天空塔の闇色絵画(錘里 マスター) 【難易度:簡単】

プロローグ

 タブロス市内の高層ビルが立ち並ぶその場所に、周囲のどのビルよりも高く聳えるビルがあった。
 屋上をはじめとする高層域には空中庭園や温室を備える憩いの場であるその場所は『天空塔』と呼ばれている。
 その、天空塔において、一般の立ち入りを禁止している区域がある。
 天空塔という高尚な名を呼んだ所以は、高く聳えるビルの構造だけにあらず。
 さまざまなアーティストが、天空塔に『作業場』を構え、世に送り出すための作品の構想を練っているのである。

「まだ足りないのかい。そろそろ僕も疲れたんだけどなぁ」
 天空塔の中層域にて、天井を仰ぎながら、うーん、と困ったように呟く青年が居た。
 青年の目の前には、真っ黒なキャンバスが、一枚。
 そう、真っ黒なキャンバスが、一枚、何も描かれずにぽつんと佇んでいる。
 そして青年の手には、白い筆。
 肩が凝ったと言うようにぐるりと腕を回し、首を鳴らしながら、青年はうーん、ともう一度呟いた。
「……描いて貰えばいいのか」
 我ながら名案だと言うように、青年は一つ頷いて、一通の手紙をしたためた。
 綺麗な字面で綴られたそれは、A.R.O.A.へ宛てた、招待状。

 ――天空塔の一角にて、絵を『食べさせて』下さる方を募集しております。
 方法は至って簡単。当ブースに設置されている黒色のキャンバスに白い絵の具で絵を描くだけ。
 絵心等は無くても問題ありません。心に浮かぶものを、浮かぶままに描いて下さい。
 ただしこちらの絵は、決して『完成することはありません』。
 黒いキャンバスが、人の描く絵をひどく好み、喰らってしまうから。
 そして絵を描かずに放っておくと、黒は描き手をも食らってしまうそう。
 飢えたキャンバスに皆様の絵を『食べさせて』あげて下さい。

解説

★やる事
黒いキャンバスに白い絵の具でお絵かき
二人ともが描く必要はありません。どちらか一名、あるいはグループで一名でも可
とにかく何でもいいので絵を描いてください

絵は完成することはありませんので、お持ち帰りはできません(写真撮影は可能)
また、完成することはありませんので、見せたくないものを描いても構いません
なお、公序良俗に反する内容はリザルト内では描写できませんのでアクションプランには書かないようにお願いします
(裸婦デッサンという設定程度なら可。裸婦デッサンなう、ぐらいの曖昧なものになりますが)

上手い下手は関係ありません
各くウィンクルムごとに訪れる時間軸が違います(時間指定は不可、他ウィンクルムと共同作業は可)
何時間いても構いませんし、数分で切り上げて頂いても構いません
ただし、絵を描く作業・作業中の会話等がメインですのでその他の行動は描写されない場合があります

★費用
キャンバス以外の画材代+天空塔の入場料としてお一人様につき300jr頂戴いたします

★NPCに関して
一応ブースの主として画家の青年が居りますので、判らない事があれば聞いて頂いて構いません
声がかからなければ他所に出かけていて居ない事になります

ゲームマスターより

黒いキャンバスに、仕上がらない絵を描く
不思議な心地の中で、思う所があれば、ぜひ

なお、入場は一人、パートナーとの待ち合わせまで時間を潰すためにちょっと落書き、というのもOKです
その際はお二人で並ぶ描写が減る可能性が高いのでご注意ください

リザルトノベル

◆アクション・プラン

信城いつき(レーゲン)

  ゆっくり歩くレーゲンを待ちきれず、一足先にキャンバスへ

これが例のキャンバスかぁ
星とか花とか落書きしてみたら…ホントだ絵が無くなった。面白い!
今度は猫やウサギとか、犬とか
……白い、犬?

よく分からないけど、すごく不安になる
犬はだめ……白い犬は……消さないで
キャンバスが食べようとするのを、何度も繰返し犬の絵をなぞったり、それでもダメなら
直接キャンバスに触れ消すのを食い止めようとする

お願い!マシロを連れて行かないで!

どこからか声がきこえる
「何も無かった」……暗示のような言葉にすがりつく(意識を失う。目が覚めても何があったか覚えてない)
どうして俺寝てたのかな?

※犬の名前表記不可の場合、カット可



栗花落 雨佳(アルヴァード=ヴィスナー)
  黒のキャンバスを眺めながら

…本当に、どんな絵でも食べてくれる?
…完成させないで、ずっと描かせてくれる?

…君と、僕だけの秘密だよ…?

目を閉じて情景を思い出す

白い髪から弧を描いて突き出る対の黒い角と
額から聳える三つの角
艶やかな微笑と楽しそうに細められた金の目に心を奪われる
淀んでいた世界に、眩しく貫く閃光の様に焼き付いて離れない

目を見開いて筆を走らせる
迷いなく人型を映していく
完成しないのならば、丁度良い
どんなに描いたって完成などしないのだから
ずっと、追いかけて居られる
ずっと、ずっと、その姿を見て居られる

まだ、まだ足りない
彼は、もっと……

…君には…見られたくなかったのにな…
どうしても、離れないんだ…


セイリュー・グラシア(ラキア・ジェイドバイン)
  絵・・・(暫く考え、思考停止)。
そっとラキアの手に絵筆を握らせよう。
「こういう芸術な事は任せるぜ」と超笑顔。
ラキアが苦笑してでもすぐ何か描き始めるあたり
こういうのやっぱ好きなんだな。
ラキアの描きはじめた点々が花びらっぽかったので
「桜吹雪みたいで綺麗じゃん」と言ったら正解だった。
オレの感性も捨てたもんじゃないな!

「今度桜が咲いたら一緒に見に行こうぜ。昼間と、夜と、どっちも!咲き始めの頃と、終わり頃の両方行くのも良いよな」
と、デートの約束だ。

ラキアは植物の絵は巧いと思う。
なんとなーく、判る。
「これからずっと何年でも一緒に花見をしようぜ」
ずっと一緒に過ごしてきているし。
もうこれ位言っても良いよな。



アレクサンドル・リシャール(クレメンス・ヴァイス)
  逢えるの嬉しいけど
この前振られたから少し居心地悪いな

呼ばれて隣に座り絵筆をとる

水墨画って墨だけで風景画だっけ
確かに似てるかな
(一緒に合作で雪原と林、兎の絵を描き始める)


え?対人恐怖症って普通に話し(精霊に人差し指を唇に当てられ黙る)

俺、振られてないのか
ちゃんと考えるから待ってって事なんだな
ごめん先走って

笑顔以外?怒ったり泣いたりとか?
ああ、悩み事相談か……
言われてみたら俺はクレミーに心を開いてないのかもな

俺、このままクレミーを独占してていいのかなって、悩んでたんだ
単純な問題じゃないみたいだし
すぐに結論出せないけど俺も考える


最後に自分達の手を繋いだ後姿を描き足し
精霊の手を取り笑いかけて一緒に帰る



柳 大樹(クラウディオ)
  花を描き、次に星を描く。
本当に喰われた。

「そう、だなあ……」
クラウディオに一度視線をやり、描き始める。

脳裏にこびり付く、飛び掛かってくるデミ・ウルフの姿。爪と牙が鮮明に浮かぶ。
「色は白くなかったから、正確には違うけど」

記憶は無理でも、
「……嫌な気分が、絵と一緒に喰われないかなーって」
そんな意味の無い事を考えた、だけ。

「最近やっと怖さが来た感じ」
鏡を見て苛々するのは変わらない。ただ、感じた恐怖を最近思い出す。

護られても今更眼は戻らないし、記憶も消えない。
けど、「好きにしたらいいよ」

「でも登下校の送迎は止めない?」
くそ真面目。
会った時から全く変わらない相手に、ある意味救われる。
言ってやんねぇけど。



●白くとける
 天空塔に、二人で。
 それだけなら、とても魅力的な誘いだった。
 普段は立ち入れない中層階での作業と言うのもそれなりの魅力である。
 だが、アレクサンドル・リシャールは気まずさを拭えないまま、クレメンス・ヴァイスと相対していた。
 というのも、先日出掛けた折りに、勢い余ってクレメンスに告白したところ、振られてしまったのである。
 少しの居心地の悪さと、あの後でも逢えることの嬉しさが、アレクサンドルの中でもやもやとした感情を生む。
 そんな彼を横目に、クレメンスは内心だけで溜息をついた。
 胸中にあるのは、やっぱり、という思い。
 クレメンスは、アレクサンドルを振った覚えは無くて。ただ、返す言葉を見つけられないまま終わってしまっただけ。
「アレクス、こっち来」
 一緒に描こうと誘えば、ぎこちなく頷かれる。
「なんや、黒に白って水墨画みたいやねぇ」
「水墨画って墨だけで描く風景がだっけ。確かに似てるかな」
 並んで座って、二人でそれぞれに筆をとって。黒の上に、白を置いていく。
 白いから、雪原。林を並べて、兎を遊ばせる。
 アレクサンドルはクレメンスの描く絵に己の感性を重ねて、クレメンスもまたゆるりと筆を滑らせて絵を仕上げていく。
「実はあたしは対人恐怖症や」
 唐突に。何の気ない話の素振りで切り出された台詞に、アレクサンドルの筆が止まる。
「え? 対人恐怖症って普通に話し」
 クレメンスへ視線を向けて、告げようとした言葉は、彼の人差し指に押し止められた。
「アレクス以外には、よう顔も見せられへん。ある意味、アレクスは特別や」
 けど、それは契約して、魂が繋がってるゆえ、という部分も少なからずあって。
 もっと深い意味での特別とは、少し違うかも、しれない。
「まあ……現状あんさん以外に興味ないのは確かやけど……これが恋愛感情なのか、即答は難しいんよ」
 点、点、と。黒の上に雪を降らせ、不意に筆を止めれば、描いた雪は、じんわりと、霞む。
「結論出たら言うから、少し待ってほしい」
 冷たい物が、とける、ように。
 傍らの『おひさま』に、とかされるように。
「アレクス、一緒におると安らぐ言うたのは嘘やないよ。『ずっと一緒』を望んでるのも変わらへん」
 他の誰かを、描いて欲しくはない。
 願うような感情を気取られたのか、アレクサンドルの描いた兎まで霞んで見えて、上書きするように、なぞる。
 苦笑じみた顔を穏やかに綻ばせるクレメンスを、アレクサンドルはじっと見つめて。不意に、破顔した。
「俺、振られてないのか」
 しみじみとした呟きが、じわじわと胸中に喜びを満たす。
「ちゃんと考えるから待ってって事なんだな。ごめん先走って」
 緩く首を振るクレメンスは、あたしこそ、と呟いてから、あぁ、でも、と続ける。
「そうやねぇ、おねだり言う訳やないけど……あんさんは誰にでも笑顔を向けはるし、あたしだけにしか向けへん顔もあってええと思うんやけど」
 どうやろか。問うように、小首を傾げれば、アレクサンドルはぱちぱちと瞳を瞬かせる。
「笑顔以外?怒ったり泣いたりとか?」
「悩み事の話とか」
 例えば、と紡がれる単語に、ああ、と小さな納得を覚える。
 したことのない話。言われてみれば、自分はクレメンスに心を開いていないのかもしれない。
 一番の悩みは、言って良い事かも、解らないというのが、大きかったのだけれど。
「……俺、このままクレミーを独占してていいのかなって、悩んでたんだ」
 好き、で。それが大きくなりすぎて。ずっと一緒を、どこまで願っていいのか。
「単純な問題じゃないみたいだし、すぐに結論出せないけど俺も考える」
 お互い、一つずつ、お互いの内側を知れた。
 その事実に覚えた充足感に微笑みあいながら、物足りなさげに残されたままになっている絵に、向き直る。
 思いついたように、アレクサンドルが書き足したのは、手を繋いだ二人の後ろ姿。
「帰ろ、クレミー」
 じわりと霞み、去るように消えていく絵と、同じように。クレメンスの手を取って。
 握り返される感覚を確かめながら、帰路に付いた。

●儚く綻ぶ
 セイリュー・グラシアは、白の絵筆と黒いキャンバスを前に、じっくりと考えていた。
 考えて、考えて、考えるのをやめた。
 そうして、わくわくとした顔で見守るようにしていたラキア・ジェイドバインを振り返ると、そっとその手に筆を握らせた。
「こういう芸術な事は任せるぜ」
 屈託のない満面の笑顔に、ラキアは「もう、セイリューは」なんて苦笑を零しながらも、セイリューの隣に並んで腰を下ろした。
「黒いキャンバスって何だか夜空のようだね。ここに白い絵の具で何を描いても良いの?」
「そうそう。ラキアの好きなように描いてくれよ」
 先程の自分と同じようにわくわくとした瞳で、セイリューはねだる。
 それなら、とキャンバスに向き合うラキアを見て、セイリューは、先程の苦笑を思い起こしながらも、やっぱりこういうのが好きなんだな、と、楽しげなラキアを見つめて。
 それから、彼が描き始めた絵を、見つめた。
 黒の上に点々と散る白は、夜空に降る雪のようにも見えるだろうけれど。
「桜吹雪みたいで綺麗じゃん」
 セイリューの目には、そう見えた。
 思ったままを素直に告げれば、ラキアの顔が綻んだ。
「うん、桜吹雪。気付いてくれて嬉しいな」
「正解? オレの感性も捨てたもんじゃないな!」
「ふふ、夜桜は、とても綺麗だものね」
 夜空に舞い上がる桜の花びら。晴天の青に映える淡い桜色。
 きっと同じものを脳裡に描いたのだろう。来る春に想いを馳せるように、セイリューは告げる。
「今度桜が咲いたら一緒に見に行こうぜ。昼間と、夜と、どっちも! 咲き始めの頃と、終わり頃の両方行くのも良いよな」
 ちゃっかりしたデートの約束は、ラキアにとっては嬉しい誘い。
「そうだね、お花見。是非行こう」
 嬉しそうに微笑みながら、散るばかりの花の傍らに、大きな木を描く。伸びた枝の先から、舞い散るように。
 その情景は、儚くも見えて、どこか切なさを覚えるものでもあるけれど。
 だからこそ、美しい。
「桜は時の流れを意識させてくれる花だと思うよ」
 咲く期間は短く、はらはらと頼りなく散る様に、情緒を感じられるからこそ、誰しもがその刹那を脳裡に収めようと花を見にゆくのだ。
 語るラキアの筆が淀みなく描いていく桜を、セイリューはまじまじと見つめていた。
 絵の知識などなくても、ラキアの描く植物は、巧いと思う。
 繊細で、暖かくて、真っ白なのに、華やかに見える。
 絵に人柄が現れるとは言うけれど、きっと、この白はラキアという人物を映しているのだろう。
 彼の指先が描くものが、巧くて、綺麗だと思うから。本物を、一緒に見に行きたいと思う。
「これからずっと何年でも一緒に花見をしようぜ」
 セイリューの言葉に、ラキアはするりと滑らせた筆を止める。
 美しく聳えていた桜の木の情景が、ふうわり、黒の中に溶け消えた。あ、と思う間もなく。
 儚くてこそ、桜。描いたそれは消えてしまったけれど、今年の桜は、まだこれからだ。
「そうだね。毎年一緒にお花見しよう」
 ずっと一緒に過ごしているから。
 これからも、きっと一緒だ。
 そろそろ、知れぬ未来に夢を描いてもいいだろう。
 二人一緒の、未来を。

●黒く包む
 たた、と。件のキャンバスの前に駆けこんだ信城いつきは、珍しげな顔でまじまじと見つめる。
「これが例のキャンバスかぁ」
 試しに、星や花などを、好き勝手に描いてみる。満足したところで筆を置けば、一瞬揺らいで見えたキャンバスが、するりといつきの絵を飲み込んだ。
「ホントだ絵が無くなった。面白い!」
 不思議なキャンバスの仕組みが楽しくて、いつきは色んな物をキャンバスに描いていく。
 猫を描いてみたり。兎を描いてみたり。
「後は……犬とか……」
 思いつくままに描き始めて、いつきはふと、違和感じみた物に、かすかに目を瞠る。
「……白い、犬?」
 ざわざわした。何故だか、描き始めた犬は、淀みなく、迷いなく、描きあがっていく。
 まるで脳裡にある物をそのまま描いているかのように。
 だけれど、いつきの胸中など知らぬと言うように、キャンバスは白の犬を、容赦なく、『喰らう』。
「犬はだめ……白い犬は……消さないで」
 何度も、何度も、繰り返し犬の絵をなぞる。
 何度も、何度も、キャンバスはいつきの描く犬を飲み込んでいく。
 ガタンッ、座っていた椅子が音を立てて倒れた。縋るようにキャンバスに掴みかかったいつきは、絞り出すような声で叫んだ。
「お願い! マシロを連れて行かないで!」
 記憶が、曖昧になる。
 ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられているかのように不安定になって。
 どこからか聞こえてくる声に促されるように、意識が暗転した。

 いつきが絵を描く時間をゆっくりと楽しめるよう、レーゲンはゆるりとした足取りで向かっていた。
 楽しげな話だと瞳を輝かせていたいつきは、一体どんな絵を描いているのだろう。
 覗くのを楽しみにしながらたどり着けば、不意に耳朶を突いた、彼の叫び。
 キャンバスに掴みかかっているいつきの姿は傍目には異様だったけれど、何故だか、レーゲンの目には、キャンバスの方もそれに抵抗しているように見えて。
 描き手を喰らってしまう――。招待状に書かれた一文が脳裏をよぎって、咄嗟にいつきを引き離した。
 その拍子に三脚が倒れ、キャンバスが床に投げ出される。
 見やった黒の上にいたのは、描きかけの、白い犬。
「……そうか、マシロを連想したのか」
 納得したようなレーゲンは、抱き締めたいつきの耳元に、柔らかな声を落とす。
「大丈夫。何にも、無かったんだよ」
 とん、とん。背を撫でて繰り返せば、いつきは次第に安堵したように呼吸を和らげ、ふっ、と意識を落とした。
 いつきを横たえたレーゲンは、倒れたキャンバスを起こし、苦笑する。
「乱暴してごめん。飲み込むのは、もう少し待ってくれるかな」
 薄れて消えてしまいそうな犬をそっとなぞり、その横に幼い少年を書き足し始めた。
 それはレーゲンの記憶に残る情景。
 いつきが記憶を失う前の日常。
 物心付く前から『彼』はいつきの傍に居た。
 家族であり、親友であった『彼』は、ずっといつきを守っていた。
 レーゲンを悪い虫のように扱い、噛み付かんとする事もしばしばあった。
 ある意味ではライバルのようだった『彼』は、もういない。
 ――居ない事を、思い出す必要なんてない。
「大丈夫だよ、いつき」
 優しく唱えながら、一人と一匹を描き上げようとしたところで、描いていた白は黒に覆われた。
 喰らうというよりは、どこか、包み込むような消え方に、レーゲンは物憂げながらも、穏やかな顔をした。
 『彼』はいつだって、いつきの蓋をされた記憶の内側で、君の隣に居るよ。
 家まで連れ帰ったいつきは、目覚めた時には何も覚えていなかった。
 だから、レーゲンは何事もなかったかのように微笑むのだ。
 ――大丈夫。何にも、無かったんだよ。

●虚ろに紛れる
 黒の上に、白で花を描く。その上に、星を描いて、お終い。
「……本当に喰われた」
 ぽつりと呟いた柳 大樹の雰囲気が、途端に希薄になるのを、クラウディオは気取った。
 心なしか、普段から乏しい表情も一層薄れて見える。
 何を考えている? 問おうとするより早く、ちらりと見つめてきた大樹と、目が合った。
「そう、だなあ……」
 何を描こうか、迷うような素振りで、けれど大樹の握る筆は、淀みなく黒の上を走る。
 白が描いていくのは、鋭い爪と、牙。
「デミ・ウルフか」
「色は白くなかったから、正確には違うけど」
 それでも、今にも飛び掛かってきそうな……飛び掛かってきているような狼の絵は、人目でそれと判った。
 描けば、描くほど、大樹の脳裡に鮮明な形で、情景が蘇る。
 大樹の片目を抉った爪は、瞳を伏せても、こびりついたように消えなくて。
 つきり、と。痛んだような気がした。
 筆の止まった瞬間、黒のキャンバスは待ちかねたように白を飲み込んでいく。
 ぎゅるりとねじれるようにして消えたデミ・ウルフの姿を見つめると、何かがほんの少し、ほんの少しだけ、晴れたような気が、した。
 ……気がしただけで、実際には、鮮明に浮かんだ記憶に、胸の奥が重くなるばかりだったけれど。
 再び、大樹は同じものを描いていく。クラウディオは黙って、それを見つめる。
「……嫌な気分が、絵と一緒に喰われないかなーって」
 小さな呟きに、きっと意味はない。他意もない。
「大樹」
 クラウディオの声に、大樹はちらとも視線を向けないまま、絵を描いていく。
「最近やっと怖さが来た感じ」
 鏡を見て苛々するのは、変わらない。ただ、憤りよりも、あの時感じた恐怖を、ようやく思い出してきた。
 震えるほどではないけれど、薄らと寒い物を、感じる程度には。
 語る大樹は、何かを吐き出すかのようで。クラウディオは、かけるべき言葉を思案し、けれど何も見つけられなかった。
(私に言えるのは……)
 いつだって、一つだけなのだ。
「私は大樹の護衛だ。二度は無い」
 同じ事などないのだから、怯える必要は無いのだと。そんな風に言ったところで、慰めにもならないのだろうけれど。
 けれど、隻眼の青年は、じ、とクラウディオを見つめて、ふぃとその視線を背けて。
「好きにしたらいいよ」
 一言だけ、告げた。
 記憶の消える事は無いし、目の戻る事もないけれど。
 それでも、小さな溜息と共に紡がれた台詞は、いつも通りの大樹の調子だった。
「許可の明言は、初めてだな」
 思ってみればそうだったかもしれない。振り返りながら、あ、と思い出したように大樹は付け加える。
「でも登下校の送迎は止めない?」
「それは出来ない。何時襲撃を受けるかわからない」
「はいはい」
 くそまじめ。
 第一印象からずっと、大樹にとってのクラウディオは変わらない。
 何を見ても、何を聞いても、何を知っても、クラウディオは変わらない。
 彼はきっと、護る以外に出来る事を知らないだけだと言うのだろうけれど。
 そんな態度に、ある意味、救われていた。
(言ってやんねぇけど)
 言ったところで、彼の何も変わらないのだから。

●鮮やかに求む
 広くはない部屋に、ぽつん。
 栗花落 雨佳は一人、黒色のキャンバスを前に、静かに佇んでいた
「……本当に、どんな絵でも食べてくれる?」
 指先で、振れない程度にキャンバスをなぞる。
「……完成させないで、ずっと描かせてくれる?」
 切望にも似て、それでいながら淡々と紡がれる声を、キャンバスはまるで静かに吸い込んでしまったかのように。
 ゆらり、指先で震えた気がした。
「……君と、僕だけの秘密だよ……?」
 微笑み、すとんと腰を下ろして、雨佳はふわりと天井を仰ぐ。
 ぱたりと閉じた瞼に注がれる蛍光灯の灯りが、何だか眩しく思えた。
(――しろ……)
 脳裡に描く、白髪。
 滑らかな髪の隙間から突き出る対の弧と額に聳えるそれは同じ黒曜に似た角。
 浮かべられた微笑は艶やかで、細められた瞳は、楽しげで鮮烈な、金。
 瞬きをする権利さえも奪われたように、幼い雨佳はただ見つめていた。
 それはまるで、淀んでいた世界を眩しく貫いた閃光のようで。
 いつまで経っても、焼き付いて、離れない。
 目を開くと同時、雨佳はキャンバスに筆を走らせた。
 美大生でもある雨佳の筆は、淀みなく黒の上を走り、鮮やかに白を描いていく。
 脳裡に描いた姿を、ただ克明に。
「――ちがう」
 呟く雨佳の筆が一瞬止まり、後少しで完成しそうな白の絵が、しゅるりと渦を描くようにして黒の中に飲み込まれていった。
 まっさらな黒の上に、雨佳はまた、白を走らせる。
「まだ、まだ足りない」
 違う、こうじゃない。そうじゃない。
 繰り返しながら幾度も幾度も、同じ人を描く。
 完成しないのは、雨佳にとっては丁度良かった。
 どんなに描いたって、キャンバスが勝手に飲み込んでいく。
 幾度も幾度も、繰り返し、同じ姿を描いて、見つめて、追いかけていられる。
「彼は、もっと……」
 己の唇が、緩やかに弧を描くのを、雨佳は自覚しないまま。
 雨佳はただひたすら、記憶の情景の中に居座る者を、描き続けていた。

 ――遅いな。と。アルヴァード=ヴィスナーは自宅にて首を傾げていた。
 今日の雨佳の予定は知っていた。学校に行って、終わった後には天空塔に向かうと言っていた。
 普段は入れないアトリエで絵を描かせて貰えると喜んでいたのを覚えていたけれど、それにしたって、遅い。
 持たせてある携帯電話に連絡を入れても、繋がらない。
(……仕方ないな……)
 また、夢中になっているのだろうか。どこか微笑ましさを覚えながら、目途の付いた夕飯の支度をそのままに、アルヴァードは雨佳を迎えに行った。
 入口で告げて、通された場所では、案の定、一心不乱に絵を描いている雨佳の姿があった、けれど。
「……雨佳?」
 目に止めた彼は、夢中、という様子ではなかった。
 小さく動いている唇は、何事かを呟いているように見えるけれど、不明瞭で。見開いた瞳で真っ直ぐにキャンバスを見つめ、絵を描く様は、どこか鬼気迫っていた。
 異様で、狂気すら感じる姿に、アルヴァードは背筋の冷えるのを感じながらも、もう一度声をかける。
 気付く様子の無い雨佳に歩み寄ってみても、同じで。
 不意に視界に入った黒の上に描かれたものを見て、アルヴァードはかすかに目を剥いた。
 覚えがあった。契約の時、初めて顔を合わせた雨佳は、今と同じ、どこか狂気を孕んだ様子で、同じ人物を描いていた。
 それは多くの者に取っては恐怖の対象であるはずなのに、見つめる雨佳はどこか陶酔したような装いさえ見せる。
 畏怖を通り越した、憧憬。
「――ッ、止めろ!」
 追い求めるような貌をする雨佳に、アルヴァードはついに声を荒げた。
 それでも届かない声に、衝動的に伸びた手が重なる。後ろから抱きすくめる様にして雨佳に腕を回したアルヴァードは、それでもなお絵を描こうとする雨佳を、キャンバスから引き離した。
「……あ……」
 しゅるり、と。黒の中に白が飲み込まれていく。
 それを見届けて、雨佳は漸く、現実に立ち戻った。
「アル……」
 見上げる、というよりは、力なく凭れるようにして、ちらりと視界の端に入った姿を呼んだ雨佳は、どこか困ったような、笑顔じみた表情を浮かべて、力なく呟く。
「……君には……見られたくなかったのにな……」
 何も言わないアルヴァードの腕は、ほんの少し震えているように思えた。
 その腕に軽く触れて、指を、そのまま黒に戻ったキャンバスに伸ばした。
「どうしても、離れないんだ……」
 だから、雨佳は彼に逢いたくて、求めて。
 ……だから、アルヴァードはそれを拒絶して、雨佳を強く抱きしめる。
 静かなアトリエに、からん、白い絵具の筆が、音を立てて転がった。



依頼結果:成功
MVP
名前:栗花落 雨佳
呼び名:雨佳
  名前:アルヴァード=ヴィスナー
呼び名:アル

 

名前:柳 大樹
呼び名:大樹
  名前:クラウディオ
呼び名:クラウ、クロちゃん

 

メモリアルピンナップ


( イラストレーター: 雨鬥 露芽  )


エピソード情報

マスター 錘里
エピソードの種類 ハピネスエピソード
男性用or女性用 男性のみ
エピソードジャンル ハートフル
エピソードタイプ ショート
エピソードモード ノーマル
シンパシー 使用不可
難易度 簡単
参加費 1,000ハートコイン
参加人数 5 / 2 ~ 5
報酬 なし
リリース日 02月21日
出発日 02月27日 00:00
予定納品日 03月09日

参加者

会議室

  • セイリュー・グラシアと精霊ラキアだ。
    プランは提出できてるぜ。
    皆が素敵な時間を過ごせますように!

  • [3]信城いつき

    2015/02/26-23:27 

  • [2]柳 大樹

    2015/02/24-09:45 

    柳大樹とクラウディオでーす。
    よろしく。

    ……絵を食べる黒いキャンバス、ねえ。(右手で眼帯を軽く引っ掻く
    どのくらいの大きさのキャンバスなのかな。
    まあ、どんな大きさでもいいか。

  • アレクサンドルと、相方のクレメンスだ。よろしくな。
    黒いカンバスに白い絵って、面白いな。
    のんびり過ごしてこようと思う。

    みんないい時間になるといいな。


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