プロローグ
ここは、花と音楽を愛するイベリン王家直轄領。春の陽気を楽しむべく、幾組かのウィンクルムが訪れる。
「エディブル・フラワーの試食をどうぞ!」
とある庶民的な商店街にさしかかったあなたがたの前に、勢いこんで突き出される、デザートフォークの添えられた小鉢、。
エディブル・フラワーとは『食べられる花』を意味する。
菜の花や蕗の薹(正確にはつぼみの状態を用いるのだが)等、春の花には食べられるものが多い。パンジーにチューリップ、アリッサム、プリムラ、ノースポール……農薬を使わずに育てれば、これらも食用が可能となる。極端なはなし、無害でさえあれば、どんな花だって口にしてかまわないのだ。
勧められるがまま小鉢の中を覗いてみたなら、春の彩りサラダ、目にもさやかに、にぎやかに。
底にたっぷりと敷き詰められたグリーンリーフ、そのうえに柔らかな渦を巻く、キャベツ、カリフラワー(ちなみに、これは花野菜なので、広義においてはエディブル・フラワーの一種だ)、ミニトマト、生ハム、ちりばめられて。そこへ取り取りの花片が被さる様は、まるで妖精の寝床のようだ。
イベリン領だけあって、タブロスではなかなか見られないような、ちょいとばかり珍しいエディブル・フラワーも使われているらしい。あなたはおとなしく一口運ぶ。
「いかがでしょう?」
癖の強い、独特の舌触りだ。ストレートに美味しいとはあらわしにくい、かといって不味いわけでもなく……。とにもかくにも無難な返答を発しようとする、あなたの声は、すぅ、と5月の街に吸われた。
――……え?
戸惑いすらも、光る風のよう、形とならずに溶ける。
消えてゆく、体が、声が、美しく透き通る。
無論、驚いたのは貴方だけではない。あなたのパートナーも、そして、あなたにサラダを供した少女も、後者に至っては冷や水を浴びせられたが如く顔色が悪い。
「も、申し訳ありません! まちがえました!」
なにを、どう、まちがえたというのか。
深呼吸ののち、すこしおちついた彼女曰く。
それは『ルヴェール』と呼ばれる、1年のうち数日のみ花を咲かせる、貴重な草花が原因らしい。硝子のように透明度の高い花を咲かせるルヴェールの花片は、無味無臭。しかし生花の花片を呑んだものを、衣装込みで透明にする、不思議な作用を持ち合わせる。
透明というのは、ただ見えなくなるというだけでなく、声までなくしてしまうということで、それはそれは一大事。幽霊ではないのだから物を掴むことはできる、あと、匂いは消せないらしい。それにしたって便利な代物だ。
致死にいたる毒性はないとはいえ、これはあまり危険すぎる代物だ。少女、というか少女に試食の配給を託した店舗も、無論ルヴェールを扱う予定などなかった。だのに、どんな事故があったのものやら、あなたが試食したサラダに入り込んでしまった。
訊けば彼女、あなたがた以外にもウィンクルムらしき組み合わせへ、サラダを配ってしまったそうだ。観光客に狙いを定めていたせいか、他に渡したおぼえはないというから、被害は小さいほうであるのが、不幸中の幸いか。
「本当に申し訳ございません! お詫びに、私の努めるお店の、御食事券ををお渡しいたしますから!」
格別にお安くいたします、と、威勢良く付け加えられる。待て、ふつう無料だろ。
「堪忍してください、それだと完全な赤字になってしまいます」
店長に怒られてしまいますぅ、と、泣き言に次ぐ泣き言。
よくよくみれば、十代そこそこといった年齢の少女。惣菜屋に雇われて街角で試食を配っていたというだけだ、と、目を腫らして訴える。
こんな不祥事を起こしたと店長に知れたら、お給料からの天引きどころか、お小遣い全部つかって、弁償しなくちゃなりません。まくしたてる口調が次第に弱くなる。
あなたはいくらか憐れんだ。ルヴェールには中和剤のようなものもないそうで、となれば、時間を過ぎ去るのを待つしかない。無闇にきつく責め立てたって、得られるものは少なかろう。あなたは彼女の謝罪をしかたなく受け入れる。
いや、実際に謝罪を受け入れたのは、あなたのパートナーだった。見えぬ聞こえぬあなたが、彼女に対して意思を露わにすることはできないのだから。
「ありがとうございます!」
少女は深々御辞儀する。あなたにではない、食事券を引き取ったあなたのパートナーへ、だ。
「ほんの一口食べただけですから、半日もすれば……。今からだと、夕方には効果がなくなるんじゃないかと思います。たぶん」
じゃないか、思う、たぶん。少女は次々と推定の言葉を口にした。
その理由を深く考えたら、おしまいだ。
「それにしても、おかしいな。どうして試食にまじっちゃったんだろ。あとで私が試すはずだったのに」
やっぱりおまえのせいじゃないか。
ツッコミもまた易々と形而上を超える。あなたの中に諦念が生成されつつある。
さあ、こうなったら、透明人間の半日を楽しむしかない。あなたのパートナーが宣言する、あなたの立ち位置とは反対の方向に向かい。
ですよねー、見えないですもんねー。
あなたの諦念が決定的となった瞬間であった。
解説
ウィンクルムの片方が透明人間になってしまいましたよ、どうしましょ、なかんじ。
・場所は、上記にあるように、イベリン領のとある商店街。庶民的な場所ですが、タブロス市内の商店街に比べて、花を取り扱う店が若干多め。
・時間帯は、お昼の半日程度です。
・で、惣菜屋の御食事券(お総菜が取り放題、2枚あるので、2人分。片っぽ透明だけど)やイベリン領への交通費等、もろもろ雑費合わせまして、お二人で計450jr消費します。
・惣菜屋では、エディブル・フラワーを使ったいろいろなお総菜の持ち帰りが可能です。店内に飲食可能なスペースはありませんが、近くの公園にベンチがありますので、そちらでどうぞ。
・惣菜屋のメニューは、マリネとかフィンガーパイとか寒天寄せとかプチクッキーとかサンドイッチとか、小さめの品が中心。
・メニューのリクエストがあったら、プランにお書きください。私が喜びます。
・言葉も通じない、体も見えない、ウィンクルムの片方(神人でも精霊でも、どちらでもいいです。ただし、片方のみです)が、そんな透明人間になっちゃいました。
・本文にも書きましたが、触ることはできます。
・ってことは、いっぱい悪戯できそうだね(本題)!
・でも、一般人に悪戯したら怒られるので、パートナー限定にしといてください(本題2)。
ゲームマスターより
お久しぶりです。春になったのでのこのこ出て参りました。土筆みたいなぱんつ、合わせて「ぱんつくし」とお呼びください。あ、待って、呼んじゃやだ。
リザルトノベル
◆アクション・プラン
篠宮潤(ヒュリアス)
透明になる方 ●『どどどどう、しよう…!声も、聞こえないん、じゃ…』 ぷちパニック 聞かれ目に捉えたのが尻尾だった。がしっ(素) 少し落ち着くも今度は不安まっしぐら (…この、感じ。覚えがある…) もう忘れかけてたのに 今は、仲間やヒューリも居て、怯えなくていいって分かってるはずなのに 言葉を発しても無視される、居るのに誰とも合わない視線 嫌な思い出がふとよぎった ●『え。それ、僕のだった、の?』 公園まで精霊についてきて気付く←思考に夢中だった 『僕、パートナーとして、隣に居ていい存在、に、なってる?』 わっ?通じ、た?…何だろ… 嬉しくて、不安がいつの間にか消えてた 『ヒューリも、食べよう?』 ちょっと楽しくなってきた |
ロア・ディヒラー(クレドリック)
…あれもしかして私が、消えてる…!? 焦るクレちゃんを前に手や肩に触れて落ち着かせる。 一緒に惣菜を選ぶ。欲しいの持ち上げたら浮くからわかるかな クレちゃん、大丈夫傍にいるからね。って聞こえないんだった。クレちゃんの左手を握る。 尻尾気になってたんだよね…軽くちょんと触ってみる。 今クレちゃんものすごいびくってなった!!表情変わらないけど、驚くとか貴重 一緒にベンチでお惣菜を食べる これ人にはクレちゃんが何も無い所に話しかけてるように見えるのかな。凄く申し訳ない気分 !?ちゃんといるよ、クレちゃん、私、ここに。 …見えないから恥ずかしくないし、こっちの方がいるって伝えやすいよね クレちゃんを思いっきり抱きしめる。 |
リオ・クライン(アモン・イシュタール)
な、なんか変な感じだな。 本当に声も届かないのか・・・(寂し気) <行動> ・アモンへの思いに気付いたリオ(依頼36参照)何でよりによってアモンなのか、というか自分がおかしいのかと少々ぐるぐるしたりする ・会話できないのも不便なので持っているメモ帳とペンを使い、筆談で意思疎通を図ってみる ・手を繋がれてドギマギ ・サンドイッチ(野菜とか卵とか挟んでるやつ)を2人分購入 ・「宙に浮くサンドイッチとかびっくりされないだろうか?」(筆談) ・(なんか・・・変わらないな)とちょっと拍子抜け ・どちらにしろウィンクルムである自分が恋愛事にかまけている暇はない、この思いは胸にしまっておこう・・・と言い聞かせる アドリブOK |
●青春の恋
腕、頸、胸から脾腹へ――問題ない、そっくり揃っている――自身をひととおり撫であげて、リオ・クライン、安堵の溜息を吐く。
視認できないというだけで、こんなにも自身が覚束なくなるとは。多少の不安はあるけれども、なにより不思議な思いのほうが勝るのは、生来の好奇心の故か、ウィンクルムとしての経験の故か。
「おーい、お嬢様。マジでいなくなったわけじゃねぇよな?」
しかし、リオと共通の違和感をより深く味わっているのは、アモン・イシュタールのほうだろう。なにせ同伴していたはずの彼女が、突然その姿を消してしまったのだから。
アモン、はたはたと片手を振り立てる。幸か不幸か、それはリオの肌に着地する。
「おっ、確かに触れるわ」
身長差14センチメートルのもたらす、悲喜劇。
リオの片頬に降り立つ、アモンの掌。でたらめな力加減のわりに、包むが如く、慈しむが如く。
しかも、それだけで事は済まない。アモン、自分がリオの何処に接触したか、察したのやら察してないのやら、いささかの躊躇いもなく手を下ろす。
令嬢のシルエットがなぞられる。雪色の肌を、ハードブレイカーの逞しい指先が無遠慮にかすめる。
『わああああっ!』
「げふっ!?」
アモンの平手に対し、リオの賢答は拳でしめされた。
アモンの下腹へ綺麗にめり込む、五指の関節。もしもその場に事情を知らぬ他人が居合わせたなら、アモンが空気の砲弾に撃ち抜かれように見えたことだろう。
「……元気みてぇだな」
『お、おかげさまで』
一方は無声であるから、成り立っているようで成り立っていない会話だ。これ(拳の遣り取りじゃなくて)が続いても、空しいかぎり。
ならば筆談はどうかと、リオはメモ帳とペンを取り出す。それも透きとおるかとおもわれたが、試しにアモンの腕を台にしてみたところ、どういう仕組みだか、リオとアモンの双方から、視認が可能となった。
『これでいい』
「おい」
『仕方ないだろう』
「そりゃそうだけど。……つまり、このへんにお嬢様の手があるわけだな?」
アモン、すばやく空間を捕らえる。有無を言わさず、彼の掌へたくしこまれる、リオの指。
「はぐれたら面倒だろ」
それはそうだけど、と、今度はリオが承知させられる番だ。
慎重に、握り返す。自分は今、どんな顔をしているだろう。リオ、見られていない現実をありがたく思う。
「傍から見れば珍妙な光景だよな、これ」
灼けるようだ、彼の手も己の手も。どちらがどちらの熱さか分からなくなるほど、二人は近くにいる。
何故、彼なのか。
ここしばらくリオを煩わせている問題が、それだ。
どうしてよりによってアモンなのか。或いは、おかしいのは自分のほうか。いくら考えても出口が見えてこない。
好みの惣菜を求めた二人は、移動し、公園の長椅子にそろって腰掛ける。鳥は明るく唄い、蝶は優しく舞い、春はうららの真っ盛り。が、リオはいずれにも上手く心をくばれないでいる。
知ってしまったからだ。アモンへの想いの正体を。
「とにかく食おうぜ。リオは、野菜と卵、どっちにするんだ?」
だのに、アモンといえば、憎らしいほどいつもどおり。これではまるで、ひとり相撲ではないか。いや違う、その、悟られたいわけではなくって、なんとなく癪に障るだけ、要するにアモンはなにも悪くないけれども、もう、何が何やら。
内なる錯乱をどうなりこうなり収めて、リオは新たなメモを記す。
『宙に浮くサンドイッチとか、びっくりされないだろうか?』
「食っちまったらなくなるんだから、同じだろ」
言いたいことが分からないでもないが、そういう問題ではないような。首を捻るリオ。ところが、アモンはそれ以上の何かを思い付いたようだ。悪い顔。その口に運びかけたサンドイッチを、ふいに引っ込める。
「どうしても気になるなら、食べさせてやるよ。ほれ」
そして、リオのいるであろうところへ、つい、と、差し出す。
「お嬢様、アーンしたか?」
プリムラの花片の溢れるサンドイッチが、リオの眼前で、上下する。
リオがアモンの意図を理解するまで、たっぷり1分はかかった。世界中何処を探しても、そんな作法はない。そう反駁しようとするけれど、
「食うよな? さくらんぼだって白玉だって、リオの方から俺に突き付けただろ。まさかあれはマナー違反だなんて、今更言わねぇよな?」
流石は元ゴロツキだけあって、逃げ道の畳み方は一流だ。ええい、ままよ。リオは意を決する。見咎めるものはいないのだ、と、理性で心得てはいても、決まりわるさはなくならない。ほんの片端だけを、おっかなびっくり啄ばんだ。
「お、マジで消えたな。おもしれえから、もっと食え、ほら食え、どんどん食え」
もしかせずとも、玩具にされていないか?
一口おさめると、肝が据わった。勧められるままに、消化する。
「オレの指まで咬みちぎんじゃねーぞー」
『するか!』
そんなふうにいわれたら、意識してしまうではないか。彼になぞられたこと思い出して、リオの心臓がかっとする。アモンの指に触れぬよう細心の心遣いの果て、ようやくサンドイッチを食べきった。
「おかわりは?」
『いらない、十分だ』
命がいくつあっても足りやしない。胃を満たした筈だのに、何故だかどっと草臥れてしまった。全く、自分一人が赤くなったり青くなったり。アモンは変わらないのに、と、リオは拍子抜けした。今日も何処かでオーガのたくらみが進行しているとは思えぬぐらい、世はなべて平穏だ。
「……あのさ。俺の思い違いだったらそれでいいんだけど」
おおよその咀嚼を切り上げると、ふいにアモンが真面目な顔付きになった。
「ここ最近、お前、なんかおかしくなかったか?」
アモンは続ける。イベリン領のイベントは気分転換に丁度いいだろう、と連れ出したのだ、と。
「まあ、こうなったのは予想外だがな」
アモン、親指のパン屑をぺろりと舐めあげる。いつもなら行儀の悪さを指摘してやるところだが、今日のリオ、メモの一片すらとらず、飽かず眺める。
「何があったのか知らねぇが、溜めこむのはよくねぇぞー」
『誰のせいだ、誰の!』
迂闊にも声を張り上げたが、言葉は当然溶けゆくばかり。アモンは平気の顔をしている。
どちらにしろウィンクルムである自分が恋愛事にかまけている暇はない、この思いは胸にしまっておこう。リオは己に言い聞かせる。アモンは変わらない。ならば、自分も変わらないでおけばいいだけだ。
これでいい。リオは呟く。
……これでいいのだ、今は。
●信頼
『姿も見えないどころか――……、』
声まで、聞こえないん、じゃ……。
篠宮潤は混乱をきたす。後に省みて潤はそのときの己を『ぷちパニック』と評したが、呼吸はささくれ、脈拍はちぐはぐ、冷や水で洗われたように冴えぬ顔色の彼女が、いったい如何ほどの『ぷち』であったか、怪しいものだ。
『ど、どどど、どう、しよう……!』
「とりあえず落ち着きたまえ」
元よりウィンクルムとは、契約によって繋がる二人である。見えず聞こえずとも、ヒュリアス、潤の状況を察したのだろう。表向きには淡々と超越して、しかし、心のうちは十分動揺の嵐に見舞われながら、潤へ声をかける。
だがヒュリアス、潤のたたずむのとは逆に目と鼻を向けていた。それが、最初の小さな誤算。
「で、ウルよ。今どこに居るかね?」
親しい声の、何気ない言葉、しかし、たしかに自分に宛てられている。
一度は遠ざかりかけたような存在を、今、再び身にしみて感じた潤、咄嗟に両の手を差し出した。これが、ヒュリアスの次の誤算。溺れる者は藁をも掴む。昼の光を掻き分けて、潤がガシッと鷲掴みにしたのは、ふわふわの獣毛の群。
「……尻尾の方か」
『う、うん』
「まぁ……いいが。引っ張らんようにな」
ヒュリアス、手にした券を早速活用する。件の惣菜屋で数種類ほど包んでもらう。
ヒュリアスが動く毎に、尾を握ったままの潤、追って追われて、彼の背後であたふたする。引っ張るなとの言いつけを忠実に実行した結果だ。力及ばずぎゅっとすること数度、その都度ヒュリアスは微かに眉をしかめれど、よもや潤を責めるような言動はとらなかった。
それがまた、潤の罪悪感をいっそう沸き立たせる。戻ったら真っ先に謝ろう、と思う。
ごめんなさい、とか、もうしません、とか。
か細い言葉が、幾つも幾つも、潤の脳裏に浮かぶ、淀みに濁る泡沫のように。けして実体をとらず、時の間に消えるところまで泡沫に似た、その感覚にはおぼえがある。あった、と、美しい修辞で済ませるには、塩辛さと生臭さでいっぱいの記憶が、ふつふつと、喉元まで込み上げる。
もう忘れかけてたのに。
今は、仲間やヒューリも居て、怯えなくてもいいと分かってるはずなのに。
言葉を発しても無視される。誰とも絡み合わない視線、いないもののように。ならば、始めからいなければよかったのに。
「ウル、」
呼ばれて、潤、我に返る。
又候ヒュリアスの尾を締め付けてしまったかと思ったが、そうではない。二人は教えられた公園に到着していた。そして、ヒュリアスはがら空きのベンチをさしている。
「俺はすこし座りたいのだが」
テイルスの彼は、尾を執られたままでは着席できないのだ。
『あ、ごめん、なさい』
潤は即刻手を離し、ヒュリアスに指示されたとおり、隣へ腰を下ろす。狐につままれたような心地だ。いつのまにこんなところまで歩いていたんだろう。歩いていたという自覚すら失いつつあった潤だけれど、ヒュリアスからさしだされたものを目に留め、え、と、小さく愕く。
先ほどヒュリアスが店で受け取ったばかりの、クラフト紙のペーパーバッグ。彼はそこから、マリーゴールドの白と黄の爽やかな、オープンサンドイッチを一切れ選り出した。
『それ、僕のだった、の?』
「別のサンドイッチがよかったかね? ウルが好きに選べばいい」
『そう、じゃない、けど……。じゃあ、もらう、ね』
声が届いていないから、会話のテンポも内容も、些かずれている。だが、そのちぐはぐな具合が妙に愛おしい。失礼にあたらないよう、潤は密やかにサンドイッチを摘まむ。
「焦る必要はない。元に戻るまで、のんびり待てばいい」
例えば、こうして腹をくちくしたり、時間を贅沢費やしたり。
涼やかな風に踊る青葉のように、世界の贈る恵みをしきりと享受するだけの。偶の休日に、それもまたいいではないか、と、ヒュリアスは――そこまでは流石に口にしないけれど。
ヒュリアスの爽涼とした色合いの髪が、やわらかになびく。それが天然の彩りでないことを承知していても、綺麗だ、と、潤は感じる。知っているのだ、ヒュリアス自らに教えてもらったから。
尋ねたくても尋ねられないことがいっぱいある。でも、今ならば。自然と口を突く、問い、ひとつ。
『僕、パートナーとして、隣に居ていい存在、に、なってる?』
「言ったであろう。誰が認めとらんと言ったかね、と」
え、と、潤はふたたび狼狽する。
今度こそきちんと会話が成立した、かもしれない。偶然か、それとも第六感?
ウィンクルムの絆の快挙か、と、推測し、潤はおもわず首を振る。こそばゆくなる。もしかして、ヒュリアスはとてつもなく勘がいいのだ。そういうことにしておこう。そういうことでかまわない。そういうことでも、すごく、気持ちがいいから。
取り上げたサンドイッチを、潤、己のでなくヒュリアスの口許に寄せる。と、ヒュリアスがまごつく番だった。
「食べろと?」
あちらからは見えないのだ、と、弁えていても、潤は大きく首肯する。
『ヒューリも、食べよう?』
下心などなく。不安を取り除いてくれた、純粋なお礼のつもりだった。
「……」
躊躇いながら、ヒュリアス、ひょいと首を投げる。目を閉じ、口を大きく開ける。
窒息させないよう注意深く、サンドイッチを少しずつ送る。狼のテイルスなのに牙はないのだな、と、奇妙なところで感心した。
『犬に、餌をやってる、みたい……かも』
「ウル、失敬なことを考えてないかね?」
『そ、そんなこと、ない、よ』
やはりヒュリアスは、鋭い。潤は自分のサンドイッチを銜え、慌てて場を取り繕った。え辛い感情はとっくに、なくなっている。エディブルフラワーの香味がゆるゆると胸の奥へ落ちてゆく。ほんの少し前まで、食事だなんて、そんな気分になれなかったのに。
心地の良い不思議さが、潤の口辺を自然と押し上げる。
が、潤はいまだ気付いていない。
他人の手ずから食するなんて、普段ならば断じてしないであろうヒュリアスが、おとなしく潤の真ん前で口を開けたことに。ヒュリアスもまた同じく、気付いていない。己がなかなかはしたない真似をしていることに。
何処か似た者同士の二人の食事は、終いまで、つつがなく進行した。二人ともが行為の意味に気付くのは、およそ24時間の後である。
●あなたと一緒なら心がやわらぐ
シャーレを精察するようにデリカケースを睨み、クレドリック、ゆっくりと、ディアボロらしい尖った指を、ガラスの表面に滑らしてゆく。その動きが時折中断されるのは、興のそそられる惣菜を通過する毎に、ロアがクレドリックの袖をちょん、とつつくから。
『それ、美味しそう』
「ふむ。では、これとこれと、それも詰めてもらおう」
ペーパーバッグに一纏めにされた惣菜を、ロアは早速持ち上げる。例のエディブル・フラワーを口にしたロアは透明神人になっているわけだから、傍目からには、バッグが自動的に浮き上がったように見えるだろう。
「……不思議な光景だ」
つくづくと、クレドリックは長く息を吐く。不思議、と口に掛けつつも、職業マッドサイエンティストもとい研究職ところによってウィンクルムの彼が、さして関心を引かれたふうではない。むしろ心ここにあらずといおうか、眼窩の隈ごと、瞳の焦点が合っていない。 気のせいだろうか、クレドリックの肩が落ちている。ロアはテイクアウトの歩みを返し、クレドリックの左へ並ぶ。
『クレちゃん、大丈夫。傍にいるからね』
ああ、そうだ。聞こえないんだった。ロアは開いたほうの手で、クレドリックの左手を取る。クレドリック、臆病な猫のように、びくりと肩をふるわせる。
「……ロア。このまま、移動中は手を繋いでくれないだろうか」
上擦った声音。
「意思の疎通がしにくいと不便だろう。はいは1回、いいえは2回私の肩を叩いてくれたまえ」
了解のつもりで、クレドリックの肩を一度叩こうとしたロアだが、右手はクレドリックに明け渡し、左手は惣菜を携え、よくよく考えてみれば、もはや手が余っていない。クレドリックに荷を押し付けてもいいのだが、果たして彼は受け取ってくれるだろうか。
思いあまったロアは結局、こつん、と、1度、クレドリックの肩に額を当てる。物憂い風情が一転、クレドリックの眉がすこしばかり優しく下がった。
一緒に、昼食を、とる。
『あのね、クレちゃん。これ、すごく食べにくいんだけど……』
まちがいなくイエスと応じた、ついさっきの出来事だ。だが、そのときはロア、こんな事態を想定してなかった。
『手を繋ぐのは移動中って、言ってなかった?』
公園のベンチに隣り合って腰を下ろし、あまつさえ食事に入っても、二人は手を繋いだままだった。こまかにいえば、クレドリックがロアの手を離そうとしないのだが。
畢竟、ロアは左手、クレドリックは右手だけを使って飲食にはげむことになる。エチケット以前の問題だ。しかし、クレドリック、惣菜をぱくつきながら得意気に持論を展開する。
「私たちが移動している間、とは言っていない。料理が移動している間という意味で言ったのだ。我々の食料は現在、消化器官をつたって移動の最中なのだから、私が嘘吐きではない証明のためにも、私たちは手を繋いでいなければならないのだよ」
『なにその斬新な移動論』
クレドリックは聞こえないふり、いや実際に聞こえない筈なのだが、聞こえているようにもみえなくもない、薄いしたり顔で、次の一口に噛り付くのだった。
こんなふうに並んでいたら、他人には、クレドリックが何もないところに話しかけてるようにみえるのではなかろうか。只でさえ正真正銘の変人なのに、犯罪予備軍扱いされたらどうしよう、と、申し訳なく思っていた瞬間を悔やみたくもなる。
大概手酷いことを考えながら、ロア、クレドリックに倣って開き直りを決める。実際、クレドリックはちらほらと奇異な視線を浴びつつも、まったく意に介さぬ風情。一人気を揉んでいたのがくだらなくなったばかばかしくなったロア、ふいに、ちょっとした意趣返しを思い付く。
ペーパーバッグからおかわりをいただくついでに、取ってつけたように、上体をくずす。如何にも事故ですといった体で、ベンチの背凭れにちょこなんと引っ掛かったにディアボロの尾を、少々くすぐってやった。
と、途端に、クレドリックは肩をいからせる。思いの外、顕著な反応だ。
「……尻尾はやめたまえ、驚く」
『驚くんだ』
ロアは素直に感動した。顔付きこそ殆ど変化はないものの、すこしばかり上がった眉と尾の先のほうあたり、幾分緊張が残っている気がする。茶目っ気をだして追い詰めたくなるけれども、見るべき程の事をば見つ。ペチュニアをあしらったフィンガーパイを手挟むだけで、ロアは満足する。
お詫びのつもりで、パイの1本をクレドリックに差し出せば、クレドリックは受け取るには受け取ったけれども、すぐに味見するでもなく、かといって嫌がるでもなく、
「……もしも、」
今日の彼は、忙しい。先程までの得意満面は、何処へやら、先刻以上にぼんやりとした目で空を眺め遣る。春の空は、砂糖のごとき光を含み、健よかだ。
反するように、クレドリックは、白い。ここになにかの圧力が加われば、ぽっきりと、折れてしまうのではないだろうか。己こそ消えているのだという現実を忘れて、ロアはそんなことを考えた。
パイを乗せた舌を休め、ロア、クレドリックのほうに体ごと向き直る。
「もしロアがこの世に存在などしなくて、全て私の妄想で、今の状態が正しかったら……」
ロアはクレドリックの傍にいる。だが、彼の言葉はロアに届けられたものではない。例えば、それは内側で忍びやかに眠るもの。時の彼方に葬ったもの。触れなば墜ちん、脆弱な棘で飾りたてたもの。
「近付けば遠ざかる夢だったのなら……」
『クレちゃん……』
――……ちゃんといるよ、クレちゃん、私、ここに。
何かしてあげたい、そう意識したのではなかった。ロア、自分の腕が伸びゆくのを見守る。クレドリックを抱きしめる。卵を温める母鳥のごとく、そうぅっと。額をクレドリックの肩に、こつん、と。
「……ロアが傍にいる」
『あたりまえでしょう』
「この目で早く見たいものだな……」
クレドリックは再び表情を変える、といっても、瞳の濡れたところがちょっと揺れ動くぐらいだけど。ロアにはそれで満幅である。
ところで、ロアはといえば、実はいまだにパイを銜えたままだった。つまり、どういうことかというと、ロアのパイがクレドリックに異様に接近した。来る者は拒まず、クレドリックは一方を、ひょいぱく、齧りとる。呆気にとられるロアに、クレドリックは堂々と言い放った。
「食い付けという意味ではなかったのか?」
『貰った分だけで我慢しなさい!』
●ルヴェールの花言葉募集中
ウィンクルム達は銘々愉快な一日を過ごしたようだが、一人、台無しの一日を送ったものもいる。件のルヴェールを不用意に配ってしまった少女である。
結局、彼女の所行は店長の知るところとなった。給金没収だけは免れたものの、今年の分のルヴェールは全て廃棄されたようだ。
花はいつしか散るけれど、それは実となり種を残す。ウィンクルムのなかに蒔かれたもの名は、芽吹くそのときまで、秘めておくこととしよう。
依頼結果:成功
MVP:
エピソード情報 |
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マスター | 紺一詠 |
エピソードの種類 | ハピネスエピソード |
男性用or女性用 | 女性のみ |
エピソードジャンル | イベント |
エピソードタイプ | ショート |
エピソードモード | ノーマル |
シンパシー | 使用不可 |
難易度 | 簡単 |
参加費 | 1,000ハートコイン |
参加人数 | 3 / 2 ~ 3 |
報酬 | なし |
リリース日 | 05月06日 |
出発日 | 05月12日 00:00 |
予定納品日 | 05月22日 |
参加者
会議室
-
2015/05/11-23:55
-
2015/05/10-22:21
-
2015/05/09-11:34
-
2015/05/09-07:59