侵略の悪鬼羅刹
「演習を行います」
A.R.O.A.本部に召集されたウィンクルムたちは、ブリーフィングルームへ入ってくるなりの職員の唐突な一言に、思わず一瞬呆けてしまった。
そんなウィンクルムたちに、至極真面目な顔で職員は続ける。
「真面目なお話です。オーガたちが活発化し、マントゥール教団が使役しているオーガのスケールが上がっています。
今までももちろん懸命に対抗してきた我々ですが、戦いは今後、さらに苛烈を極めると思われます。
そこで、タブロス旧市街を演習場所と定め、首都タブロスへの侵攻を想定した演習を行います」
オーガたちは、いつこの首都タブロスを狙ってくるか分からない。そのために備えておくことは必要だ。
タブロス旧市街は、首都タブロスに似通った構造の建造物が多い。演習にはうってつけの場所だ。
A.R.O.A.が演習場に選んだ理由も納得できる。
「捕獲しているデミオーガ、及び低級オーガを旧市街に放します。人命と街を守りながら、オーガの討伐に当たってください」
演習を決めたA.R.O.A.は、既にタブロス旧市街へウィンクルムの実演習の通達を行っていた。
住民のほとんどは演習中、首都タブロスへ避難してもらい危険が及ばないように注意を払う。
演習への協力参加に手を挙げてくれた数百名の住人には、タブロス旧市街へ残ってもらった。
これで、疑似的な『オーガによる首都タブロス侵攻』を形成したというわけだ。
「今回の演習には、他にも目的があります。
一つ目は、新たに契約を行った新人のウィンクルムたちを育成するためのシステムを用意しています。
この演習では、そのシステムを運用し、新人ウィンクルムたちに経験を積んでもらいたいと考えています」
一度言葉を区切り、A.R.O.A.職員は手元の資料に視線を落とす。
「もう一つは、既に実戦への投入を検討する段階まで調査が進んでいる『シンパシー』についてです。
今回の演習では、その『シンパシー』についての実戦データ取得も目的としています」
A.R.O.A.職員はまっすぐにウィンクルムたちを見つめ、言葉を締める。
「この演習では多くの実りが期待できると考えています。皆さんの健闘を祈ります」
トップクラスのウィンクルムから、契約したばかりの新人ウィンクルムまでが参加する、大演習が開始される。
*
演習の通達が出されて程なく。
タブロス旧市街へやってきたウィンクルムたちに、演習開始の合図が出された。
それぞれが持ち場につき、身構える。
街に放たれるオーガたち。低級とはいえ、本物のオーガだ。油断すれば被害は甚大になる。
自然と緊張した空気が辺りを包んだ。
――これは演習だ。だが、実戦そのものでもある――。
ぞろりと群れを成して街へ侵攻するオーガたちは、目についた住民に容赦なく牙を剥く。
住民を庇い、安全な場所までの避難誘導を連携して行う。
街の破壊の阻止も、今回の演習に組み込まれている任務の一つだ。
破壊活動を行うオーガたちと対峙し、住民を背に庇い、仲間との連携を取る。
順調だった。
演習は、空が夕暮れ色に染まるころまで続いた。
物理的な疲弊は否めないが、それ以外で大きなミスもなく、住民の負傷者もない。
完全な成功を、誰もが確信するほどの手応えだった。
街中に、終了を告げる合図が鳴り響く。
長時間に及ぶ演習が無事に終わり、ほっと胸を撫で下ろす。
武器を納め、辺りから安堵の声が上がり始めた、その刹那――。
耳をつんざくような轟音が、タブロス旧市街に響き渡る。
その音の場所を特定しようとウィンクルムたちは周囲を見渡す。
音とほぼ同時に白い煙が上がり、瓦礫の崩れ落ちる音が、空気を激しく震わせた。
「なんだ!?」
再び街中を包み込む緊張感。
オーガが残っていたのだろうか。否――。A.R.O.A.がそんな失態を演じるはずがない。
演習は今しがた終わった。ならばこれは『想定外』の出来事だ。
察して、ウィンクルムたちはすぐさま事態の確認に動いた。
数組のウィンクルムが、音のした方角へと走り、眼前に広がる光景に足を止めざるを得なかった。
ぞろり――。
列を成し、群れを成してタブロス旧市街へと足を踏み入れる者たちの姿があった。
一歩。また一歩と近づいてくるその影。
顔を布で覆い隠した者、明確に判別できる姿をした者たちが、ぞろり、ぞろりとゆったりとした足取りで歩を進める。
――オーガの軍団。
それらの先頭に立つ、一つの影。おそらく、オーガの群れを率いている張本人だろう。
「こんにちは、ウィンクルムの皆さん」
その人物は、明るく穏やかな声を発した。
「ボクの名前はグノーシス・ヤルダバオートです」
近づくにつれて視認できるその姿。
銀色の髪、風に揺れる、ややくたびれた衣服。眼鏡の下には貼りついただけの柔和な笑顔。
一見すればただの人。けれど、致命的に人ではない証があった。
右側にだけ生えた、精霊の持つ物とは異なる羊のような――角。
「――ああ、覚えなくていいですよ」
足を止め、眼鏡を押し上げる。
その瞬間に垣間見えた狂気の色は、一瞬で鳴りを潜めた。
危うい――。
その場にいた誰もがそう感じた。
本能的に。直感的に。
グノーシスはやんわりとした穏やかな声で言葉を継いだ。
「ウィンクルムの皆さんはこれから捕らえて実験の為に投薬するので、すぐに何も分からなくなりますから」
柔らかく、穏やかに、再び作られる笑顔。
演習が本物に変わった瞬間だった。
(プロローグ執筆:
杜御田菱真 GM)