リザルトノベル【女性側】VS ヴェロニカ・カーミラ
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リザルトノベル
古城から、少し離れた暗黒の森で。
レムレース・エーヴィヒカイトは、闇空を覆わんばかりに枝葉を広げた大木を、切り倒そうとしていた。
「ただでさえ、霧が出ているのに、こんなものがあったら視界の邪魔だろう」
ギルティ:ヴェロニカ・カーミラはまだ、ウィンクルムの前に姿を現してはいない。
この音で、彼女をおびき出すことができたら、という思惑もあった。
その少し先では、出石 香奈が周囲を警戒していた。
視界はけして良好とは言えない。だが身にまとっている『叛逆ノ黒外套』が、敵の殺気を感知してくれるはず。
(ギルティなら、あたしたちを殺したくて、仕方がないはずだもの)
八神 伊万里もまた、香奈とは別の方向に、目を凝らしていた。
ねっとりとした霧が、『叛逆ノ黒外套』にからみつくよう。
(せめて風がふいて、霧を晴らしてくれればいいのに。そうすれば、アスカ君たちだって、動きやすくなるはず)
木の上に隠れる彼を思い、伊万里は、暗い空を見上げた。
アスカ・ベルウィレッジは、レッドニス・サンタクロースとともに、闇を見つめていた。
(どこにいるんだ、ヴェロニカは……)
枝を揺らさぬよう、葉の一枚も落とさぬよう、慎重に体の向きを変える。
今までウィンクルムとしてそれなりに活動してきたアスカではあるが、その経験があっても、伊万里を下に残しているのが、心配だった。
(信じてないわけじゃない、でも相手はギルティだ)
両手剣『セレシウス・ダイヤ』の柄に手を添える。正直に言えば、早くこれを抜いて、この緊張を断ち切ってしまいたかった。
一方、アスカとレッドニスがいる場所から少し先では、ガルヴァン・ヴァールンガルドが、大木に刃を当てていた。
がつん! と大きく幹を削るのは、魔導戦斧『バジリスク』だ。
「本来の使い方とは、違うのだろうが」
「でも、木があると邪魔だから」
アラノアは、視線は森に向けたまま、口を開いた。
体の向きを変えると、ポケットの中の白いカラーボールが、ごろりと動く。
(もし敵にこれが当たれば、見やすくなるかと思ったけど……この暗さと霧じゃ)
手に持つ盾『六壬式盤』はいまだ、殺気に反応せず。
A.R.O.A.に頼んで貸してもらったインカムからは、仲間の連絡は聞こえてこない。
ガルヴァンとアラノアのいる場所近く。
「あ……」
木を切っていた篠宮潤が、顔を上げた。
「どうした?」
「なにか、聞こえた気が、して……」
ヒュリアスの問いに、潤は、おっとりした口調で答える。霧に透ける視界に、意識が集中しているのだ。
ただ、目を凝らしても、霧と木々、そして闇以外は、何も見えない。
(それに、ギルティがいて、ヒュリアスが気づかない、なんて、あるはずない、よね……)
ふるり、首を振って、潤はまた、木に視線を向けた。
きっと久々の戦いで、気持ちが高ぶっているのだろう。そう、結論づけて。
――だが直後。
インカムから、伊万里の声が聞こえた。
「……殺気、きます! ギルティです!」
ヴェロニカ・カーミラの足に靴はなく、スカートは、太腿半ばまで破れていた。
「……ハインリヒ様の森の木を倒すなんて……。お城も壊してくれたし、ずいぶんと勝手なことをするのね、あなたたちは」
ヴェロニカが、血のように赤い瞳で、周囲を――正対する伊万里を、睨みつける。
「ギルティの森? それこそ勝手な言い分ですね」
言い放ち、伊万里は『トランスソード』を鞘から引き抜いた。
「ここは、あなたたちが住んでいいところではありません!」
インカムを通して聞こえた声に、アスカは唇を噛んだ。
(もし今、ヴェロニカが伊万里に攻撃をしたら……!)
近くには、他の精霊がいるとわかっていても、すぐに持ち場を離れ、ヴェロニカにとびかかりたい気分だ。
だが、耐える。
アスカは伏兵。仲間とたてた計画を、無駄にするわけにはいかないのだ。
代わり……ではあるまいが、ガルヴァンが、伊万里の隣に立った。
「ずいぶんといい格好をしているな」
「あら、お褒めにくださり、ありがとう」
ヴェロニカの朱唇が、空々しい笑みを描く。
ガルヴァンもまた、にやりと笑った。
「その分だと、長期戦はきついのではないかな?」
ヴェロニカの柳眉が上がる。
「あなたたちなんて、一瞬で勝負がつくわ。ハインリヒ様のお手は、けして煩わせない」
「そのハインリヒのもとへは、別部隊が行っているはずだが。……知っているだろう?」
「ええ、そちらもすぐに片がつくでしょうね」
一度、肩を跳ねさせつつも、ヴェロニカが妖艶に笑む。
シンパシー・リバレイトの直撃を受け、乱れた姿になって、なお。
ハインリヒの部下として、あるいはギルティとして、焦る姿は見せたくないということだろう。
「馬鹿にして……」
アラノアは、木の幹に添えた手に、ぐっと力を込めた。
その殺気を感じたのか。ヴェロニカが視線を上げて、アラノアを見る。
「そこに隠れているんでしょう? わかるわよ、お嬢さん」
「……それなら」
呪符『五行連環』を手に、アラノアは、木の陰から一歩踏み出した。
霧の先、ヴェロニカを睨みつける。
「……すぐに片がつくか、試してみますか?」
アラノアを、ガルヴァンを、レムレースが展開した、円形の聖域が包み込む。
「は、いいわよ。まあ無駄なことでしょうけれど!」
言うなりヴェロニカは、右手を狼のそれに変形させた。
アラノアが、ギルティの顔に向け、呪符の力を発動する。
ヴェロニカはあっさりそれをよけると、大きく跳ねて、アラノアのすぐ前に着地した。
「ふふ、一人目!」
振り上げられた右手。狼の爪が空を斬る。
しかし、それがアラノアの肌をえぐる直前。細い腰に、ガルヴァンの腕が巻きついた。
「アラノアッ!」
横っ飛びに、アラノアごと地面に転がるガルヴァン。
その前に、ヒュリアスが立った。
「一人目に、ならなかったな」
黒き鎧『アールブラッド』に、食人植物の力が憑依していく。
「さあ、あなたの、相手、は……僕たち、だよ」
潤は、槍『緋矛』を両手で構え、真っすぐにヴェロニカを見つめた。
「誰が前にこようと、死ぬ順序が変わるだけよ!」
ヴェロニカが突きだした、狼の爪。その先に、潤が突きだした槍があたる。
キイン!
爪と槍先がぶつかり、ヴェロニカの攻撃の勢いが弱まった。
それでも彼女の爪は、真っすぐにウィンクルムを――潤の前に身を割り込ませた、ヒュリアスを狙う。
「ヒューリ!」
「ぐっ……」
鎧に植物の力を憑依しても、攻撃を防ぎきることは……できず。
狼の爪の切っ先が、ヒュリアスの肌に食い込んだ。だが、呻いたのは彼だけではない。
「はうっ……!」
ヴェロニカは、はじかれたように後ろに飛んだ。
見れば、手首から前腕にかけて、白い肌がざっくり切れている。吸血薔薇に、カウンター攻撃をくらったのだ。
「……やってくれるわね」
ヴェロニカは、忌々しげに、ヒュリアスを睨んだ。
一度離れた彼のもとへ、一歩、踏み出す。
が、ヒュリアスは、一歩、後方へ。
「ずいぶん臆病ね!」
「そうか?」
もう一歩、ヴェロニカが進む前に、ヒュリアスと潤は、踵を返して走り始めた。
「追いかけっこがしたいの? 私は早いわよ?」
あえて攻撃を受け、ヴェロニカを、伏兵が待機する場所へ誘導する。
これはかねてから決められていた策のひとつだった。
――しかし。
(ヒューリの傷……、思った、より……深い)
ヴェロニカはいまだ、余裕の態度。
ウィンクルムなど、いずれ殺す相手だからと、からかっているのか。
いや、もしかしたら、いたぶってやろうと思っているのかもしれない。
(もし、このまままた、攻撃を、受けたら――)
きっと、どんな状況であれ、ヒュリアスは、戦おうとするだろう。
潤は走りながら、両手槍を、ぎゅっと握りしめた。
(ヒューリは、僕が……護る)
その潤のすぐ横で、がさり、と音が鳴った。
伊万里だ。
彼女もまた、鉄扇を握りしめ、背後を警戒しながら、木々の中を駆けている。
逆の方向には、アラノアとガルヴァンの姿も見えた。
彼らはみんな、渋面だ。
仲間にけがをさせてしまったことを、悔やんでいるのだろうか。
(でも、隠れているのに、出てきたら、作戦が無駄になっちゃう……から)
「潤……大丈夫だ」
隣、ヒュリアスの低い声が、潤の耳に届く。
潤は、真っすぐに顔を上げた。
(そうだ……。ここには、みんなが、いる。だから、きっと大丈夫……)
ヴェロニカを導くようにして、一同が進んでいた先。
木の陰に、豊村刹那と逆月が身を隠していた。
刹那は、『叛逆ノ黒外套』と盾『六壬式盤』の力を利用して、周囲を警戒している。
(アイテムの力を借りれば、敵がどっちから来るか、きっとわかる)
そう思いはするものの、盾を支える手には、じっとりと汗をかいていた。
逆月が、紅玉のごとく赤い瞳で、刹那を見る。
「一番技量の低い私達が、真っ先に狙われる確率が高い。心構えを……刹那」
「わかっているわ」
刹那は、深くうなずいた。
そう、わかっている。だからこそこんなに、緊張している。
――そのとき。
なぜか急に、刹那の背筋を、冷たい汗が流れた。鼓動がいっきに早くなる。
と同時に、インカムから、機械音が聞こえた。それに混じって。
「――そろそろ、そちらに」
伊万里の声が、届く。
その声は、刹那と逆月よりも少し先に潜む、日向悠夜にもしっかりと聞こえていた。
「弓弦さん」
インカムを押さえ、パートナーを見上げる。
思いのほか低い声になったのは、これが久しぶりの前線だからだ。
だが弓弦は、いつもと変わらぬ口調で言った。
「大丈夫だ。僕たちは、課せられた使命を果たそう」
光射さぬ敵の本拠地で、戦う相手は、ギルティ。
しかも対峙する人数は、けして多いとは言えない。
不安要素はたくさんある。でもたった一言、弓弦が「大丈夫」と言えば、本当にそんな気持ちになってくる……。
(そう、帰る場所に『帰る』ためにも、今は――)
悠夜は祈るような気持ちで、胸に手をあてた。
遠くに聞こえていた湿った足音は、どんどんと近くなっている。
にちゃ、ねちゃ、と響く、何人分かの音。
――そして。
「もう、どこまで行くのよ。私、かけっこは飽きちゃったわ」
高く響く、ヴェロニカの声。がさり、響いたのは木の枝が揺れる音か。
これまで、ヒュリアスと潤を追うように、地面を駆けていたヴェロニカが、大きく跳躍し、幹を蹴った。
「どうして私を、こんなところに連れてきたの? ああ、みんな一緒に、死にたいのかしら?」
ヴェロニカが木々の間を飛ぶたびに、破れたスカートがめくれ上がり、白い太腿があらわになる。髪は風にあおられ、ぐちゃぐちゃだ。
しかし彼女は、肌が見えることも、金髪が乱れることも、まったく気にしていないようだった。
ただくすくすと笑いながら、ウィンクルムをあざけるように、霧の中を飛び回る。
「遊んでるってことですか……」
伊万里が呟いた。でもこの先には、アスカとレッドニスがいる。こんな余裕、すぐになくなるはずだ。
「……もうそのあたりまで来ている……来た!」
頭上、枝の上を飛ぶヴェロニカの姿を見るなり、逆月はまっすぐに走り出した。
腕はすでに、強弓『狐狸鬼宿し』を引いている。
ギルティと聞いてどれほどのものかと思っていたが、ヴェロニカは、逆月が思ったよりも、遅い。
ボロボロの服や乱れた髪から察するに、シンパシー・リバレイトによる初撃が、かなりきいているのだろう。
(だったらこれも……当たる!)
逆月は、力いっぱいに弓を引き絞り、矢を放った。
びゅん、と飛んでいったそれは、狙い通り、ヴェロニカの太腿に突き刺さる。
彼女は、かっと目を見開いた。
「そんなところに、いたのっ……!」
白い手で矢を引き抜き、地面へと投げ捨てる。
ぽたぽたと垂れた赤が、苔の色を変えた。それと同じように、ヴェロニカの瞳が燃え上がる。
ヴェロニカは枝を蹴り、逆月に飛びかかった。
ぐわり、大きく開いた口には、明らかに人のものではない、尖った牙。
「逆月!」
両手で弓を扱う逆月は、自らを守る物を持たない。
彼に代わり、駆け寄った刹那が、盾を構えた。
が――。
「邪魔よっ!」
女の腕の一閃で、刹那も逆月も、弾き飛ばされる。
「ぐっ……」
割れた盾。木の幹に当たったと思った背中は、それほど痛くはない。
刹那の後ろに立っていた逆月が、クッションになったのだ。
振り返る。
「逆月!」
「……案ずるな」
顔を歪めながらの声は、存外しっかりしていて、刹那はほっと息を吐いた。
どちらの肌にも、狼の爪は届いていない。
護りたいと思う心が、盾の幸運を引き寄せたのかもしれない。
そんな二人の前で、ヴェロニカがにやりと笑った。
「あら、その盾じゃ、次は防げないわねえ?」
振り上げられた右手に、きらり光るのは、狼の爪。
――だが、それが下ろされるより早く。
ヴェロニカの頬に、矢が刺さった。弓弦が、大弓『六陣』を引いたのだ。
「ひ、いいいいっ!」
たった今まで笑んでいた顔が、一気に歪む。
ヴェロニカは、気が狂ったかのような声を上げ、力任せに矢を引き抜いた。
「顔を……っ! 許さない、許さないウィンクルムっ!」
叫び、膝を深く曲げ、思い切り跳躍する。
枝を、幹を蹴り、彼女が狙うは、弓弦。
たたん! とリズミカルな音が響いて、数秒ののち。
ヴェロニカは、弓弦の襟首をつかみあげていた。
「女の顔を傷つけるなんて、失礼な人間。あんたの顔を、ずたずたにしてあげるわ」
右手、狼の爪の先が、弓弦の頬にあてられる。
もしこれが引かれれば、彼の顔は、見る影もなくなるだろう。
弓弦は、ぎりと唇を噛んだ。
その手は、矢のシャフト部分、箆(の)を握っている。
この状態では、とうてい矢を放つことはできない。だが――。
(これで、目を突けば……!)
ヴェロニカが手を引くのと、弓弦が腕を上げたのが、同時。
「あああああっ!」
「くっ……」
ヴェロニカの左目に矢じりが刺さり、弓弦の頬が裂ける。
しかし、弓弦の傷は、それほど深くはない。
悠弥が投げたカラーボールが、ヴェロニカの顔にヒットし、彼女が一瞬、気をとられたためだ。
ヴェロニカの顔面で、ボールから漏れた白と、眼球からこぼれた赤が混じりあう。
「なによなによっ!」
彼女は弓弦を地面に叩きつけると、オオオオ! と高く吠えた。
白く柔らかな女の肌が、狼の毛に覆われていく。
狼と化したヴェロニカは、ウィンクルムから逃れるように、木の上へ飛び移った。
「ダメです、あっちにはアスカ君たちが!」
伊万里が、追って走り出す。
アスカとレッドニスは、伏兵だ。攻撃の前に見つかってしまっては意味がない。
それに怒りに身を任せたヴェロニカに、二人がどこまで対処できるか、という懸念もあった。
「行くぞ、刹那。立てるな?」
「もちろん」
立ち上がった逆月が走り出し、ヴェロニカに向かって矢を放つ。
が、狼の悲鳴は聞こえない。当たらなかったか。
「弓弦さんっ!」
地面に仰向けになった弓弦は、はっと短く息を吐いた。
切られた頬から、とろとろと生ぬるいものが溢れている。だが、顔でよかった。
(もしあの爪が、首に触れていたら……)
頸動脈でも切られていたらと思うと、ぞっとする。
打ちつけられた体はじんじんと痺れているが、この痛みを感じられもしなかったのだ。
「弓弦さん、大丈夫!?」
「ゆ、うや、さん……」
少しかすれた声で名を呼んで、弓弦は大弓を支えに立ち上がった。
「僕は、大、丈夫」
「……うん! ……でも、その前に」
悠夜が、弓弦の汚れていないほうの頬に、そっと唇を落とした。
自分の力を分け与える。彼が……自分たちが、生きて戻るために。
「行こう、弓弦さん」
悠夜と弓弦。二人はそろって、走り出した。
逆月の放った何本目かの矢が、獣の後ろ脚に命中した。
「ぐうううっ」
それまで難なく飛び移っていた枝を踏み外し、バランスを崩すヴェロニカ。
彼女が焦り、着地のために、狼の体を丸くした瞬間。
それこそが――。
(チャンスッ!)
仲間のピンチに飛び出したい気持ちを押さえ、狼女の隙を狙っていたガルヴァンと。
攻撃を受けながらも、持ちこたえていたヒュリアスが、ヴェロニカの前に、立ちふさがった。
単独攻撃がきかぬなら、共闘するまで。
二人のシンクロサモナーが、自然界のエネルギーを自らの体にシンクロさせ、凝縮させる。
「いっけえええっ!」
異変に気づいたヴェロニカが、はっと頭を上げた。
四足の膝を曲げ、大きく跳躍をする。
その、背に。
追ってきた弓弦の矢が、深く刺さった。
本来ならば、届かぬ距離。
『ヒーロー・アライブ・グローブ』が、彼の能力を引き出したのだ。
爆音と、爆風。
「オオオオオ!」
狼が、吠える。
彼女を囲む木が倒れ、大地がえぐれてもなお、ヴェロニカは生きていた。
高く、高く。
目から、脚から、背から血を流しながら飛んだ彼女は、ヒュリアスとガルヴァンが放った渾身の一撃の、直撃を免れたのだ。
ただ、下半身は、血濡れている。
どれだけ動けるのか。否、動けないのか。
いや、動ける。着地し、一歩、踏み出した。
「行かせない!」
アラノアは、呪符『五行連環』の力を使うべく、印を結んだ。
「ウ、ウウ……」
ヴェロニカが、動きを止める。見開かれた片目がぎろと動いた、そこに。
「うおおおおっ!」
両手剣を構えたアスカが、爆音とともに宙を下りて――いや、『落ちて』きた。
レッドニスも一緒だ。
「死っねえええええっ!」
ぐしゃり!
重く硬い刃に、肉が、骨が、つぶれる音がする。
「グ、アアアアアッ!」
ヴェロニカは吠えた。
四足は地面の上に伸び、開いた口からは、よだれがこぼれている。
その状態は、まさに、瀕死だ。
(これでもう、動けないだろう……)
全身が赤く染まった狼の体を見て、この場にいるウィンクルムの誰もが、そう思った。
だがヴェロニカは、突如はっと顔を上げた。
赤い瞳に涙が生まれ、再び人の姿となった頬を流れていく――。
「ハ、ハインリヒ様……、ハインリヒ様の、ところに、行かなくては……っ」
肘を曲げ、胸だけをわずかに持ち上げ、下半身を引きずって。
ヴェロニカは地を這い始めた。
この首を斬れば、背に矢を突き立てれば。
いや、何もせずに放置したとしても、遠くないうちに、彼女の命は尽きるだろう。
「ハイン、リヒ、様っ……」
破れたスカートを引きずり、ウィンクルムを見向きもしないヴェロニカに、近付いたのはレッドニスだった。
「……連れていってやる」
「なぜっ……」
ヴェロニカの顔が上がる。その横に、レッドニスはしゃがみこんだ。
「お前は、もう死ぬからだよ。……死に際に会えないのは、辛い」
レッドニスは、ヴェロニカを抱き上げ、立ち上がった。
……悪いな、ウィンクルム、と。
振り返ったレッドニスに、否と唱える者はいなかった。
※
――果たして。
ヴェロニカは、瀕死の姿となりながら、ハインリヒのもとへたどり着いた。
だが、彼もまた、冷たい大理石の上に、背をつけている。
「ハインリヒ様っ!」
レッドニスに床へと下ろされたヴェロニカは、床に赤い染みを落としながら、ハインリヒ・ツェペシュの胸の上に、覆いかぶさった。
「ヴェロニカ……なぜ、ここに」
それには、答えず。
ヴェロニカは、覚えておりませんか、とハインリヒに語りかける。
「私たちが、かつてもこうして、死を迎えようとしたことを」
A.R.O.A.も創設されておらず、ウィンクルムという呼称もない時代。
ただオーガだけが存在していた頃。
ヴェロニカとハインリヒは、オーガと呼ばれることすらない、人類の敵を倒していた。
だが、人は人とは異なる能力を持つ人間を忌み嫌う。
畏怖され、迫害された彼らがたどり着いたのが――。
「ギルディガルデンの、このお城……」
ハインリヒの胸に頬をのせ、ヴェロニカは赤い瞳を、すうっと細めた。
「あのときから、ずっと、あなたをお慕いしております」
「そうだ、あれはたしか……」
異形との戦いから、人間との争いからやっと解放されて、心安らかな時を過ごせると思った死の間際。
まがまがしい存在が、「自分達を迫害した、人々に復讐をしたくないか」と語りかけてきたのだ。
ハインリヒは、愛しいヴェロニカをぼろぼろにした奴らを許せなくて、その申し出を受け入れた。そして、ヴェロニカもまた――。
その後、ギルティとなった二人は、当時の記憶も愛も、すべて失った。
「それを、今思い出した……」
ハインリヒが、すっかりくすんでしまったヴェロニカの金髪を、静かに撫ぜる。
しかしそのとき、ヴェロニカの瞳は既に、閉ざされていた。
「ヴェロニカ……」
彼は、二人を呆然と見つめるウィンクルムに、視線を向けた。
彼自身、もう、長くはないことはわかっている。
今度こそ、ヴェロニカとともに、穏やかな時を過ごすのだ。
ハインリヒは、ゆっくりと唇を動かした。
「最期に、教えてあげるよ。私たちをギルティにした者は――今は、A.R.O.A.の創始者として、世に知られている」
ウィンクルムに、ざわめきが広がる。しかし、死にゆく身には関係ないことだと、ハインリヒは息を吐いた。
ヴェロニカを抱く腕に力を込めたいが、どうやらそれは、難しそうだ。
せめてと、唯一動く、口を開く。
「……散々生き物の命を奪ってきたのに、愛する者を抱いて逝けるなんて……私は、幸せ、だ……。しかし……」
君たちは、そうならないよう。
――みなまで言うことは、叶わず。
ハインリヒは、目を閉じた。
その唇には、彼自身の言葉を証明するかのような、微笑が浮んでいた。
(執筆GM:
瀬田一稀 GM)
戦闘判定:大成功