プロローグ
かくれんぼするものよっといで。
おにごっこするものよっといで。
遊びたい子はよっといで。
さぁさ、さぁさ、よっといで。
仮面をつけた男だか女だかもわからない人物が、歌うように手を招く。
曰く、童心に帰って遊んでみないかというもの。
いい年した大人に見える人物が誘うには違和感がある気もするが、いい年した大人だからこそ童心に帰りたい時があるのだろうか。
急いでいるわけでもないし、話だけでも聞いてみようかと、パートナーと二人で声をかければ、仮面の下でにこりと笑う唇。
「思い出の場所でかくれんぼ。残り香を追っておにごっこ。抱きしめれば、それはそれは幸せな香りがお二人を包むでしょう」
意味ありげな台詞とともに、ふうわり、どこか甘い香りが周囲に満ちる。
それは意識を蕩けさせるような心地良い甘さで。
気がつけば、二人揃って、夢の中。
――そこは、知っている場所だった。少なくとも、貴方は。
先程まで隣りにいたパートナーは、知らないだろう。知っている、かも知れないが。
そこはとても懐かしい、あるいは今はもうあるはずのない、そんな場所だった。
だから、すぐに分かった。これは、幻影なのだと。
だが、意識はとてもはっきりとしている。感覚も同様で、タイムスリップでもしたかのようだ。
周囲に人の気配が全く無いことが、ますます現実であることを否定したのだが。
「彼は……」
パートナーは、どこに、行ったのだろう。
きょろきょろと視線を巡らせていると、不意に、鼻をつく香りの存在に気がついた。
掻き消えてしまいそうなほど薄いけれど、確かに香る仄かな甘さは、心をふくよかにしてくれる幸せの芳香。
「……あっち、かな?」
何の気なく、足を向ける。脳裏に、仮面の人の声が過ぎったのだ。
思い出の場所でかくれんぼ。
残り香を追っておにごっこ。
つまりそういうことなのだろう。
ならば、探して捕まえて、抱きしめれば。
きっと幸せな香りに浸れるのだろう。
夢から醒める手段がわからないのだから、その言葉に倣うより他あるまい。
――その思い出が、例えば辛い記憶の引き金になるとしても。
解説
遊戯代として300jr頂戴いたします
プランには、神人か精霊、どちらかの思い出の場所を書いてくださいそこがかくれおにの舞台となります。
室内でも構いませんが、殺風景な室内だとかくれおにのしようが無いので多分面白くありません。
鬼は思い出の場所を提示した方になります。
神人の思い出の場所なら神人が鬼
精霊の思い出の場所なら精霊が鬼
時間制限はありません
二人の他に生き物はいません
朝ならずっと朝のまま、風も吹かず鳥も囀らない、絵画の中に放り込まれたような状態です
そんな空間の中からパートナーを見つけて抱きしめてください
パートナーはほんのりと甘い香りを放っている状態です
行く所行く所で甘い香りを残していくでしょう
本気で逃げても隠れても構いませんが、捕まらないかぎり夢からは醒めませんのでご注意を
パートナーの方から寄って行ってもいいんですよ
服装、持ち物は現代のままです(コーデは指定あれば参照しますが特に気にせずで大丈夫です)
ゲームマスターより
ご無沙汰しております。寿GM主催【薫】シリーズ、錘里内第二弾です。
今回は少しブランクありますので4名上限で運営させて頂きます
二人が出会ってからの思い出の場所を指定して頂いても構いませんが、
過去エピソードは参照したりしなかったりなので軽く情景をプランにいれることを推奨します
神人と精霊がどちらもその場所を「思い出の場所」と認識している場合は、どちらが鬼か明記してください
リザルトノベル
◆アクション・プラン
ハティ(ブリンド)
今は無い小さな集落 自警団で共同生活していたアパートに部屋の数だけの明かりを見て 上からの物音を確かめるため中へ 鍵はかかっていなかったが部屋には入らない 入れなかった 階段で降りてくるのを待つ 隠れ鬼だったか …俺の方が隠れてるみたいだな 音の正体は知っている気がしたが声を聞いて安堵 ああ…本当に来れるとは思わなかったが(EP47) 空は見たか? 展望台までは距離があるので屋上へ誘う …これじゃどっちが鬼なのかわからないぞ 確かにアンタからはいい匂いもするしな いや本当なんだが…リン 空が見えない ……きれいか? これは俺の記憶なんだろうが 少しずつ忘れている気がする 視界が悪いのはリンだけのせいじゃないが 気取られる前に腕を回す |
初瀬=秀(イグニス=アルデバラン)
鬼側 場所:実家 なんだかよくわからんまま気づいたらここにいる訳だが ったく、懐かしい場所を出してきたもんだ 料理人になるっつって飛び出して、それっきりか? (ふ、と甘い香りに気が付き) (同時に思い出す、仮面の男の言葉) そうか、探しに行かなきゃな 植え込みの陰、郵便ポストの傍を通り 玄関を開ければ濃くなった香りと、見覚えのある靴 妙なところで律儀だなあいつ、とため息一つ 見覚えのある、ありすぎるほどの部屋の扉はやや開いていて ……イグニス 「俺の部屋」に勝手に入るなっつうの ほら、帰るぞ (両手を広げて抱きしめ、甘い香りを吸い込んで) そう 俺が帰る場所は、もうここではなくて 小さな自分の城、或いは ―金色の王子様の、腕の中 |
セラフィム・ロイス(火山 タイガ)
森なのに生き物がいなくて…寂しい。怖くないだけよかった それに体の香り かくれんぼとか鬼ごっこって言ってたっけ …みつけてくれるかな(微笑 (チョコの包みをしまい、想い どうせなら宝物とか見つけたいな木の実とか絶景とか素敵な物 宝物)みつかるまでは捕まらないよ ■はらはら茂みに潜み「撒いたかな」と思った所 わ!? …捕まっちゃった 人生初のかくれんぼだったんだ。楽しむよ いい場所みつけたんだ ほら タイガ…(依頼99を思いうまく言葉をかけれず 花冠つくれたらよかったけど 今日はこれで(花と一緒に歪なハートの手作りチョコ 僕の気持ち 本物の花畑いくまでに作れるようになってるね (お母さんと同じ気持ちで。隣に居させて下さい)空を仰ぎ |
鳥飼(鴉)
「鴉さん?」(ゆっくり辺りを見渡す 誰もいませんし、音も聞こえません。現実じゃ無いみたいです。 スラム街、でしょうか。(入った事が無い 僕じゃないなら、鴉さんの思い出の場所がここ……? 「鴉さんは夜が嫌いって前に言ってました」(空を見上げる 大丈夫でしょうか。 仮面の人は残り香を追って、と言ってました。(手首を嗅ぐ 僕から。つまり僕が逃げる方で、鴉さんが鬼。(思案 でも心配ですし、僕からも探します。 擦れ違いには気を付けないと、ですね。 (声に振り返り、駆け寄る 「よかった。会えないかと思いました」 顔色がよくありません。「大丈夫ですか?」 無理は禁物ですよ?(そっと抱き締め返す いい香り。ずっとこうしていたくなります。 |
●逃げて、
そこは、静かな森だった。
ひそりとも鳴らない木の葉を湛えた木々を見上げて、セラフィム・ロイスは薄っすらと肌寒い心地になる。
それは、寂しいという感情。
緑豊かで生命に溢れていそうな森に、気配すらない現実からくる孤独感。
薄暗さがなく、怖い雰囲気ではないだけが救いだろうか。ふぅ、と息を吐いて、小さく吸って。セラフィムは、ほのかに香る甘さに気がついた。
「……かくれんぼとか鬼ごっこって言ってたっけ」
目印は、きっとこの香り。
これが仮面の言う童心に帰るための遊びなのであれば、少し、少しだけ心が踊った。
(……みつけてくれるかな)
手にしっかりと持っていたチョコレートの包を、そっと懐へしまい、セラフィムは小さく微笑んだ。
鬼のあなたは、さて何処。
辿る導は筋の如く、ひらりと漂う甘い香。
おいでやおいで。
ここまで、おいで。
「鴉さん?」
声は、左右に佇む建物に弾かれ、虚しく響く。
そこはおそらく、スラム街と呼ばれる場所。鳥飼にとっては縁もなく、一切の覚えがないこの場所は、パートナーの記憶の場所だろうか。
昼間に訪れても薄暗さを感じるだろうその場所は、夜の帳を降ろし、一層暗く。
鳥飼は、月も浮かばぬ空を見上げて、眉を顰めた。
夜は、駄目だ。
「鴉さんは夜が嫌いって前に言ってました」
ここに、パートナーがいるのなら。
居て、しまっているのなら。
(大丈夫でしょうか……)
早く、見つけなくてはいけない。
すん、と鼻を寄せれば甘く香る己の身は、きっと彼が辿るべき導なのだろうけれど。
それは鳥飼が足を止める理由には、ならなかった。
迷えや迷え。
朧の記憶をふらふらと。
あちら、こちら、さぁ、どちら?
またはぐれてしまった。
がーん、とショックを受けたような顔をしたイグニス=アルデバランは、しかし慌てる様子もないまま、くるりと周囲を見渡す。
「うーん、どこでしょうかねえここは」
整えられた綺麗な庭。少し古くも見えるが朽ちた様子のない家屋。
人の気配はなく、道を尋ねる事もできない状況には参ったものだが、それならば仕方がない、いつだって道は自力で拓くものだ。
「秀様ー! どこですかー!?」
だだっ広くも見える空間は、イグニスの声を吸い込む。
くるりと庭を一周した所で、イグニスは肩を竦めて、見上げた。
目の前に佇む、家を。
静かで静か過ぎる不思議な空間は、きっと幻覚的な何かなのだろう。
だとしたら、もしかしたら。
ここはきっと、大切な場所なのだろう。
誰にとってかは、言うまでもなく。
積んでは重ね、紡ぎ出し。
形作るは君の基。
さぁさ覗いて見せてご覧。
話せば長い、記憶の一部を。
知らない場所だった。だけれど、覚えがあった。
ブリンドの記憶に合致したのは、アパートの前に置かれた鉢植え。
それはごく最近ブリンドの家に増えたもの。
パートナーの荷物の一つ。
だけれど、それは彼が持ち込んだものであっても、彼のものではなかったのだろう。
そんな疑いがあったからこそ、何の変哲もない鉢植えに見覚えを抱いたのだ。
花が咲こうが目もくれないとは。そんな無関心をパートナーが嘆いていた事を、思い起こす。
実際は真逆である。
初めから、気になって仕方がなかった。
その鉢植えに、どういう意味や謂れを託しているのかが。
(……探すか)
ここが彼の記憶ならば。彼もどこかに、いるはずだから。
●追って、捕まえて
見慣れた森。懐かしささえ感じるその場所は、火山 タイガがかつてマタギとしての実践に何度も来た場所だった。
どうして今ここに。動揺と共に、タイガはふと、隣りに居たはずのセラフィムが居なくなっていることに気がついた。
「……セラ!?」
慌てて周囲を見渡すが、セラフィムどころか命の気配すら感じない。
その代わり、ふわり、甘い香りが漂ってくるのにも、気がついた。
鬼ごっこだとか、かくれんぼだとか。そんなことを言っていたのを、思い出す。
「ってことは俺が鬼なのか」
すん。ごく微かだが、香りが続いているのが、はっきりと分かる。
この先に、きっとセラフィムがいるのだろう。
(抱きしめるまでがゲーム……)
想像して、思わずにやけてしまったけれど、恋人に触れる喜びを思えば仕様のないことだと、目を瞑ってもらおう。
「っまて。同じ地理だったら」
崖や川もあるはずだ。用心深いセラフィムのことだから不用意にそんな所に近づくことはないだろうが、早く見つけるに越したことはない。
「こうなったら最速で見つけてやる」
そう言って、勢い良く駆け出したタイガの様子は露知らず。
セラフィムはくるくると森の中に視線を巡らせながら、ほんの少し楽しい気分になるのを自覚していた。
「どうせなら宝物とか見つけたいな。木の実とか絶景とか素敵な物」
ここがタイガの思い出の場所であるなら、なおのこと。
彼の記憶に焼き付いているであろう物を、自分の目でも見てみたい。
それが見つかるまでは、捕まるまい。
ふわふわと甘い香りを漂わせながらとことこと歩いていたセラフィムは、生き物が居ないなりに美しい景観の森をのんびりと眺め歩く。
「きれいだな……」
感嘆したようにポツリと零したセラフィムは、不意に、がさりと草の揺れる音が近づくのに気がついた。
生き物の居ないこの場所で、音を立てる存在など考えるまでもない。タイガだ。
わ、と慌てたような声を上げて、さっと茂みに潜むセラフィム。がさがさと繰り返す音はやがて近づき、ゆっくりと遠ざかり……聞こえなくなった。
「行った、かな」
そろり茂みから顔を覗かせて伺っていると、突然、後ろから声。
「みーつけたっ」
「わ!?」
抱きしめてしまっては、ここで終わりだ。とんっ、と背を小突いたタイガに、セラフィムは驚いて振り返る。
へへ、と得意気に笑っているタイガは、「本気で逃げただろ? ひでー」と非難めいた台詞を吐くが、実に楽しげでもある。
「人生初のかくれんぼだったんだ。楽しむよ」
屋敷に篭もりきりでは体験できなかった大自然での遊戯。
それを楽しまなければ、と笑みを湛えたセラフィムは、そうだ、あのね、とタイガの手を引く。
「いい場所見つけたんだ」
そのまま手を引いて連れて行かれたのは、一面の蓮華畑。
それを目に止めたタイガの瞳が、大きく、見開かれた。
「……すっげーな!」
弾んだようなタイガの声は、しかし、微かに滲んでいた。
そんな違和感を気取ったセラフィムは、どこか窺うようにタイガの横顔を見つめる。
視線を感じるゆえか、タイガはいつまでも空元気でいるのをやめて、ふぅ、と小さく息を吐く。
「昔、家族でこんな蓮華畑でピクニックしたんだ」
むかしの話。
それは、今はもう、戻ることの出来ない時間の話。
「母さん俺に花冠くれて『よく似合う』って笑って」
見えなかったタイガの瞳に涙の滲むのを、セラフィムは見つけてしまった。
先日、崩れたイベントホールに巻き込まれた時の事が過る。
だが、目を逸らしそうになるセラフィムの視線を引き付けたのは、どこか晴れ晴れとしたタイガの顔。
(久しぶりに笑った母さんの顔がみえた。最後の顔じゃない)
ここは、辛い記憶よりも、幸せな記憶が染み付いている場所なのだ。
それを、感じ取って。セラフィムは蓮華の花を一輪摘んで、小さく零した。
「花冠つくれたらよかったけど」
それが出来る手先はないから。今日はこれで。そう言って花と共に差し出したのは、歪なハートのチョコレート。
慣れないことをしたゆえの不格好は、この際見なかったことにしてもらおう。
「僕の気持ち」
瞳をぱちくりと瞬かせているタイガの手に、そっとチョコの包みを握らせると、ふわり、儚くも美しく、微笑んだ。
「本物の花畑いくまでに作れるようになってるね」
「……やるのは俺の方だ」
セラフィムの思いが嬉しくて、愛おしくて。堪えていた涙の零れるのを感じたが、それでもタイガは笑った。
同じように摘んだ一輪をそっとセラフィムの髪に添え、改めて、柔らかく抱きしめた。
満ちる香りは、優しくて懐かしい……蓮華の香りのようで。
――あなたと一緒なら苦痛がやわらぐ。
そんな言葉を持つ花を添えられた髪にそっと触れてから、セラフィムはまどろむ意識で空を仰ぐ。
(お母さんと同じ気持ちで。隣に居させて下さい)
◆
生まれ育ったその場所は、気分の良くなる場所ではなかった。
「此処、は……っ」
周囲の光景を認識した瞬間、鴉は右肩が強く痛んだ気がして、ぎゅぅ、と爪を立てるようにして肩を抱いた。
「私が居た場所、ですね」
じわり、額に滲む油汗は、ひやりと冷たく感じるスラムの空気を一層冷えて感じさせた。
星のない夜を湛えたこの場所は、記憶にある中でも特別嫌な瞬間を形作っているように思う。
かつて、鴉の名を嘲るようにして切り裂かれた背中。
その瞬間を切り取った曇天の夜。
心の内側を抉ってくるような光景を、瞳を伏せて遮断して。小さく、呼吸を繰り返す。
気持ちがゆっくりと落ち着いて、それに伴うように、甘い香りが仄かに漂う。
「……かくれおに、でしたか」
ぽつり、と。零れた声に抑揚はなく。ただの復唱で、認識のすり替えだ。
「つまり、主殿を探さなければ」
目的が出来た。だからここに居る。居られる。
何より、探さなければ終わらない。
だらり、いつもより力なく降ろされた右腕をゆらりと揺らし、鴉はゆっくり、歩き出した。
一歩、二歩、三歩。歩いてふと、鴉は後ろを振り返った。
誰もいない。
誰の気配も、感じられない。
薄ら寒ささえ覚えそうなその現状に、鴉は逆に安堵していた。
「幻といえど、嫌なものを再現してくれたものです」
皮肉げに笑って、鴉は歩を進める。
追っているのか、追われているのか。それさえも分からなくなりそうな中でも、過去にはなかった香りだけは見失うことはなかった。
歩みはどこか縋るようで、足取りは重く、もつれるような錯覚さえ抱く。
何もない背後から何かが忍び寄ってきて、ぐいと腕を引かれているかのよう。
振り払う所作が、壁を打ち付ける。
じわりとした痛みに舌を打った時、甘い香りが一層強く鼻腔を掠めるのに気がついて、顔を上げる。
そうして、視線の先に、何かを探すように視線を巡らせる鳥飼の姿を見つけた。
「……追うのは、私の方だったはずですが」
児戯を楽しむでもなく、言葉通り素直に逃げるでもなく。
探しているのはパートナーたる鴉だろう事は、どこか心配そうな表情からすぐに見て取れて。
ふ、と微笑んだ鴉は、それだけで気持ちが軽くなったような気がした。
「主殿」
声をかければ、それに気付いた鳥飼はぱっと振り返り、鴉に駆け寄ってくる。
「よかった。会えないかと思いました」
その言葉だけで、彼がどれほどこのスラムを探し回ったかがよく分かる。
歩き回ったのが人のいない状態でよかった。そんな思案を抱いていると、不意に、覗きこまれて。
「大丈夫ですか?」
心配そうな瞳と、目が合った。
顔色が良くない。唇だけで呟かれた声に、鴉は緩やかに口角を上げてみせた。
「ええ、以前より余程」
何の布石もなく舞い戻ってきたのなら、恐慌状態に陥っていたかもしれない。
古傷が痛む心地は変わらずあるけれど、実にささやかなものだ。
(あなたのお陰、なのでしょうね)
自分と契約するなんて馬鹿な神人だと思ったことがある。
その時も、記憶を辿るような道を進んで。最後の最後で、曇天を星空に変えたのがこの人だ。
それからずっと、ずっと、絆されてきていたのだと思っていたが、もしかしたら自分で思っている以上に、この人に救われているのかもしれない。
「鴉さん?」
窺うような瞳が、じっ、と見つめてくる。
なんでもないというように首を振って、肩を竦めて苦笑する。
そこが切り裂かれた箇所であることを知っている彼へ、問題ないのだと主張するように。
「抱きしめれば……とのことでしたよね。では、失礼」
ひと声かけてから、鴉はそっと鳥飼を抱き寄せる。
いつまでも覗き込んでくる鳥飼の視線から逃れるようだったけれど、彼は暫しの沈黙の後、そっと腕を回して抱きしめ返してきた。
「無理は禁物ですよ?」
優しい声を乗せて、優しい香りが広がる。
「いい香り。ずっとこうしていたくなります」
すぅ、と暖かく心を満たしてくるような香りに包まれて、鳥飼がふんわりと笑う。
(幸せ、か)
確かに、悪くない匂いだ。
胸中で呟いて、鴉はほんの少しだけ、抱きしめる腕の力を強くした。
まどろむ意識の中で、もう少しだけ強く感じようとするかのように。
◆
初瀬=秀は真顔になった。よくわからないまま来てしまった場所が、まさかの実家なのだから。
「ったく、懐かしい場所を出してきたもんだ」
懐かしさに、思わず笑みが溢れる。
「料理人になるっつって飛び出して、それっきりか?」
だとすれば何年ぶりだろうか。随分古い記憶だが、それと違わないということは、この場所は記憶そのものなのだろう。
人っ子一人いないのは薄気味悪くもあるが、夢なら、そういうものだろうと秀は納得する。
と、不意に甘い香りが過るのに気がついて、確かめるように一歩踏み出した。
それは家に近づいたことでほんの少しだけ強くなったように感じる。
仮面の言葉が俄に過ぎった。鬼ごっこでかくれんぼで、行き着く先は幸せな香り。
そこに、重なったのは幸福そうに笑うイグニスの顔だった。
「そうか、探しに行かなきゃな」
きっと彼も、秀を探しているだろう。あるいは秀を待っているだろう。
隣に在ることを望んで、彼はここに、居るのだろう。
秀はゆっくりと、捜索を開始した。
植え込みの陰を覗き、郵便ポストの傍を通り、玄関へ。
扉を開いてみれば、途端に香りが濃くなった。そして嗅覚のみならず、視界に飛び込んできたのは見覚えのある靴。
夢で幻影だと彼も理解しているだろうに、妙な所で律儀なことだと苦笑交じりの溜息一つ。
隣に靴を並べて、ぎしと少しだけ軋む音を聞きながら、真っ直ぐにある部屋を目指した。
少し、前。イグニスもまた、導かれるようにしてその部屋に来ていた。
何故だか呼ばれたような気がしたのだ。扉を一度なぞって、そっと開いて。
覗き込んだその場所は、当然、イグニスにとっては見覚えのない場所だった。
だが、懐かしい空気を感じる気がする。
くるり、見渡して、勉強机を覗きこむ。置かれたノート。開けば見慣れた文字が並ぶ。
間違いない。ここは、知らない場所だけれど、たしかにここには――。
「……イグニス」
確信に至ると同時、呆れたような声が、呼ぶ。
ぱっと振り返れば、声と同じく呆れたような顔をした秀がそこにいて。
「秀様!!」
「『俺の部屋』に勝手に入るなっつうの」
溜息とともに零された言葉に、やっぱり、とイグニスは顔を綻ばせた。
だってこんなにも愛おしさが溢れてくる場所、他に考えられない。
改めて見渡した部屋はこざっぱりとして見えて、秀の性格を反映しているように思える。
けれど、まじまじと見るなと小突かれて、すぐさま視線は秀へと戻った。
「ほら、帰るぞ」
両手を広げた秀は、『帰る』と言った。
過去とはいえ『実家』に、『己の部屋』にいながら、そう言った。
その意味をしみじみと噛みしめて、イグニスはそっと、その腕の中に収まった。
「……はい、帰りましょう」
甘い香りが、ふわりと広がる。愛おしさを溢れさせたようなそれは、心地よく香る。
両手でしっかりとイグニスを抱きしめた秀は、それをゆっくりと吸い込んで、小さく笑った。
そうだ、もうここは帰る場所ではない。
(俺が帰る場所は……)
小さな自分の城、あるいは。
――金色の王子様の、腕の中。
ぎゅっと抱きしめ返してくれるイグニスの温度を感じながら、ゆっくりとまどろむ。
目が覚めたら、一緒に何かを食べよう。そんな幸せな夢に、浸りながら。
◆
その集落は、今はない場所。
今訪れれば誰もいない場所。
にも関わらず、自警団で共同生活をしていたアパートには、明りが灯っていた。
部屋の数だけ、煌々と。まるで今もなお、誰かが住んでいるかのように。
明りに釣られるように、ふらり、ハティはアパートに歩み寄った。
人の気配は感じられない。だけれど、何故だかそこには甘い香りがあった。
確かめるように立ち止まり、そっと息を吸い込んでいると、上の階から物音がする。
感じられなかったはずの、生き物の――人の気配。
じっ、と物音の位置を見据え、見定め、確かめるべく中へと入った。
ぎぃ、と。静かな空間に嫌に大きく、扉の開く音が響く。
明りのついている部屋を幾つか確かめたが、どれも鍵はかかっていない。
だが、ハティは部屋には入らなかった。
入れなかった。
空っぽの部屋を見るのが怖かったのかもしれない。
今はないことを、痛感してしまいそうで。
扉に触れていた手を離し、ハティは階段に座り込む。
ここで待っていれば、いずれ嫌でも降りてくるだろう。
静かな空間に上階を歩く足音が何度も響くのを一人で聞きながら、ハティはそっと膝を抱えた。
「隠れ鬼だったか」
仮面はそう言った。鬼ごっこでもあると。
そして、この漂う香りが追跡者の目印であり、記憶の所有者である自分は鬼の側。
だけれど今は、まるで逆。
「……俺の方が隠れてるみたいだな」
見つけて欲しい。そんな気が、していた。
三階の一室。見晴らしのいい場所。
身を乗り出した窓の向こうに見えるのは、いつかの時ハティが話していた展望台だろうか。
それを見つけたブリンドは、眉を寄せた。
一つ一つ明かりをつけて覗き歩いた部屋には、生活していた名残があった。
ハティの語る自警団は皆ここにいて、ハティもまた、ここにいた。
その事実に、ますます眉根が寄る。
ハティにとって、この場所はいい思い出の多い場所ではない。だから。
……そう、己に言い聞かせていたけれど。
ハティにとって、この場所は悪い思い出ばかりではない。
だから、嫌ったのだ。ブリンドが。
今という時間を吸い取ってしまいそうなこの場所を。
遠ざけたいと願った感情は、ただただ己の都合でしか無いことにも、気がついてしまったけれど。
薄ぼんやりとした心地で廊下を歩き、階段を降りる。
途中、見慣れた背中を見つけて、声を掛けた。
ゆっくりと振り返ったハティの顔は、どこか安堵したようにも見えた。
気の付かない振りをして、何の気ない顔で、外の、先ほど見つけたものの方向を視線で示す。
「あれが展望台か?」
「ああ……本当に来れるとは思わなかったが」
紹介すると、月の移り込む温泉で語ったハティは、それが叶うとは思っていなかったのだろう。
だからこそ苦笑して、ブリンドを見上げる。
「空は見たか?」
「いや」
端的な会話。それならばと遠い展望台の代わりに屋上を案内した。
階段の向こう。分かりきった目的地。ブリンドは一人足早に階段を登り切り、先に屋上に出ると、後から出てきたハティを不意打ちで抱きしめた。
ぱちくり、と。ハティの瞳が瞬いて、返るのは苦笑。
「……これじゃどっちが鬼なのかわからないぞ」
「どっちにしてもお前に分がありすぎんだよな」
ブリンドからは拭えない匂いが滲んでいるし、地の利はハティにあるし。
「確かにアンタからはいい匂いもするしな」
「匂い……? 嫌がってるようには聞こえねえが」
確かめるように己の腕を嗅いでみたブリンドは、甘い香りに首を傾げる。
皮肉と受け取るか、と嘆息して、ハティは、リン、と名を呼ぶ。
「空が見えない」
「俺が見てる」
抑揚のない声。お互いに。
「……きれいか?」
確かめるようなハティの声は、静かだ。
ブリンドに抱きしめられてるとはいえ、全く見えないわけではないのだけれど。
記憶をかたどったらしい空は、ぽっかりと黒いだけにも見えてしまって。
少しずつ、少しずつ、明ける空から星が消えるように、忘れていってしまっているような気が、した。
「……俺が覚えときゃいいだろ」
ハティに見えなくったって、ブリンドが見ているから、それでいいじゃないか。
言い聞かせるような声に、ハティは視界が滲むのを自覚して。
気取られる前に腕を回す。
甘い香りが、広がる。
それは全てを享受するようで。とても、いい匂いだった。
依頼結果:大成功
MVP:
エピソード情報 |
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マスター | 錘里 |
エピソードの種類 | ハピネスエピソード |
男性用or女性用 | 男性のみ |
エピソードジャンル | ロマンス |
エピソードタイプ | ショート |
エピソードモード | ノーマル |
シンパシー | 使用不可 |
難易度 | 簡単 |
参加費 | 1,000ハートコイン |
参加人数 | 4 / 2 ~ 4 |
報酬 | なし |
リリース日 | 02月09日 |
出発日 | 02月16日 00:00 |
予定納品日 | 02月26日 |