プロローグ
たいそう凝った仕掛けのストリートオルガンである。まるで小振りのオペラハウスだ、人形の、人形による、人形のための。
サーカス小屋のような形状の木箱、それに取り付けられたハンドルを、初老の男性が緩やかに巻く。フリーリード特有の厚く柔らかな音色が古い恋歌を歌えば、ストリートオルガンの片端の天鵞絨に隠れたところから、しずしずと花嫁姿の人形があらわした。もう片方からは、花婿の人形。2体の、いや、2人の人形は中央で出逢い、手と手を絡める。婚姻の儀。オルガンの旋律にあわせてめまぐるしい円舞を描き、恋の成就を嬉遊する。
と、だしぬけに場面は一変した。花嫁は少女に、花婿は少年に、姿を変える。過去、出会って間もない時分の花嫁と花婿らしい。しかし、二人の間柄はまだぎこちない。憎からず想いあっているものの、どうやって恋心を打ち明ければよいのか、互いに思い悩み――……、
「ですが、さあ大変、国をも揺るがす一大事が起こったのです」
初老の男性がハンドルにかけた手を離し、別のスイッチを捻る。パイプの一部から細かいシャボン玉が引っ切り無しに吹き出され、オルガンの周囲に集った子どもたちを喜ばせる。
つまりこれは、絡繰りとストリートオルガンの組み合わせで物語を織りあげる、大道芸の一種なのである。
貴方方は、貴方方二人は、タブロス市内の名もなき小公園の片隅で、見るともなしにそれらを眺めていた。休日の午後、殊更急ぐ用事はなく、かといって何処かに遠出しようという意欲もなく、二人が離れようという選択肢はそれ以上になく……そんな貴方方にとって、ストリートオルガンは暇潰しのちょうどいい見世物であった。
なにか不都合が起こったなら、そのとき席を立てばいいだけのことなのだから。だから貴方方は、人形たちの物語の続きを見守ることにする。
はじめこそ古き良きロマンスを思わせたストリートオルガンの物語は、どちらかといえば、冒険活劇の様相を帯びてきた。少女は剣を取り、少年は盾を取り、力を合わせて安寧を脅かす強大な敵に立ち向かう。観客の子どもらのあいだから、ウィンクルムみたい、という、真率な感想があがる。つい目線の合った貴方方二人は、どちらからともなく無口に苦笑を零す。
複数の試練と冒険の果て、とうとう人形の二人は宿敵を打ち倒した。場面は、冒頭の婚姻に戻る。おそらくは気のせいだが、花嫁の人形は、はじめよりずっと濃やかな笑みを刻んでいるようにみえる。
「かように、どのような幸せな二人にも、思い掛けぬ出逢いがあり、そこに至るまでの苦難や苦闘があるものです……」
ストリートオルガンの奏でる楽に劣らず、ハンドルを握る男の語りもまた、濁りなき水の如く穏やかで滑らかだ。ずいぶんと切磋琢磨を積んだのだろう。円熟した技巧が、貴方方の気色に心地よい深みを与える。
ストリートオルガンの前方に置かれた函に、貴方方は投げ銭を入れる。男は貴方方にひそかに会釈し、新たな楽曲の演奏にかかる。
エコセーズ。もう少したしかに味わいたい気がして、上等の葡萄酒を愛でるが如く、目を閉じる。そうして知る、それは、嗜好による陶酔や感銘とはなにかがちがっていることに。目眩がする、身体の奥に渦を取り込んだよう。
或いは、不快。或いは、懐郷。或いは、晦渋。
様々な感情に耐えきれず、無理遣りといったかんじに目を開ける。しかし、そこは最早貴方方がおちついていたはずの公園ではない。貴方方は浮き足立つ。未知の空間ではなかったことが、貴方の狼狽を加速する。
――……ああ、ここは、
予感を感じ、否それは確信である、貴方は心を走らせた。
――……『あなた』を知っている、
その日、その時、その場所の。
現在より少し若い貴方のパートナーが、そこにいる。
解説
ストリートオルガンは、ヨーロッパの街角で見掛けるような手回しオルゴールのことです。いいですよね、あれ。
・「神人と精霊が出会った当時を、幻覚で追体験しましょう」なかんじです。あくまでも「精霊との出逢いの前後」のみです。他の過去は描写しないこと前提ですが、精霊との出逢いに影響する場合は、いくらか描写も可能です。
・出逢いの記憶がない場合は、お二人共通の思い出とかいかがでしょう?
・あくまでも現在の立場から振り返った「過去の幻覚」です。ですから、実際の過去とは少し違うかもしれません。
・「過去の幻覚」なんで、現在の立場とか地位には影響を与えないはずです。
・「出逢いの幻覚」なんで、精霊と神人は幻覚を共有します。でも、同じシーンの筈なのに印象や思い出が食い違うことって、多々ありますしね。
・幻覚のなかでは現在の記憶を持っててもいいですし、持ってなくてもいいですし。お好きにどうぞ。
・拘る方は「神人視点ではなく、精霊視点で」とか「過去の自分を第三者の視点から観察する」とか「現在のことを忘れて、完全に過去の自分になりきる」とか、そのへんの幻覚の見方まで御指定いただけるとありがたいです。ない場合は、プランから自分の趣味で判断します。
・世界設定にそぐわないプランは、リザルトノベルの描写において修整を入れざるを得ないことを、あらかじめ御承知ください。「幻覚だから」ってことにしてやってください。
・「投げ銭をした」としてウィンクルム一組さまに付き、200ジェールいただきます。投げ銭を追加すると何かあるような、ないような、やっぱあるような。あと、公園では屋台でチャイを売っていました。暖まりたかったり冷えたかったりする場合はこちらをどうぞ、1杯50ジェール。
ゲームマスターより
御拝読ありがとうございます。紺一詠です。
一度やってみたかったネタです。だって皆様、素敵な設定お持ちですから。
わりとシリアスに書いてみたプロローグですが、いつものように、ぶん投げお笑いも喜んで(むしろ全裸待機で)お待ちしております。
リザルトノベル
◆アクション・プラン
羽瀬川 千代(ラセルタ=ブラドッツ)
※第三者視点から出会いの場面を二人で眺める …此処はAROAの客室だよね? あそこに居るのは俺とラセルタさんだ この光景には見覚えがある…半年位前に初めて顔を合わせた日 オーガや戦闘とは無縁の生活だったから 今までの日常が変わってしまう事が、怖くて でも、顔を覗き込まれて開口一番に 「お前、うちの世話焼きなばあやにそっくりだな」 なんて言われるとは思わなかったよ ふふ、驚いたけれど悪い人じゃなさそうだなぁって安心したのは覚えてる いつか、ばあやさんにもお会い出来たらいいな…ラセルタさん? あ…だから霧の森での依頼、怒っていたんだ でも俺は俺だよ?ばあやさんじゃない ものじゃなくて、パートナーでしょう(羞恥に視線逸らし) |
スウィン(イルド)
昔、村の自警団員として治安維持活動を行っていた 村も自警団も規模が大きめで 近くの小さな村へ団員の派遣も行っていた 二人の出会いはスウィン20歳、イルド11歳の頃 イルドの村へスウィンが派遣され 危機に陥っていたイルドを救う 「大丈夫?…無事でよかった(笑顔で抱きしめ」 「怪我?平気、気にしなくていいから」 (昔はオネエ口調ではなく青年口調) 今までその時の子供がイルドだと気付いていなかったが この幻覚で子供の顔をはっきり思い出した事で それがイルドだったと気付く 今のは幻覚…?いやそれより もしかしてあの時の子供はイルドだったの…?! そっか、あの時の子がこんなに大きく…(嬉しそうに笑い) 色々話したい事ができたわ |
柊崎 直香(ゼク=ファル)
僕だけ買った温かいチャイに、投げ銭500ジェール ゼクとはお見合い結婚です ……普通にA.R.O.A.から適応する精霊が見つかったと連絡が。 相手がどんなひとでも良い子の神人くん、で いてあげようと思ったんだけど。 僕を引き取ってくれた伯父さん夫婦もすごく喜んでたし なんかこのひとめっちゃ睨んでくるんだけど? 第一印象はソレ 怖くはなかったけどなんだよ しかも第一声がアレで。これはハズレ引いたかな ハイハイ女の子じゃなくてごめんね ただの仕事相手だし割り切れよとはおくびにも出さず。 外面取り繕うのは得意だから 首傾げて困ったように笑ったら、それだけで動揺したみたいで、 あ、なんか面白い と思ってしまったのが、きっと始まり。 |
ヴァレリアーノ・アレンスキー(アレクサンドル)
ただ見世物を見るだけなら鍛練に励みたいが何故か目が離せず…? 昔の一人称:おれ 寒い地域のとある教会育ち 両親と仲睦まじく過ごしていたがオーガ来襲で両親が斬殺 その時母親にロシア語で「隣人を愛せよ」と十字架と共に託される 自分の非力さを嘆く 3年前A.R.O.Aに保護された時、サーシャに出会った 両親を失ったショックで茫然自失し一時情緒不安定に 第一印象は今と変わらず胡散臭い信用ならない奴 距離取って警戒 だが敵を倒す力を得る為に契約 幻覚終了後、胸糞悪い思い出を見せられ機嫌が悪くなる 改めて自分に帰る場所など無いと実感 台詞 おれに触るな…っ アレク…否、サーシャ、お前を利用しておれはもっと強くなる お前は今、何を思う? |
●綺想曲
――なんかこのひとめっちゃ睨んでくるんだけど?
直香のゼクに対する第一印象が、それだった。
『お前、男なのか?』
ゼクの直香に対する第一声が、それだった。
それ以上なにも切り出さず、ひとしきり互いを見交わす二人。A.R.O.A.の一室、気付けば彼等の他に人はなく、あとは若い人同士ごゆっくりで、とか、なにそれ、勘違いしてない?
「お見合いの初顔合わせとしちゃ最悪だよね」
これはハズレ引いたかな。
直香のなかの直香、つまるところ今の直香、が独りごちる声と、外の直香、つまるところ昔の直香、の本音が折り重なる。ハイハイ女の子じゃなくてごめんね。ただの仕事相手だし割り切れよ。
このお見合いの悪いところは、断るという選択肢がほぼゼロに等しい点だ。直香にしろゼクにしろ個体ではなんの力ももたぬ同士、契約を交わし、初めて『ウィンクルム』となる。
しかたがない。ここは僕がおとなになろう。
外の直香は金色の瞳を幾分潤ませながら、耐えるように、困ったように、首を傾げる。と、ゼク、あからさまに動揺した。腰を探ったり、胸を叩いたり、今更己を調べ尽くして、どんだけ挙動不審になってるの。やがて、ゼク、溜息ついて、なにごとか決心したように直香に告げる。
『飴、食べるか?』
『くれる……の……?』
『持ってきてない』
いや、だから、どうしろと。
しかし、直香は確信する。このひと、なんかおもしろい。というか、絶対に、おもしろい。
「相手がどんなひとでも良い子の神人くん、でいてあげようと思ったんだけど」
流行病によって両親を亡くし、孤児となった直香を引き取った伯父夫婦もすごく喜んでたし、拒否するつもりなんて、さらさらなかったけれど。まさか「付いてっていいかも」なんて気持ちになるとは思わなかった。これはきっととてつもなく愉快なことになる。
予感。日輪のかがやく水平線を見遣って、あの先には素敵な宝や冒険が待ち受けているはず、と、有頂天になるような。
直香はゼクを見上げて、かっちり視線を合わせる。すると、ゼクは尚更落ち着かなくなった。直香が一歩踏みだせば、そのまま、じり、と一歩後退して、直香がへにゃりと微笑んでみせれば、引き攣った笑みで返してきて、妙に律義に。
あ、やっぱり、おもしろい。直香はいっそう確信を強くする。
だってしようがないじゃないか、アイツ小さかったんだぞ、いまでも幼いかんじはするけれど、相互認識は顔合わせのときが初めてだったが、実はそれよりすこしまえに一方的な面識ならばあった。A.R.O.A.支部の廊下に所在なげにたたずんでいた少女(ではなかったのだが、その時分はそれ以外の可能性に思い至らなかった)、あのような少女と契約できたならば……と考えていた矢先、したらば通された部屋には少女がいて、キミの神人だよと紹介されて、その支部に至る神人は例外なく男性ばかりだったから、ようやく少女ではなく少年だったと悟り、あまりにも呆れて、心にだけしまっておくことができなくて、ついうっかりああ口走って、大体アイツが女のような外見なのが悪い、それを百も承知で可憐に笑うのが悪い、無邪気に俺にひっついてくるのが悪い、いや、当時はそうでもなかった、もっとおとなしかったかもしれない、だったら俺が悪いのか、いや違う、ジェットコースターみたいにアイツが俺を振り回すのが悪い、ジェットコースターに似たものはなんだって悪い、毎日毎日、心臓に悪い、寿命に悪い、結論をいえば――……、
「俺は、悪くない」
「悪いよ。僕を放って、ひとりで昼寝するなんてさ」
「ん……?」
ゼクが目覚めれば、あーおいしかった、と、直香がチャイの最後の一口を呑み込んだところだった。たしかストリートオルガンの見世物を二人で眺めていたはずが、どうやらゼク、いつのまにやら寝入っていたらしい。
「直香、俺のチャイは?」
「あるわけないでしょ。ゼク、ぐーすか寝てたんだもん。冷めたら勿体ないし」
「そうか……。別に俺は冷めてもかまわないんだが」
「やだよー。これ以上お金を使いたくないもん」
「本音はそれか」
「ごちそうさま。さ、ゼク。もう行こう。おなかすいちゃった」
ぴょいと直香が長椅子から跳び上がれば、ゼクも従わざるを得ない。未だにしっくりこないこめかみをほぐしながら、ゼクもゆっくり立ち上がる。どうも記憶が曖昧だ。
「直香、俺はいつから寝てたんだ?」
「知らないよ」
「眠かったおぼえはないんだが……」
「年齢じゃないの?」
ぼんやりしたゼクを置いて、直香は小走りにストリートオルガンに近寄り、綺麗な柄の罐にジェールを突っ込む。不思議なものをみせてくれたお礼に、ちょっと多めに。
そうか、ゼクってあんなこと考えてたんだ。ジェットコースターに似たものはなんだって悪い、とか、むちゃくちゃな結論出してくれちゃって、まあ、
「やっぱりゼクはおもしろい」
うんうんと小首を振って直香が一人得心しているのを、ゼクは知らない。
●奏鳴曲
少年は意を決した。絶対に連れて帰る、と。
森に入った友人が、帰ってこないのだ。近隣の村の自警団から人員を借りて、大人達は大規模な捜索隊を組んだようだが、大切な友人を彼等だけに任せてはおけない。ほんとうの動機は、捜索隊に加えてもらえなかった悔しさか、幼い反発か、いずれにせよ少年は単独で森を目指した。
子どもには子どもなりの勘が働くのだろう。少年は捜索隊より先に、友人を探しあてた。が、喜んでばかりもいられない。なんとなれば、友人は気を失い地に横たわり、その喉首に、今まさにワイルドドッグが牙を立てようとしていたところだったから。
少年は、飛び出した。樅の枝1本それだけ握って、正義感というより本能で。少年の枝は野犬の鼻先を引っ叩いた。呻きをあげる野犬、黄色の眼球に敵愾を燃やし、少年を睨み付ける。神経がぎゅっと強ばる。このままでは殺られる、だのに、腕も足もちっとも動かない。
野犬の憎しみの全ては、いまや少年ひとりに向けられていた。新鮮な贄を求め、少年に躍り掛かる。少年は死を予期し、目を閉じる。
後悔はしていない。すこし残念ではあったけれど……魔性族として生まれた自分、もしもウィンクルムの契約とやらを行っていたら、こんな野犬1匹になんか負けなかったのに……逃避のように、そんなことを考えた。
しかし、観念していた痛みは少年の身にはふりかからず――……、
「大丈夫?」
一瞬で終わった。
見知らぬ青年だった。隣村から派遣された自警団の一員だったのではないか、と、推察できるようになったのは、ずいぶんあとのことだ。青年は少年と違い、其相応の剣を携えていた。刃を伝う、濁った血糊。片側に伏す、野犬。
「無事でよかった」
身体の全体で、少年は青年に抱き竦められる。
そうされて、少年はようやく悟る。青年の腕に粘着する赤いモノ、野犬のとは異なる、ずっと澄んだ、しかし痛々しい色相
。
「怪我? 平気、気にしなくていいから」
後悔は、していない。
いや、していたのかもしれない。
何故、自分はなにもできなかったのか。目の前のこの人に、うかうか傷を負わせてしまったのか。他にもっといい遣り様はなかったのか。
「偉かったね。友だちを守ったんだろ?」
偉くない。なにも守れていない。自分だけ安全で、他人に怪我させて、そのくせ手当ての術すら知らない。最低だ。
少年は云い返そうとした。しかし、なにも言葉にならなかった。少年は青年を抱き返した、弱さを見せつけるみたいに、彼の胸元へ、我武者羅に獅噛み付いた。あの日の自分はとことん最低だった。だから、誓う。
いつか、いや、そうじゃない――来るべきその日にはきっと、
『今度は俺が、あんたを守る』
イルドは11歳、スウィンは20歳だった。
四分の二拍子の軽快な舞曲は中盤をむかえていた。スウィン、夢から醒めた頭をゆっくり巡らせる。
「今のは……?」
幻覚かと気付く。身体に異状はないようだ。それだけでは安心できず、傍らのイルドにのほうへ身体ごとねじむける。
イルドに殊更変化はないようだった。スウィンの横で長椅子に腰掛け、頬杖を突き、口をへの字に曲げ、まるで喧嘩を売るような目付きでストリートオルガンを見通している。スウィン、イルドも幻をみたのかと問おうとして、
「イルド?」
命がそこにあることの喜び、この感情を知っている。
見て呉れは険悪なくせして、その実中身は繊細な、この横顔を知っている。
――……思いの外、ずっとまえから、
「もしかしてあのときの子どもはイルドだったの?」
「ああ」
スウィンの叫びに、イルド、1回こっきりうなずいた。
「そっか、あのときの子がこんなに大きく……」
つれない返事すら嬉しく、スウィン、たしかめるように、ぽん、ぽん、と、イルドの上半身を払ってゆく。
「すっかり独活の大木になっちゃって」
「なんだよ、それは」
「冗談に決まってるわよぅ」
「……だいたいどっちが独活の大木だよ。今更気付きやがって」
「それもそうねぇ」
スウィン、イルドの胸口、握り拳で、とん、と、軽く突く。
「いろいろ話したいことができたわ」
成長の肥料はなにか教えなさい、と、スウィンは飄々と、だから植物あつかいすんじゃねえよ、と、イルドも向きになって、けれど、イルドの秘めたる心は口の端にのぼることなく。
もし肥料というべきものがあるのなら、あの日の取り取りの感情。
哀しみと怒りと……小さな初恋、と。
それはまだ云わない。再会していくらか時間が経った頃、イルドのほうはスウィンの正体に気付いたが、それを伝えはしなかった。その時期ではないと判断したのだ。
『今度は俺が、あんたを守る』
あの日の誓いが、まさかウィンクルムの契約となって還ってくるとは思わなかった。そして、幼い決心はいよいよ意味を重くした。軽々しく云えるわけがない。イルドに今できることといったら、スウィンの跳ねた髪をほんのすこし指で梳くぐらいのことだった。
●夜想曲
羽瀬川 千代とラセルタ=ブラドッツは、半年前、A.R.O.A.の応接室で初めて顔を合わせた。先に部屋へ通されたのは、千代のほう。革張りのソファにぎこちなく身を預け、未来の盟友に待たされていた。黒檀の座卓には、手付かずの銘茶と茶菓。
「ずいぶん上等な葉をつかったお茶だなあ、と、思った。でも冷ましちゃって、勿体なかったな」
「ふん。真っ先に思い出すのが茶のこととは、お前らしい」
長椅子に腰掛けたまま、横並びの千代とラセルタは、過去の二人を眺めている。幾分セピアがかった紗の彼方、在りし日が、淡々と揺らぐ。だからだろうか、実感がまるで伴わない。すこしぐらい懐かしさや気恥ずかしさが込み上げてもよさそうなものだが、あるのは、全てを受け入れてもいいような、ただひたすら穏やかな感情。
春の小川のように、舞い散る花片とともに、てのひらから、はらはら零れゆく追想。
――……それまでの千代は、戦火とは無縁の暮らしを送っていた。己を養育してくれた孤児院での暮らしに不満はなかった。院長を務める老夫婦は優しく、血の繋がらぬ弟妹たちは愛らしく、彼等を助ける毎日になんの疑問も抱かなかった。オーガやオーガのもたらす不幸について知らぬわけではなかったし、それらを聞かされる度、多少の忸怩たる思いもあったが、所詮自分にはなにもできないと思っていた。
ずっとこのまま続くのだと思っていた。しかし、彼はウィンクルムとして顕現した。オーガに襲われた児童を助けたい一心で飛び出したとき、彼の手に神人のしるしが現れた。
「それからは、嵐の連続だったね。なにが起こっているか知覚はできるけど、消化はできない。通りすがっただけのパジェントに、場違いにも引っ張りあげられたような気分だった」
あれよあれよというまにA.R.O.A.に保護されて、適応する精霊が見付かったと聞かされても、はあ、と、生返事が精々だった。が、いよいよ対面という段になり、不意に衝動がやってきた。どうして俺はここにいるんだろう。
「ほんとうに怖かったよ。手の甲の文様を消せるのなら、すぐにでもそうしたかった」
「どんな精霊に引き合わされるか不安だったからか? ならば、俺様のような頼れる精霊が現れて、安心しただろう」
千代は苦笑する。微笑ましい、取違い。千代がなによりも恐れたのは、日常の瓦解だ。契約をすませてしまえば、戻れなくなる。無力を言い訳にできた時代を手放すことになる。ラセルタは千代を怪訝そうに見遣る。
「なんだ、その顔は」
おなじだ、と、千代は思う。あの日、ノックもなしに部屋に乗り込んだラセルタは、にわかに千代のおとがいをもちあげ、開口一番、
『お前、うちの世話焼きなばあやにそっくりだな」
千代は――呆気にとられた。試されているのか。いくぶん卑屈な勘繰りは、しかし、ラセルタの目を見た途端、消し飛んだ。細い猫目は、純粋な感心を千代に注いでいた。神人とか精霊とか、ラセルタには関係なかった。彼はそこにあるものをそのままとらえたのだ。
「すごく驚いたよ。でも、悪い人じゃないかも、とも思った」
「俺様ほど性善説を体現した存在はない」
「ふふ、そうだね。いつか、ばあやさんにもお会い出来たらいいな」
相当主観雑じりとはいえ、それまでは事実のみを告げていたラセルタが、ふと口を噤む。
がんどうがえし。紗のあちらが反転する。城郭のような壮大な館が立ち現れ、大勢の人々が出入りする。そのなかの一人、双角の少年。
「………ブラドッツ家が没落した事は教えただろう。その際に俺様は全てを失った」
驕奢を誇った館が剥落する。モザイク画の崩壊。家、友人、大事にしていたコレクションの数々……ラセルタの独白にのぼる都度、煙のように消えていく。
「ばあやとは、その際に別れたきりだ。消息も知れない」
最後に取り残されたのは、少年、ひとりで。悉くを奪われた非力な少年は『無』を睥睨する。水色の瞳に灯る、熱、光、悲憤、覚悟。
「俺様はもう二度と何も失わないと決めた。ばあやに似たお前が俺様の元に来たのも何かの縁だろう」
「……だから霧の森での依頼、怒っていたんだ」
ラセルタは、依頼人に対して腹を立てていたようだった。大切な者から手を離すなど俺様なら考えられない、そんな言葉を吐き捨てた。
「でも、俺は俺だよ? ばあやさんじゃない」
「分かっている、千代のくせに生意気な」
初めて逢ったときのように、ラセルタはなんの断りも入れず、千代に触れる。赤い文様の浮かぶ、左手の甲。
「此処でもう一度言ってやろう。千代は俺様のものだ」
長椅子を降りたラセルタは、千代の前に恭しくかしずく。そして、あの日のように――あの日よりずっと強く、長く、千代の文様に唇を降ろした。
「ものじゃなくて、パートナーでしょう」
触れられて痛い、それとも、居たたまれないのか。頬を赤めた千代が、漸くそれだけ云い返せば、モザイクの最後の一片が、剥がれる。彼等の日常が再び還る。
●前奏曲
けして裕福な土地ではなかった。寒威凛冽の気候、痩せた地質、産業といえば蕪やライ麦を育てるだけで精一杯の。それでも夏には向日葵がたくさん咲いた。村の教会のぐるりを囲み、セルロイドの風車のようにぴかぴか光った。
教会の子のヴァレリアーノ・アレンスキーは思う。
わるいやつが来ても、だいじょうぶ。ひまわりは神さまの槍、ひまわりは神さまの楯、ひまわりは神さまの衛兵。ひまわりといっしょに、おれがやっつけるから。
きっとだいじょうぶ、と、父と母に告げる。そうね。母は、向日葵よりも小さな我が子を撫でる。
しかし、季節は玄冬。
向日葵はとっくに根雪の下に伏せてしまった。短兵急に村を侵攻したオーガは微塵の看過なく、有らんかぎりの命を狩りたてた。ヴァレリアーノの父母も息子を守り、オーガの斬撃の露と化した。母は絶え絶えの息で、露と雪の国の言葉で、ヴァレリアーノにこう告げた。
隣人を愛せよ。
血に濡れた腕で彼を掻き抱き、銀の十字架を託した。
ヴァレリアーノは一切されるがままだった。右の瞼から頬へかけて縦に走る一条の傷から鮮血があふれ、彼の視界を真っ赤に汚す。それともこれは炎か。村を焼く劫火の色か、遂に反撃のひとつもならなかった彼の無力を責め、焼き滅ぼさんとする天の火か……、
――……エコセーズの転調、時は移る。
3年前。ヴァレリアーノの回復は、はかばかしくなかった。世界は未だ生々しい肉色で、彼に感情をもつことを許さなかった。他人には心神喪失と呼ばれた、ヴァレリアーノは赤の爆ぜる世界に溺れているだけだったのに。
しかし、彼は神人だった。適応する精霊があらわれたと聞かされれば、赴かなければならない。連行されたA.R.O.A.の一室、そこでヴァレリアーノは幾久しく、赤、以外の色にでくわしたのだ。
アレクサンドル、彼は潔白の白だった。
神のように。
ヴァレリアーノはたじろいだ。神がいるわけがない。第一、正面の男が神に近しい存在だとはとても思えない。媚笑とも憫笑とも付かぬ、如何わしげな白い面差しでヴァレリアーノを見下ろす、この男が。
「初めまして、ヴァレリアーノ・アレンスキー」
「おれに触るな……っ」
「触れなければ、契約は成らない」
アレクサンドルが踏み出すのに任せて、ヴァレリアーノは一歩引いた、迂闊にも。己の劣敗を知らしめるような行為を、ヴァレリアーノは悔やむ。かといって、アレクサンドルには触れられたくない。ジレンマを見抜いたのか、アレクサンドルはヴァレリアーノを易々と壁際に追い込む。顔を背けるヴァレリアーノの耳朶まで首を落とし、囁く、金の髪と銀の髪が混じり合う近さで。
「力が欲しいならば、我が手を取るのだよ」
力。その一言がヴァレリアーノの奈落を攪拌する。抵抗を中止すれば、アレクサンドル、なにもかも了察ずみだというふうに、慇懃な物腰でヴァレリアーノの前に膝を付く。だらりと垂れた、生気に欠けた左手を取る。そして、今はまだ青い文様へ、毒を塗りつけたように朱い唇を――……。
ヴァレリアーノはにわかに向き直り、公園を出る。
子供騙しの見世物の筈だった。魔が差したにせよ、そんなものに付き合った自分が腹立たしい。はじめに思ったとおり、鍛錬に当てていればよかったのだ。帰ろう、と考える。
「いや、」
自分に帰る場所など、ない。
一時的に立ち寄るだけだ。アレクサンドルは何も云わず、ヴァレリアーノの歩みに付きそう。
「アレク……」
ふとヴァレリアーノは停止する。これもまた一時の休憩に過ぎず、故に、ヴァレリアーノはアレクサンドルを振り返らない。
「否、サーシャ、お前を利用しておれはもっと強くなる」
そして、ヴァレリアーノは再び単行する。精霊の返答など構いつけず。
――……くつり、と、唇を歪ませるアレクサンドル。
「……我と汝の本質は似ていると思うがね」
久々にあの日の法悦を思い出すことが出来た。初めてA.R.O.A.でヴァレリアーノを見たとき、電気に打たれたように直感したのだ。自分には彼しかいないのだ、と。扱い辛いどころか掌の中で転がしやすい、と。
ヴァレリアーノと同じくアレクサンドルもまた故郷を失っている。しかし、その実体は似て異なるものだ。ヴァレリアーノは大いなる力によって愛するものを奪われたが、彼は手ずから近しいものを覆滅に追い込んだ。しかし、最後の一人を害したときですらなにも感じはしなかった。
つまらぬ輩だ、と、アレクサンドルは倦怠を嘆いた。こんな退屈が死ぬまで続くなら、いっそ自尽したほうがマシかというぐらいに。
が――……、
隣人を愛せよ。
「アーノ、汝は承知かね? その言葉には続きがある」
偽典と名付けられし或る書物には、こうある。
隣人を愛せ、且つ――汝の敵を憎め。
「汝の還る場所は我の中にあるのだよ」
黄昏の赤い路地を抜け、ヴァレリアーノとアレクサンドルはけして横には並ばず、仮初めの住み処へ戻っていった。
依頼結果:大成功
MVP:
エピソード情報 |
|
---|---|
マスター | 紺一詠 |
エピソードの種類 | ハピネスエピソード |
男性用or女性用 | 男性のみ |
エピソードジャンル | ロマンス |
エピソードタイプ | ショート |
エピソードモード | ノーマル |
シンパシー | 使用不可 |
難易度 | 簡単 |
参加費 | 1,000ハートコイン |
参加人数 | 4 / 2 ~ 4 |
報酬 | なし |
リリース日 | 06月17日 |
出発日 | 06月23日 00:00 |
予定納品日 | 07月03日 |
参加者
- 羽瀬川 千代(ラセルタ=ブラドッツ)
- スウィン(イルド)
- 柊崎 直香(ゼク=ファル)
- ヴァレリアーノ・アレンスキー(アレクサンドル)
会議室
-
2014/06/22-23:24
こんばんは、羽瀬川千代です。
何とかプラン提出はしてきましたが、もう少しだけ詰めてみるつもりです。
平々凡々な出会いでも、振り返るのは何となく気恥ずかしいものですね…。 -
2014/06/22-22:25
へんかんできない、クキザキ・タダカですー。
平凡でありがちな出逢いだったよ?
ドラマチックな展開は皆のを覗き見しようと思う! 楽しみ!
あ、投げ銭は500ぐらい投げてみたー。 -
2014/06/22-21:34
ばんわ、スウィンよ。苦戦しつつ一応プラン完成。これでいいのかちょっと不安だけど…。
皆はどういう出会いだったのかしらね。