん」
深珠にそう言われ、咲姫はちょっとだけ得意気に微笑む。
「うん。さっき見上げた時に、ここだけ水面の様子が違ってたから気になったの」
天井には光輝く恋慕石柱。鍾乳石の先から落ちるドロップで、水面に雨が降っているように見えたのだろう。
「そういえば……」
彩夢が考え事をするように、軽く首を傾げる。
「ん? 彩夢も何か面白い発見をしたのか?」
「あら! 見てみたい! 彩夢ちゃん、案内してくれる?」
精霊二人は、発想がすっかり探検モードになっている。
しかし彩夢が口にしたのは、二人の精霊が予期していなかった質問だった。
「深珠さん、あたしたちって、恋人って言っていいの?」
かなり突っ込んだ彩夢の質問に、その場の空気が張り詰める。水中探検でだいぶ和やかになってきた咲姫と深珠の関係だが、ここにきてぎこちなさがぶり返す。
「彩夢……あのな、その、それはいま、言うべきことか……?」
クールな深珠だが、さすがに動揺を隠せない。視線が泳いでしまう。彩夢の口から出た恋人という言葉に不意打ちをくらい、ドキリとした。
「彩夢……あのね、俺が居るところでその質問は、酷じゃないかな……?」
私、ではなく、俺。咲姫はそう言った。いつもの女性的な言葉遣いをやめて、兄として発言する。
咲姫はその赤い瞳をふっと深珠の方へと向けた。兄妹だけあって、彩夢によく似た咲姫の瞳。
「けどまぁ、それだけ盛大に照れておいて違うとは言わせないよ」
咲姫はそこで一度黙った。深珠の返事を待っているのだ。
彩夢も、じっと深珠の顔を見つめている。
紫月兄妹から赤色の視線で注目をあびて、深珠はますます緊張で身を硬くした。
プレッシャーを感じながらも、深珠は質問を煙に巻いたりはしなかった。偽りのない自分の思いを口に出して表明する。
「い、一応、そのつもり……です」
そしてこう付け加える。
「まだ、俺より彩夢の方が、気持ちの面でも上だと思うが」
「……へえ……」
その返事を聞いて咲姫が目を細める。それは美しいが冷淡な目つきだった。深珠に対して疑いの念を抱いていることを態度で示す。隠したりはしない。
でもそれは、怨恨や憎悪というほど凶悪な感情ではない。あくまでも、ただ不信感があるというだけだ。
「……以前にね、君が彩夢との結婚式で彩夢を殺す悪夢を見た」
わざと不吉な話題を持ち出して、咲姫は深珠の精神に揺さぶりをかける。深珠の本心を見定めようとするかのように。
「……」
そう言われると、深珠は何も言えなくなる。
夢とはまた別に、現実に起きたことでも深珠は咲姫から恨まれるだろう心当たりがあった。
「だから俺は君のことを、まだ少し疑っているよ」
「……紫月さんが俺を疑うのは無理も無い話だろう」
実際、敵に寄生されていたとはいえ深珠は彩夢を斬ったのだから。
重い沈黙を切り払う彩夢の声。
「賛成しろとも言わないけど、ちゃんと認識して欲しかったのよ」
その声には、若干苛立ったような険があった。
なだめるように咲姫が苦笑を浮かべる。
「怒らないでよ、彩夢。俺は過保護なんだ」
彩夢に向ける咲姫の眼差しはやわらかく、さっきまで深珠を問い詰めていた時とは全く目の印象が違っていた。……咲姫自身、重度のシスコンだと自覚しているだけある。
咲姫は、彩夢と深珠の二人に視線を向けた。
「だからね、何度でも証明してほしい。彩夢が選んだ彼の愛を」
咲姫には嫉妬の気持ちなどはない。
兄として、妹の彩夢の幸せを願っている。
深珠はそんな彩夢が選んだ異性だ。できれば信頼したいと思っている。
それだけだ。
「二人の幸せな姿を、俺に、見せて」
(この、紫月さんの前で愛を誓うような流れ……)
見たところ彩夢も咲姫も平然としており、こんなに照れているのは深珠だけだ。
(流石に兄妹だな……照れてるのは俺だけじゃないか……)
深珠は頭上に輝く恋慕石柱を見上げた。この場にいる三者の気持ちに呼応してか、神秘の鍾乳石は赤、紫、青と鮮やかな光を織りなす。軽く火照った頬の色を赤い恋慕石柱の光がどうにか誤魔化してくれはしないかと期待した。
(踏み込ませないくせに、どうしてこう踏み込んでくるんだ、彩夢は)
彩夢から自分への態度は、どうも一線置かれている気がしてならない。深珠はそのことが少し不満だった。
相変わらず彩夢の真意はつかみにくく、彼女の思惑は底知れない。
「……ふふ、そんなに照れないで頂戴、神崎さん」
咲姫はいつもの女性的な口調に戻っていた。
「彩夢ちゃんは男前なんだから、そんなんじゃ持たないわよ?」
ややイタズラっぽく妖しい微笑だったが、咲姫の言葉からは励ましと親しみの気持ちが伝わってきた。
(……はぁ。落ち着こう)
深呼吸。
考えを整理して、心を落ち着けて、ちゃんと彩夢と咲姫の顔を見て。
そして告げる。
「……彩夢に、後悔はさせない。俺との適合が運命だったんだと……証明、します。だから……見守っていてほしい」
誠実な宣誓。
「ええ、もちろん」
満面の笑みで頷いている咲姫に、彩夢がちょっとだけ口をとがらせる。
「……咲姫が、安心できるように……なんてそんな理由じゃなく、さ」
深珠の誓いに負けないほどの思いを込めて、彩夢もまた一つの約束を口にする。
「あたし、幸せな花嫁さんになるつもりよ。約束、するわ」
古の遺跡の中で、神聖な愛の約束がかわされた。
ウェディングハルモニアの地下通路の先にあった遺跡は、かつてウィンクルム達が愛を深める結婚の儀をした場所だった。
ここは、やすらぎの水中洞窟への入り口でもある、せせらぎの洞窟湖のほとりだ。どこまでもクリアな水面に夢想花の色彩や恋慕石柱の光が映り込み、見事な景観を作り出していた。
「へえ。なかなか素敵な眺めじゃない」
『紫月 彩夢』は、そこにいた。
『紫月 咲姫』と『神崎 深珠』の三人で。
「……」
「……」
地下の湖をのんびり眺めている彩夢と、お互いに気まずそうな表情で立ち尽くす咲姫と深珠がそこにいた。
咲姫は、こんなことは聞いていないとばかりに、困り顔で深珠を問い詰める。
「ちょっと神崎さん、どうして二人っきりでって言わなかったのよ」
深珠の方も、三人でウェディングハルモニアの地下遺跡に来るという状況には、多少なりともプレッシャーを感じていた。
「彩夢、兄妹水入らずでも、俺は構わないんだぞ……?」
別に、咲姫と深珠の仲が悪いというわけではない。以前よりも双方の人柄を理解して、和睦にいたったといえる。
それでもまだ咲姫と深珠の間には、微妙な緊張感があるのもまた事実である。
「……何よ。二人して」
歯切れの悪い言葉で益体も無いやり取りをしている二人の精霊に、彩夢が冷ややかな視線を向ける。
「あたしの希望よ。文句あるわけ?」
二人に有無を言わせないツンとした口調で、彩夢ははっきり自分の思いを述べた。
「いや、彩夢が望むのなら……嫌なわけでは、ないし」
深珠は遠慮がちに頷いてから、咲姫に改めて会釈をした。
「嬉しいけど……うん、嬉しいよ、ありがとう、彩夢」
咲姫はやや思うところがある様子だったが、その感情はひとまず飲み込んで、今日は三人での休暇を過ごそうと決めたようだ。
こじれかけていた会話をたった一言で終結させる。彩夢の言葉はまさに快刀乱麻だ。
「はい、判ったら手出して」
自分の両手を軽く突き出しながら、彩夢がそう言った。彼女の視線は、咲姫の顔と深珠の顔に交互に向けられている。
「ええと……急に手を出せって言われてもな……」
「ほらほら、神崎さん。早く手を出して?」
「……咲姫もよ」
どちらも変に相手に遠慮しているのか、なかなか手を伸ばせずに躊躇している。
「ほら二人共出しなさいってば」
業を煮やした彩夢に強く促されて、二人共手を伸ばす。それぞれの手と、彩夢はしっかりと手を繋いだ。
そして即水中に飛び込む。
当然、彩夢と手を繋いでいる二人も引っ張られる。
まさに問答無用である。
これからいったい何をするのかという疑問を抱く猶予すら与えない、そんな大胆さだった。
「って、ちょっと心の準備くらいさせ……!」
咲姫の悲鳴は水の中へと消えていった。
湖のさらに奥には、やすらぎの水中洞窟がある。そこでは、ウィンクルムであれば水中でも息ができ、衣類も濡れることはないのだという。
勢いのまま飛び込むことになったが、咲姫もこの不思議な水中洞窟が気に入ったようだ。ロングヘアとスカートを水の流れになびかせながらゆらゆらと気ままに漂う。
深珠は空いている方の手を伸ばして、水中に差し込む光に指を遊ばせる。水があまりにも透明なので、光の柱や泡の動きがなければ、まるでガラス細工の中にいるような錯覚に陥る。
なんだかんだで、二人も水中洞窟を満喫している様子だ。
(飛び込んでからの時間経過は……)
彩夢はまめに時間を気にしていた。勢い任せのように見えて、細かなところまでしっかり考えていて責任感もある。なお、勝手に離れていかれては困るので、二人と繋いだ手はぎゅっと握って放さない。
A.R.O.A.職員から説明された遺跡の情報によれば、だいたい一時間ちょっとはこのまま水に潜り続けていられるはずだ。潜水できる時間の長さも、そのウィンクルムの絆の深さと密接な関係があるという話だった。
(うん、まだ大丈夫そう)
まだ時間には余裕がある。
じっくりと神秘的な景色を堪能することができそうだ。生身の体で水の中にこんな風に長時間潜っていられるなんて、他の場所ではそう体験できないことだから。
彩夢は目に映ったもの一つ一つを今日の思い出としてしっかりと心に刻みこむ。
(良いじゃない、たまには。三人でも)
繋ぐ手に力を込めて、彩夢は澄み切った水の中を進んでいく。発光する不思議な鍾乳石、恋慕石柱が放つ光の恩恵は、この水中洞窟にまで及んでいる。クリアな視界で見る水の世界は、幻想的で美しかった。
彩夢の口元に笑みが浮かぶ。
(綺麗で神秘的な光景、二人だけで見るには広大過ぎるもの)
ゆっくりと降下して、音もなく水底に降り立つ。マリンスノーに似た白い砂が、彩夢達の足先でかすかに舞い上がる。水底から水面を見上げれば、ゆらめくさざ波。
そうしてしばらくの間、水に身を委ねてゆらゆらと。
水面を見上げていると、くいくいと咲姫が彩夢の手を引いてきた。
咲姫の身振りから察するに、何か面白いものを見つけたようだ。手を繋ぎながら、咲姫に一時的に先導してもらう。
咲姫は優雅な動きで、上の方へ上の方へと泳いでいく。
(そのまま進むと、水面まで出ちゃうんじゃ……? もしかして息継ぎがしたいの? でも、特に息が苦しそうってわけでもなさそうね)
不思議に思いながらも、咲姫の進む先についていく。
パシャッと涼し気な水音を立てて、全員の顔が水から空気の中に出た。
「ここには空気があるのね。あー、あー。……ふふ、変なの。声が反響して聞こえる」
「すごいな……地底湖のエアポケットか」
どうやらここは空気の溜まり場になっているらしい。わりと広々としていて、空気の量も充分ある。ここなら、のんびりできそうだ。
このまま顔だけ出して三人でぷかぷかしているのも良いし、腰をかけられそうなスペースもある。どちらにせよ、話をするのには困らない空間だ。
「絶景だ。冒険のロマン溢れる秘密基地っていう雰囲気があるな……。よくこんな場所を見つけられましたね、紫月さん」
深珠にそう言われ、咲姫はちょっとだけ得意気に微笑む。
「うん。さっき見上げた時に、ここだけ水面の様子が違ってたから気になったの」
天井には光輝く恋慕石柱。鍾乳石の先から落ちるドロップで、水面に雨が降っているように見えたのだろう。
「そういえば……」
彩夢が考え事をするように、軽く首を傾げる。
「ん? 彩夢も何か面白い発見をしたのか?」
「あら! 見てみたい! 彩夢ちゃん、案内してくれる?」
精霊二人は、発想がすっかり探検モードになっている。
しかし彩夢が口にしたのは、二人の精霊が予期していなかった質問だった。
「深珠さん、あたしたちって、恋人って言っていいの?」
かなり突っ込んだ彩夢の質問に、その場の空気が張り詰める。水中探検でだいぶ和やかになってきた咲姫と深珠の関係だが、ここにきてぎこちなさがぶり返す。
「彩夢……あのな、その、それはいま、言うべきことか……?」
クールな深珠だが、さすがに動揺を隠せない。視線が泳いでしまう。彩夢の口から出た恋人という言葉に不意打ちをくらい、ドキリとした。
「彩夢……あのね、俺が居るところでその質問は、酷じゃないかな……?」
私、ではなく、俺。咲姫はそう言った。いつもの女性的な言葉遣いをやめて、兄として発言する。
咲姫はその赤い瞳をふっと深珠の方へと向けた。兄妹だけあって、彩夢によく似た咲姫の瞳。
「けどまぁ、それだけ盛大に照れておいて違うとは言わせないよ」
咲姫はそこで一度黙った。深珠の返事を待っているのだ。
彩夢も、じっと深珠の顔を見つめている。
紫月兄妹から赤色の視線で注目をあびて、深珠はますます緊張で身を硬くした。
プレッシャーを感じながらも、深珠は質問を煙に巻いたりはしなかった。偽りのない自分の思いを口に出して表明する。
「い、一応、そのつもり……です」
そしてこう付け加える。
「まだ、俺より彩夢の方が、気持ちの面でも上だと思うが」
「……へえ……」
その返事を聞いて咲姫が目を細める。それは美しいが冷淡な目つきだった。深珠に対して疑いの念を抱いていることを態度で示す。隠したりはしない。
でもそれは、怨恨や憎悪というほど凶悪な感情ではない。あくまでも、ただ不信感があるというだけだ。
「……以前にね、君が彩夢との結婚式で彩夢を殺す悪夢を見た」
わざと不吉な話題を持ち出して、咲姫は深珠の精神に揺さぶりをかける。深珠の本心を見定めようとするかのように。
「……」
そう言われると、深珠は何も言えなくなる。
夢とはまた別に、現実に起きたことでも深珠は咲姫から恨まれるだろう心当たりがあった。
「だから俺は君のことを、まだ少し疑っているよ」
「……紫月さんが俺を疑うのは無理も無い話だろう」
実際、敵に寄生されていたとはいえ深珠は彩夢を斬ったのだから。
重い沈黙を切り払う彩夢の声。
「賛成しろとも言わないけど、ちゃんと認識して欲しかったのよ」
その声には、若干苛立ったような険があった。
なだめるように咲姫が苦笑を浮かべる。
「怒らないでよ、彩夢。俺は過保護なんだ」
彩夢に向ける咲姫の眼差しはやわらかく、さっきまで深珠を問い詰めていた時とは全く目の印象が違っていた。……咲姫自身、重度のシスコンだと自覚しているだけある。
咲姫は、彩夢と深珠の二人に視線を向けた。
「だからね、何度でも証明してほしい。彩夢が選んだ彼の愛を」
咲姫には嫉妬の気持ちなどはない。
兄として、妹の彩夢の幸せを願っている。
深珠はそんな彩夢が選んだ異性だ。できれば信頼したいと思っている。
それだけだ。
「二人の幸せな姿を、俺に、見せて」
(この、紫月さんの前で愛を誓うような流れ……)
見たところ彩夢も咲姫も平然としており、こんなに照れているのは深珠だけだ。
(流石に兄妹だな……照れてるのは俺だけじゃないか……)
深珠は頭上に輝く恋慕石柱を見上げた。この場にいる三者の気持ちに呼応してか、神秘の鍾乳石は赤、紫、青と鮮やかな光を織りなす。軽く火照った頬の色を赤い恋慕石柱の光がどうにか誤魔化してくれはしないかと期待した。
(踏み込ませないくせに、どうしてこう踏み込んでくるんだ、彩夢は)
彩夢から自分への態度は、どうも一線置かれている気がしてならない。深珠はそのことが少し不満だった。
相変わらず彩夢の真意はつかみにくく、彼女の思惑は底知れない。
「……ふふ、そんなに照れないで頂戴、神崎さん」
咲姫はいつもの女性的な口調に戻っていた。
「彩夢ちゃんは男前なんだから、そんなんじゃ持たないわよ?」
ややイタズラっぽく妖しい微笑だったが、咲姫の言葉からは励ましと親しみの気持ちが伝わってきた。
(……はぁ。落ち着こう)
深呼吸。
考えを整理して、心を落ち着けて、ちゃんと彩夢と咲姫の顔を見て。
そして告げる。
「……彩夢に、後悔はさせない。俺との適合が運命だったんだと……証明、します。だから……見守っていてほしい」
誠実な宣誓。
「ええ、もちろん」
満面の笑みで頷いている咲姫に、彩夢がちょっとだけ口をとがらせる。
「……咲姫が、安心できるように……なんてそんな理由じゃなく、さ」
深珠の誓いに負けないほどの思いを込めて、彩夢もまた一つの約束を口にする。
「あたし、幸せな花嫁さんになるつもりよ。約束、するわ」
古の遺跡の中で、神聖な愛の約束がかわされた。
依頼結果:大成功
エピソード情報 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リザルト筆記GM | 山内ヤト GM | 参加者一覧 | ||||||
プロローグ筆記GM | 真崎 華凪 GM |
|
エピソードの種類 | ハピネスエピソード | ||||
対象神人 | 個別 | |||||||
ジャンル | イベント | |||||||
タイプ | イベント | |||||||
難易度 | 特殊 | |||||||
報酬 | 特殊 | |||||||
出発日 | 2016年6月9日 |