プラン
アクションプラン
カイエル・シェナー (エルディス・シュア) (イヴァエル) |
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5 「それは…構わないが」 精霊と軽く話題が出て、既に兄との予定が入っていると言ったら、付いて来ると 少し驚いたが──少し安堵している自分に気付いた 店内で待ち合わせ、顔を合わせて直ぐに軽く席を外した 戻ってくれば、空気だけで人を殺せそうな雰囲気が漂っている 「二人とも、知り合いなのか?」 同時に返って来た返事に、驚きから瞬きをした 公の場ではあまり酒は飲まないが、この二人の前でなら構わないだろう 程よく心地良くなったところで、兄から小さくはない黒の起毛張りの箱を二つ差し出された 開ければ、シンプルだが決して普通の値段ではない存在感のある艶やかな装飾 意味は分からないが、ただの贈り物でない事だけは、分かる 酔いのせいか、それを受け取るのが、何故かとても怖くて、 それでも、身につけなければと手が震えて その最中、エルディスの呼び掛けが響いた 「──済まない…今日は、受け取るだけで」 我に返る …良かった、いてくれて…よかった |
リザルトノベル
数日前より訪れた厳しい寒波は、この宵も容赦なく冬空を凍てつかせている。
カイエル・シェナーとエルディス・シュアは並んで正門をくぐった。案内役を断って先に進む。
煉瓦造りの道を打つ靴音も冷たい。それまで比較的多弁だったエルディスだが、敷地に立ち入ってからは言葉少なくなり、カイエルも、唇を真一文字にして行く手を見つめていた。
一歩一歩近づいてくる。
カイエルの兄、イヴァエルの邸宅が。
数日前のことだ。
「それは……構わないが」
カイエルは告げた。
少し驚いていた。なぜなら、
「俺も行く」
とエルディスが言ったためである。
クリスマスイブの予定について話す機会があった。既に当夜の予定が入っていることをカイエルは明かした。兄の屋敷で催される夜会に、参加することになっていると。
それを聞くや一も二もなくエルディスは、自分も行くと宣言したのだった。
おかしいかい? とでも言いたげにエルディスは片眉を上げた。
「パーティなんだから数が多い方が良いだろ?」
「そうだな」
このときカイエルはそう返しながら、内心、どこか安堵している自分に気がついていた。
……そうして、この夜を迎えたというわけだ。
邸内は古木の香りがした。二人はクロークに外套を預けた後、広間につながる両開きの扉にたどりつく。
扉の横に控えていた使用人は、カイエルとはすっかり顔なじみの者だ。しかし、いつ来てもそうなのだが、今夜も彼はまるで初対面であるかのように、無表情なまでの慇懃な礼をして扉に手を掛けた。
扉が開いた。
アルコールの甘い匂いと暖かな空気があふれて、カイエルとエルディスの頬をちらりと撫でた。
しかしそのぬくもりはたちまち、彼らの横をすり抜けるようにして消えてしまった。
寒々しいな――そういう印象をエルディスは抱いた。
立食パーティの会場だ。大きなホールに、ぱっと見では数え切れないほどの数の参加者がいる。いわゆる名士の顔もちらほらとあった。彼らはいずれも正装で、カクテルを傾けてはさざめくようにして笑っているのだが、どこか蝋人形めいており、笑顔の仮面を被った道化の集団のようにも見えた。
カイエルは、しわ一つない軍の礼服を着ている。広間に入ってカイエルが最初にしたことは、指で襟徽章の位置を直すことだった。
「盛大だね」
と心にもないことを言ってエルディスは作り笑いを浮かべる。エルディスはタキシード姿で、ネクタイをウインザーノットにしている。
これから、エルディスはイヴァエルと対峙せねばならない。
自分から選んだこととはいえ、緊張した。
イヴァエルの名は以前から識(し)っていた。
いい評判は聞かない。
悪辣だが、それを見せない確かな手腕で、身内のゴタゴタを制し、失った人脈を全部取り戻した男。
政財界の複数の醜聞に黒幕、あるいはフィクサーとして関与を噂される策謀家。
――大嫌いなタイプだね。
カイエルと知り合うのが、イヴァエルの実弟だと知る前で本当に良かったと思う。そのことを知っていたら、会う前に逃げ出していたはずだから。
イヴァエルに敵愾心を抱く理由はそれにとどまらない。
――口には出さないが……お前らの関係、正直、異常だから。
彼ら兄弟についての、エルディスのイメージはこれに尽きる。
異常だ。
二十歳を過ぎた弟をずっと傍に置きたがる兄も。
心を圧しても その傍にあろうとする弟も。
エルディスは身構えた。カイエルが唾を飲み込む音が聞こえた気がする。
「よく来た」
その人が現れたのだ。宴の参加者たちがさっと道を開けることで、忽然と生まれた道の中央を歩んでくる。
闇よりも濃い黒髪、中性的な容貌、カイエルに似ているものの、彼よりずっと鋭い眼差し。そのいずれもが、悪魔的な魅力を放っていることだけは否定しえまい。
イヴァエルだ。間違いない。
「そちらの『お友達』も、よく来てくれたね」
お友達、という言葉に込められた棘をエルディスは軽くいなして、
「どーも、お噂はカネガネ」
と、ルビーのように紅いイヴァエルの光彩を見つめながら返した。
「それは良い噂かな?」
「ご想像にお任せしますよ」
ふっとイヴァエルは冷笑した。そのような皮肉には、厭いていると言わんばかりに。
イヴァエルはカイエルに向かって告げた。
「親族のお歴々も来ている。挨拶をしてきなさい。済んだら、バルコニー沿いの応接間に来るといい。それまでしばらく、私はエルディス君とのおしゃべりを楽しむことにしよう」
「わかった」
と答えてカイエルは、顔を強張らせたままパーティの中に入っていく。
一方でイヴァエルは、「こっちだ」とエルディスを招いて広間の階段を上がっていった。一度も振り返らない。エルディスが否と言う可能性など、毫も考えていない様子だった。
このとき間違いなく、会場にほっとした空気が流れたのをエルディスは見逃さなかった。
通された部屋のソファにエルディスは腰を下ろした。
目の前のテーブルに軽食とワインのデキャンタ、グラスをふたつ置くと、メイドは幽霊のように音もなく立ち去る。
「楽にしたまえ」
イヴァエルの全身から、手に触れられそうなほど強い威圧感が漂っていた。
そんなものに屈するエルディスではない。ふてぶてしく膝を組むと、
「これはこれはご丁寧に」
と、言葉だけは礼儀正しく、けれども刺すような視線を主に向けたのである。
これを正面から受けても、ごく平然とイヴァエルは言う。笑みさえ含みながら、
「エルディス君……だったね? 先日は思わず鼻白んだよ。今夜、弟と最初に契約した精霊が来ると聞いて……こちらは夜会の予定を半ば無理矢理こじ開けてまで、この部屋で水入らずですごす時間を作ったというのに」
「それはお邪魔さまでした。お目にかかれて光栄ですよ……ま、カイエルがあんたの弟だと知っていたら 正直会うこともなかったと思いますが」
「ご挨拶だね」
「そういう口調、やめてくれませんか?」
「どういう意味かな?」
「年長者として、あるいはこの館の当主として、余裕ある風を装う口ぶりです。俺にムカついてるならムカついてると、はっきり言えばいい」
「ではそうさせてもらおうか。……お前、まさか俺と対等なつもりではあるまいな?」
言葉こそ荒くなったが、イヴァエルは声を荒げなかった。それだけに恐怖を感じる。
だが負けじとエルディスも返した。
「いけませんか?」
イヴァエルは鼻で笑った。
「フッ、汚れた金とウィンクルムの肩書しかない者がよく言う──何なら、今から自害して弟を返してもらっても構わんぞ?」
虚勢じゃない――エルディスは胃に、鉛でも飲み込んだような重みを感じていた。あの男には、こんなことを眉一つ動かさず言えるだけの凄みがある。悔しいがそれは認めざるを得ない。
けれど乗り込んできた以上、それくらい覚悟の上だ。エルディスはせせら笑った。
「ご冗談を、土下座されても返せませんね」
この瞬間イヴァエルが抜刀するのではないかとエルディスは思った。
しかしそのようなことは起こらない。そもそも彼は、腰に剣を佩いてはいないのだ。
部屋のドアが小さくノックされ、開いた。
「入るぞ」
カイエルはドアを開けた途端、張りつめた空気を感じた。
エルディスは笑顔だ。イヴァエルも。
なのに、触れるだけで殺されてしまいそうなこの雰囲気は……何だ。
しばし言葉に迷ったが、やがて、声を絞り出すようにしてカイエルはこう問いかけたのである。
「二人は、知り合いだったか?」
「名前だけは、良く」
という言葉が、ぴったり同じタイミングでエルディスとイヴァエルの口から出た。奇妙すぎる和音だった。
言った直後彼らが互いに、怒りの籠もった視線を交わしたのがはっきりとカイエルにもわかった。
カイエルは公の場ではあまり酒を口にしない。階下のパーティ会場でも、杯は持ち上げても唇はつけなかった。
――だが、この二人の前でなら構わないだろう。
カイエルがワイングラスを一つ求めると、そこにイヴァエルが手ずから、血のように赤い葡萄酒を注いだ。
カイエルは兄を見る。イヴァエルとワインという組み合わせには、いささか躊躇するところがあった。
すると兄は、
「では、俺も飲(や)らせてもらうとしようか」
自分でデキャンタを取ってグラスに注ぎ、ぐいと一口に呷ったのである。
「どうした?」
唇に凄艶なまでの笑みを浮かべる兄を見て、ようやくカイエルも杯を傾けた。
疑わしげな目つきながら、エルディスも相伴に預かることにする。
さして会話もないまま杯が重ねられ、ややあって、「そうだ」とイヴァエルが告げた。
「クリスマス、今まで弟には何もできなかったからな……。今年はプレゼントを用意した」
楽しげに言ってイヴァエルは、黒の起毛張りの箱をふたつ、テーブルの下から出したのだった。開けてみろ、と弟に促す。
カイエルは黙って箱を見つめた。まるでその箱から、毒蠍でも飛び出してくるのではないかと疑っているかのように。
よせ――と、エルディスはカイエルの手を遮ろうとした。我知らず、エルディスの肌は粟立っている。
けれどエルディスが手を伸ばすより早く、カイエルは箱を一息に開封していたのである。
箱の内側は黒い別珍張りで、中央に金細工の装飾品が置かれていた。
ひとつは、細く華奢な三連のメタルチョーカーだった。
もうひとつは、左右が同じデザインのアンクレットだ。
いずれも過度な彫刻などは施されておらずシンプルな造りだ。ワインの色を反射するほどに磨き抜かれている。
アンクレットのひとつを手に取ると、ツリーチャイムの残響音のような音色がした。
「これは……?」
カイエルは左右の手に装身具を取り、幼子が大人を見上げるような目でイヴァエルを見た。
ただの贈り物ではない。なんらかの意図が含まれていることはカイエルにも予想できた。しかしその真意はつかめなかった。
酔っているためだろうか――カイエルは、手に触れる金属がいずれも、酷く冷たいように思えた。
きっと気が遠くなるほどの価値があるものなのだろう。魅力的なものであるのは間違いない。
しかし、とても恐ろしいものであるのもまた、事実なのだった。暗い井戸の底をのぞきこみ、闇の奥部に輝く二つの目を見出してしまったかのような錯覚にカイエルは陥っている。
――身につけなければ。
カイエルの手は、振動する蝶の翅(はね)のように震えていた。
怖い。この装身具に魅入られるのが怖い。
けれども身につけることを拒んで、兄を落胆させることのほうがもっと……怖い。
「チョーカーだけでも、つけて見せてくれないか」
と言ってイヴァエルは、エデンの園でイブを誘惑する蛇のように弟の右手をからめ取ったのである。
うなずいてカイエルは、左手で黄金の髪を束ね白いうなじをさらした。怯えながらも同時に、恋する乙女のように恍惚とした顔をして。
箱が開いたとき、エルディスの示した反応はカイエルとはほぼ正反対であった。
エルディスは息を呑んでいた。つづいて彼の胸には嫌悪感と、青い炎のような怒りがわき起こっている。
単純な謎かけだ。単純すぎるほどに。
チョーカーは『所有』を、アンクレットは『足枷』を由来とするものである。
つまりイヴァエルは、これらを贈ることによってカイエルを「自分のもの」だと宣言しているに等しい。
これらを身につけるというのはカイエルにとって、兄に完全服従するということに他ならない。
――贈り物の由来くらいは気付いたか。
イヴァエルはエルディスの表情を読んだ。だがそれくらいのことでどうして、この悦楽を中断できよう。
カイエルは、チョーカーの金具に指を掛けた。
「あんた、弟になんてモン贈るんだ! TPOと血縁関係と性別考えろ!」
真っ赤な炭でも吐き出すようにエルディスは声を上げた。イヴァエルの手をカイエルから払いのける。カイエルの官能的な表情に、一瞬見とれかけた己を内心恥じながら、
「カイエルッ!」
と呼びかけたのだ。
夢から覚めたようにカイエルは顔をエルディスに向けた。そして彼は首を小さく振って、装身具を箱に戻したのである。
「──済まない……今日は、受け取るだけで」
その目を再び兄に向ける。けれどそこにはもう、寸前までのとろりとした色彩はなかった。
イヴァエルは小さく舌打ちした。まあ今日のところは、渡せただけでも充分に良しとしよう
エルディスは息をついた。カイエルに声が届いたことにほっとしている。
カイエルは黙って箱に錠を下ろした。
――良かった。
カイエルはそう思っている。
エルディスがそばにいてくれて……よかった。
カイエル・シェナーとエルディス・シュアは並んで正門をくぐった。案内役を断って先に進む。
煉瓦造りの道を打つ靴音も冷たい。それまで比較的多弁だったエルディスだが、敷地に立ち入ってからは言葉少なくなり、カイエルも、唇を真一文字にして行く手を見つめていた。
一歩一歩近づいてくる。
カイエルの兄、イヴァエルの邸宅が。
数日前のことだ。
「それは……構わないが」
カイエルは告げた。
少し驚いていた。なぜなら、
「俺も行く」
とエルディスが言ったためである。
クリスマスイブの予定について話す機会があった。既に当夜の予定が入っていることをカイエルは明かした。兄の屋敷で催される夜会に、参加することになっていると。
それを聞くや一も二もなくエルディスは、自分も行くと宣言したのだった。
おかしいかい? とでも言いたげにエルディスは片眉を上げた。
「パーティなんだから数が多い方が良いだろ?」
「そうだな」
このときカイエルはそう返しながら、内心、どこか安堵している自分に気がついていた。
……そうして、この夜を迎えたというわけだ。
邸内は古木の香りがした。二人はクロークに外套を預けた後、広間につながる両開きの扉にたどりつく。
扉の横に控えていた使用人は、カイエルとはすっかり顔なじみの者だ。しかし、いつ来てもそうなのだが、今夜も彼はまるで初対面であるかのように、無表情なまでの慇懃な礼をして扉に手を掛けた。
扉が開いた。
アルコールの甘い匂いと暖かな空気があふれて、カイエルとエルディスの頬をちらりと撫でた。
しかしそのぬくもりはたちまち、彼らの横をすり抜けるようにして消えてしまった。
寒々しいな――そういう印象をエルディスは抱いた。
立食パーティの会場だ。大きなホールに、ぱっと見では数え切れないほどの数の参加者がいる。いわゆる名士の顔もちらほらとあった。彼らはいずれも正装で、カクテルを傾けてはさざめくようにして笑っているのだが、どこか蝋人形めいており、笑顔の仮面を被った道化の集団のようにも見えた。
カイエルは、しわ一つない軍の礼服を着ている。広間に入ってカイエルが最初にしたことは、指で襟徽章の位置を直すことだった。
「盛大だね」
と心にもないことを言ってエルディスは作り笑いを浮かべる。エルディスはタキシード姿で、ネクタイをウインザーノットにしている。
これから、エルディスはイヴァエルと対峙せねばならない。
自分から選んだこととはいえ、緊張した。
イヴァエルの名は以前から識(し)っていた。
いい評判は聞かない。
悪辣だが、それを見せない確かな手腕で、身内のゴタゴタを制し、失った人脈を全部取り戻した男。
政財界の複数の醜聞に黒幕、あるいはフィクサーとして関与を噂される策謀家。
――大嫌いなタイプだね。
カイエルと知り合うのが、イヴァエルの実弟だと知る前で本当に良かったと思う。そのことを知っていたら、会う前に逃げ出していたはずだから。
イヴァエルに敵愾心を抱く理由はそれにとどまらない。
――口には出さないが……お前らの関係、正直、異常だから。
彼ら兄弟についての、エルディスのイメージはこれに尽きる。
異常だ。
二十歳を過ぎた弟をずっと傍に置きたがる兄も。
心を圧しても その傍にあろうとする弟も。
エルディスは身構えた。カイエルが唾を飲み込む音が聞こえた気がする。
「よく来た」
その人が現れたのだ。宴の参加者たちがさっと道を開けることで、忽然と生まれた道の中央を歩んでくる。
闇よりも濃い黒髪、中性的な容貌、カイエルに似ているものの、彼よりずっと鋭い眼差し。そのいずれもが、悪魔的な魅力を放っていることだけは否定しえまい。
イヴァエルだ。間違いない。
「そちらの『お友達』も、よく来てくれたね」
お友達、という言葉に込められた棘をエルディスは軽くいなして、
「どーも、お噂はカネガネ」
と、ルビーのように紅いイヴァエルの光彩を見つめながら返した。
「それは良い噂かな?」
「ご想像にお任せしますよ」
ふっとイヴァエルは冷笑した。そのような皮肉には、厭いていると言わんばかりに。
イヴァエルはカイエルに向かって告げた。
「親族のお歴々も来ている。挨拶をしてきなさい。済んだら、バルコニー沿いの応接間に来るといい。それまでしばらく、私はエルディス君とのおしゃべりを楽しむことにしよう」
「わかった」
と答えてカイエルは、顔を強張らせたままパーティの中に入っていく。
一方でイヴァエルは、「こっちだ」とエルディスを招いて広間の階段を上がっていった。一度も振り返らない。エルディスが否と言う可能性など、毫も考えていない様子だった。
このとき間違いなく、会場にほっとした空気が流れたのをエルディスは見逃さなかった。
通された部屋のソファにエルディスは腰を下ろした。
目の前のテーブルに軽食とワインのデキャンタ、グラスをふたつ置くと、メイドは幽霊のように音もなく立ち去る。
「楽にしたまえ」
イヴァエルの全身から、手に触れられそうなほど強い威圧感が漂っていた。
そんなものに屈するエルディスではない。ふてぶてしく膝を組むと、
「これはこれはご丁寧に」
と、言葉だけは礼儀正しく、けれども刺すような視線を主に向けたのである。
これを正面から受けても、ごく平然とイヴァエルは言う。笑みさえ含みながら、
「エルディス君……だったね? 先日は思わず鼻白んだよ。今夜、弟と最初に契約した精霊が来ると聞いて……こちらは夜会の予定を半ば無理矢理こじ開けてまで、この部屋で水入らずですごす時間を作ったというのに」
「それはお邪魔さまでした。お目にかかれて光栄ですよ……ま、カイエルがあんたの弟だと知っていたら 正直会うこともなかったと思いますが」
「ご挨拶だね」
「そういう口調、やめてくれませんか?」
「どういう意味かな?」
「年長者として、あるいはこの館の当主として、余裕ある風を装う口ぶりです。俺にムカついてるならムカついてると、はっきり言えばいい」
「ではそうさせてもらおうか。……お前、まさか俺と対等なつもりではあるまいな?」
言葉こそ荒くなったが、イヴァエルは声を荒げなかった。それだけに恐怖を感じる。
だが負けじとエルディスも返した。
「いけませんか?」
イヴァエルは鼻で笑った。
「フッ、汚れた金とウィンクルムの肩書しかない者がよく言う──何なら、今から自害して弟を返してもらっても構わんぞ?」
虚勢じゃない――エルディスは胃に、鉛でも飲み込んだような重みを感じていた。あの男には、こんなことを眉一つ動かさず言えるだけの凄みがある。悔しいがそれは認めざるを得ない。
けれど乗り込んできた以上、それくらい覚悟の上だ。エルディスはせせら笑った。
「ご冗談を、土下座されても返せませんね」
この瞬間イヴァエルが抜刀するのではないかとエルディスは思った。
しかしそのようなことは起こらない。そもそも彼は、腰に剣を佩いてはいないのだ。
部屋のドアが小さくノックされ、開いた。
「入るぞ」
カイエルはドアを開けた途端、張りつめた空気を感じた。
エルディスは笑顔だ。イヴァエルも。
なのに、触れるだけで殺されてしまいそうなこの雰囲気は……何だ。
しばし言葉に迷ったが、やがて、声を絞り出すようにしてカイエルはこう問いかけたのである。
「二人は、知り合いだったか?」
「名前だけは、良く」
という言葉が、ぴったり同じタイミングでエルディスとイヴァエルの口から出た。奇妙すぎる和音だった。
言った直後彼らが互いに、怒りの籠もった視線を交わしたのがはっきりとカイエルにもわかった。
カイエルは公の場ではあまり酒を口にしない。階下のパーティ会場でも、杯は持ち上げても唇はつけなかった。
――だが、この二人の前でなら構わないだろう。
カイエルがワイングラスを一つ求めると、そこにイヴァエルが手ずから、血のように赤い葡萄酒を注いだ。
カイエルは兄を見る。イヴァエルとワインという組み合わせには、いささか躊躇するところがあった。
すると兄は、
「では、俺も飲(や)らせてもらうとしようか」
自分でデキャンタを取ってグラスに注ぎ、ぐいと一口に呷ったのである。
「どうした?」
唇に凄艶なまでの笑みを浮かべる兄を見て、ようやくカイエルも杯を傾けた。
疑わしげな目つきながら、エルディスも相伴に預かることにする。
さして会話もないまま杯が重ねられ、ややあって、「そうだ」とイヴァエルが告げた。
「クリスマス、今まで弟には何もできなかったからな……。今年はプレゼントを用意した」
楽しげに言ってイヴァエルは、黒の起毛張りの箱をふたつ、テーブルの下から出したのだった。開けてみろ、と弟に促す。
カイエルは黙って箱を見つめた。まるでその箱から、毒蠍でも飛び出してくるのではないかと疑っているかのように。
よせ――と、エルディスはカイエルの手を遮ろうとした。我知らず、エルディスの肌は粟立っている。
けれどエルディスが手を伸ばすより早く、カイエルは箱を一息に開封していたのである。
箱の内側は黒い別珍張りで、中央に金細工の装飾品が置かれていた。
ひとつは、細く華奢な三連のメタルチョーカーだった。
もうひとつは、左右が同じデザインのアンクレットだ。
いずれも過度な彫刻などは施されておらずシンプルな造りだ。ワインの色を反射するほどに磨き抜かれている。
アンクレットのひとつを手に取ると、ツリーチャイムの残響音のような音色がした。
「これは……?」
カイエルは左右の手に装身具を取り、幼子が大人を見上げるような目でイヴァエルを見た。
ただの贈り物ではない。なんらかの意図が含まれていることはカイエルにも予想できた。しかしその真意はつかめなかった。
酔っているためだろうか――カイエルは、手に触れる金属がいずれも、酷く冷たいように思えた。
きっと気が遠くなるほどの価値があるものなのだろう。魅力的なものであるのは間違いない。
しかし、とても恐ろしいものであるのもまた、事実なのだった。暗い井戸の底をのぞきこみ、闇の奥部に輝く二つの目を見出してしまったかのような錯覚にカイエルは陥っている。
――身につけなければ。
カイエルの手は、振動する蝶の翅(はね)のように震えていた。
怖い。この装身具に魅入られるのが怖い。
けれども身につけることを拒んで、兄を落胆させることのほうがもっと……怖い。
「チョーカーだけでも、つけて見せてくれないか」
と言ってイヴァエルは、エデンの園でイブを誘惑する蛇のように弟の右手をからめ取ったのである。
うなずいてカイエルは、左手で黄金の髪を束ね白いうなじをさらした。怯えながらも同時に、恋する乙女のように恍惚とした顔をして。
箱が開いたとき、エルディスの示した反応はカイエルとはほぼ正反対であった。
エルディスは息を呑んでいた。つづいて彼の胸には嫌悪感と、青い炎のような怒りがわき起こっている。
単純な謎かけだ。単純すぎるほどに。
チョーカーは『所有』を、アンクレットは『足枷』を由来とするものである。
つまりイヴァエルは、これらを贈ることによってカイエルを「自分のもの」だと宣言しているに等しい。
これらを身につけるというのはカイエルにとって、兄に完全服従するということに他ならない。
――贈り物の由来くらいは気付いたか。
イヴァエルはエルディスの表情を読んだ。だがそれくらいのことでどうして、この悦楽を中断できよう。
カイエルは、チョーカーの金具に指を掛けた。
「あんた、弟になんてモン贈るんだ! TPOと血縁関係と性別考えろ!」
真っ赤な炭でも吐き出すようにエルディスは声を上げた。イヴァエルの手をカイエルから払いのける。カイエルの官能的な表情に、一瞬見とれかけた己を内心恥じながら、
「カイエルッ!」
と呼びかけたのだ。
夢から覚めたようにカイエルは顔をエルディスに向けた。そして彼は首を小さく振って、装身具を箱に戻したのである。
「──済まない……今日は、受け取るだけで」
その目を再び兄に向ける。けれどそこにはもう、寸前までのとろりとした色彩はなかった。
イヴァエルは小さく舌打ちした。まあ今日のところは、渡せただけでも充分に良しとしよう
エルディスは息をついた。カイエルに声が届いたことにほっとしている。
カイエルは黙って箱に錠を下ろした。
――良かった。
カイエルはそう思っている。
エルディスがそばにいてくれて……よかった。
依頼結果:大成功
エピソード情報 | ||||||||
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リザルト筆記GM | 桂木京介 GM | 参加者一覧 | ||||||
プロローグ筆記GM | なし |
|
エピソードの種類 | ハピネスエピソード | ||||
対象神人 | 個別 | |||||||
ジャンル | イベント | |||||||
タイプ | イベント | |||||||
難易度 | 特殊 | |||||||
報酬 | 特殊 | |||||||
出発日 | 2016年12月18日 |